保守主義の哲学シリーズⅠ‐‐‐保守主義の根本原理“法の支配”の確立‐‐‐エドワード・コーク

 さて、いよいよ、保守主義の哲学シリーズを開始します。まず、保守主義の哲学の支柱である“法の支配”、“”、“コモン・ロー”を理解していただきます。この概念を理解できない人は、真正の保守主義を理解することはできないし、真正の保守主義者とは言えません。しっかり理解してください。

(1)エドワード・コークの“法の支配”・“法(=コモン・ロー)”とは何か。

  真正の「保守主義」を身に付け、語り、行動する上で、コークの“法の支配”及び“法=コモン・ロー”の概念を正確に理解しないとすれば、その保守主義思想はすでに保守主義とは呼ばない。単なる「民族主義」か「右翼思想」等を身にまとった「似非・保守主義」である。

 このため、ここではコークの思想である“法の支配”及び“法=コモン・ロー”をできるだけ丁寧に分かりやすく説明を行いたいと思う。

 英国はエリザベス女王(15581603年)における繁栄と富をばねに近代へとまさに船出せんとする17世紀初頭、近代国家に欠くことのできない法体系を整備するに当たって、マグナ・カルタ(1215年)など過去400年に及ぶ中世封建時代の法的遺産を、「時代錯誤の過去の遺物」として捨て去るのではなく、逆に「現在」と「未来」の英国の“自由の砦”とするために掘り起こし、磨き、再生させた。この偉業をなした人物が、エドワード・コーク卿(15521634年)であり、コモン・ローの、不世出の法律家であった。

 コークが中世の倉庫から取り出した巨大な宝石が、普遍的な憲法原理である「法の支配」であった。コークは、「国王も“法”の下にある」という法諺(法律格言)を取り出してきて、国王ジェームス一世らの君主絶対主権論を排撃した。

 現代日本が重点的に関心をもつべきことは、この国王大権への制限の方ではなく、英国の中世封建時代に発展していた「“法”こそが“主権者”」であり、国王をも“支配する”という「法の支配」という憲法原理の方である。

 なぜなら、日本の憲法学界では、「国民主権」「人民主権」などという、「君主主権」「君主絶対主権」の「君主」を単に「国民」または「人民」に置き換えて転倒させただけの、全く根拠のない、悪のフランス革命生まれの「国民=絶対君主、絶対主権者」論が大手を振っているが、それは英国中世封建時代の「君主絶対主権」と同様に「法の支配」に反する。のみならず、“自由の防波堤”である「法の支配」を破壊する猛毒のイデオロギーである。

 自由な政治社会の英国や米国に、「人民主権」などはもちろんのこと、「国民主権」などという概念がないのは、これら二カ国のみコークによって近代的に確立された「法の支配」を正統に継承した憲法伝統が(ホッブス、ロック、ベンサム、JS・ミル・オースティン、ジェニングスの左翼哲学者らによって、弱められても)今もなお残っている「法の支配」とは、“法”こそが“支配者”であり、「国王」も「国民」も「人民」も「立法府」も「行政府」も「司法府」も“法”に支配され、“法”の下にあるとする、「法主権」の憲法原理である。とすれば、“法”に支配された「法の被支配者」にすぎない国民が、如何にして主権者たりえるのか。「人民主権」➡「国民主権」とは、「法の支配」を破壊するアナーキズムの革命用語として1789年のフランス革命(人権宣言)でつくられたものなのである。(フランス革命については、3.フランス革命の真実を参照)

 “法(law)”=“コモン・ロー(common law)”に制限されるべき法律・制定法“legislation

  さて、“コモン・ロー”とは何か。その定義については、マッシュー・ヘイルの『英国コモン・ローの歴史』や、ブラックストーンの『イギリス法釈義』などに書かれているが、ヘイルの定義もブラックストーンの定義も時代の経過によって、やはり、コークの定義より若干変化している。

 ここでは、コークの定義を述べ、コークの趣旨を全く、変えないように集約して分かりやすく定義しなおしてみた。

 コーク曰く、

 「英国法は三つからなる。第一が、王国のもっとも一般的で旧い“法”である“コモン・ロー”。第二が国会の立法による「制定法」。第三が慣習。一般慣習はコモン・ローの一部である」

 「マグナ・カルタ、森林憲章、・・・・の諸制定法、古く遡るその他の制定法―――叛逆罪に関するエドワード三世治世25年の法律など―――ならびに民事訴訟における訴訟開始令状、刑事訴訟における正確な起訴状・・・・は、コモン・ローの本体である」

 「コモン・ローこそが権利である。それは臣民にとって最善の生得権である。なぜなら、それによって、臣民の財産、土地、妻、子供、身体、生命、名誉及び評判が、危害と悪から保護される。 「コモン・ローは、人間が求めることのできる最も確かな安全域であり、また最も弱き人々を保護する最強の要塞

 コーク曰く、

 慣習はもう一つの法である

 「合理的な慣習は、法と同様、遵守されねばならない」

 コーク曰く、

 「いかなるものも、法の適正な手続きによらずしては、・・・・その自由保有土地、生計、自由、自由な慣習、すなわち、自由に生まれたことによる生得の権利によってそのものに属する特権と自由と自由な慣習は、奪われたり処分されたりしない」

 「英国臣民のもっている、最高の相続財産は王国の法である」

 「英国古来からの、すばらしき法は、王国の臣民が持つ生得権で、最も古くからある最高の財産である」

 以上をすべて、圧縮して要約すれば、“コモン・ロー”とは次のように定義される。

 “コモン・ロー”とは、「①マグマ・カルタに遡る古来からの諸制定法(成文法・人定法)の一群、②古来からの民事・刑事訴訟における判例等の一群、③古来からの慣習、これら①②③のうち、英国臣民の私有財産、生命、自由及び(自由とコインの裏表である)道徳(=正義・善悪の基準)を擁護してきたものの神聖な総体」である。  そして、コモン・ローは過去にとどまるだけのものではない。これらのコモン・ローの中から“発見された”、上記の定義を満たす“新しい法”もまた、“コモン・ローの一部”となって加わって行くのである。

 もっと噛み砕けば、「英国の過去数百年間のすべての祖先たちが、叡智を積み重ね、子孫へ世襲(相続)してきた、成文制定法、民事・刑事訴訟における判例および慣習のうち、英国臣民の私有財産、生命、自由及び道徳を擁護するものとして、取捨選択され、現在まで遺ってきたものの神聖な総体」とでも言うべきものである。

 上記の定義を理解してもらえば、次の「真理」が必然的に抽出される。

()“コモン・ロー”に違反(背反)する人定法(立法)は、無効であ る。

 ➡なぜなら、コモン・ローが「唯一、自由の擁護と道徳(正義)の基準」だからであ る。

()“コモン・ロー”=“法”の支配する自由主義国家には「主権」という概念は存在しえない。

 ➡なぜなら、「主権」とは「君主主権」を例に挙げれば、「君主が何ものにも制限されない絶対的な権力を有すること」を意味するから、いかなる権力をも制限する“法の支配”と明らかに二律背反する。それでは、どちらが“正義”にかなっているのか。当然“法の支配”である。その理由は、第一に、コモン・ローの定義上、コモン・ローが唯一の道徳(正義)の基準だからである。それに反する権力の行使は不正義であり、臣民の財産・生命・自由を必ず侵害するからである。第二に、コモン・ローとは定義上、過去のすべての時代のすべての祖先が積み重ねてきた成文法・裁判の判例・慣習の中から選び抜かれた神聖な叡智の集合体であり、一方、君主主権とは、ある時代のある一人の君主(側近を併せても高々数人~数十人の)の理性(薄っぺらで傲慢な知恵)に基づく絶対権力の行使のことである。どちらが正義であるか、臣民の権利を侵害しないか、歴然としているからである。このように、一国の君主(君主の“地位”は必然的にコモン・ローに含まれる、なぜなら過去のすべての時代のすべての祖先が受け入れてきた制度だからである。君主の“行為”はコモン・ローに従わなければならない。)ですら、「主権」など持ちえないのだから、「国民主権」や「人民主権」など、決して存在しえない、概念であることが理解できよう。

 若干補足すると、一国の「君主」は、その国を直接統治しようと、君臨すれども統治せず、であろうと、性格が穏和であろうと、暴れん坊であろうと、必ず幼い時から君主としての、美徳・品格・作法・統治論などのコモン・ローを学ぶ。それでも「主権」を振り回す、専制君主が現れることがある。いわんや、大衆たる、一般国民が「主権」など振り回せばどうなるか、ということである。

 コークは、「権利の請願」(1628年)の主たる起草者であるが、その案文に貴族院が挿入してきた「(国王の)主権」という言葉を「主権は国会の用語ではない」と断固として削った、という有名な話がある。この主権排除のコークの思想とは、先にも述べたとおり、“法の支配”する自由な社会においては、(かつては国王、今日では国民であるが)国内の統治機構に「主権」など存在させてはならぬという法理のことである。米国はこのコークの教えを今日も堅持している。また、160810月、コークはコークはブラクトンの法諺を引いて、面と向かってジェームス一世国王に、「国王は(すべての臣民の上にあるが)神と法の下にあるべきである」と述べた。「法の支配」は国王大権を凌駕すると言ったのである。まず、ジェームス一世国王が、「法は理性に基づいている。自分も裁判官と同じように理性をもっている(から裁判をすることができる)」と発言した。コークはこれに対し、「陛下は英国法(コモン・ロー)に精通しておられない。・・・・などの訴訟は(コモン・ローに精通していない王の軽薄な)理性で決定されるべきでない」と反論した。国王は「そのような物の言い様は、叛逆罪である」と激怒した。この時、とっさにコークは前述の「国王は神と法の下にあるべきである」との歴史に残る名句を述べてその場を切り抜けた、ということである。

 ただし、国王大権を制限しようとするコークの戦いは、王制の絶対的存続を前提としたものであり、また、王と王室へのコークの崇敬は人後に落ちないものであった。しかし、自由の擁護を目的として、コモン・ローの護持とコモン・ロー裁判所の管轄権の防衛のために、コークは自らの政治的失脚のリスクを知りながら、王権神授説をもって絶対主権を考えている国王の権力に果敢に挑戦したのであった。

 コモン・ロー(common law)に制限されるべき制定法“(法律)legislation

 コモン・ローと制定法(例えば立法府のより立法された法律)の関係を述べるため、再度、コモン・ローの定義を確認しよう。

 “コモン・ロー”とは、「①マグマ・カルタに遡る古来からの諸制定法(成文法・人定法)の一群、②古来からの民事・刑事訴訟における判例等の一群、③古来からの慣習、これら①②③のうち、英国臣民の私有財産、生命、自由及び(自由とコインの裏表である)道徳(=正義・善悪の基準)を擁護してきたものの神聖な総体」である。  そして、コモン・ローは過去にとどまるだけのものではない。これらのコモン・ローの中から“発見された”、上記の定義を満たす“新しい法”もまた、“コモン・ローの一部”となって加わって行くのである。

 もっと噛み砕けば、「英国の過去数百年間のすべての祖先たちが、叡智を積み重ね、子孫へ世襲(相続)してきた、成文制定法、民事・刑事訴訟における判例および慣習のうち、英国臣民の私有財産、生命、自由及び道徳を擁護するものとして、取捨選択され、現在まで遺ってきたものの神聖な総体」とでも言うべきものである。

 コモン・ローとはこのようなものであるから、コモン・ローを改変したり修正したりするのを、コークは厳しく戒めた。「コモン・ローの保守」であり、「コモン・ローの死守」である。

 

 コーク曰く、

 

 「コモン・ローの原則が変更されれば、・・・・強奪や抑圧がそれによって生じる。かくも危険である以上、コモン・ローのいかなる原則も基本的なポイントも揺さぶったり、変更したりしてはならない。コモン・ローこそが国家という建物の支柱であり、それを支えているものである。このことは真実である」

 

 「裁判官と賢者の智恵は、コモン・ローの価値を下げることになる新しいまた詳細な新法をいつもつぶした。・・・・ある裁判官は言った、コモン・ローをこれまで常にあったままにして変更してはならない。他の裁判官は言った、変更されたり革新されたりするくらいなら欠陥のあるままにしておいた方がましである」

 

 このように、コークは「コモン・ローが制定法に優位する」と述べる。この「コモン・ローの優位」について、それが制定法の上位にあることを意味しないとの見解もある。制定法によってコモン・ローを修正することもなされるからである。しかし、その事実において、あたかも双方が対等の関係にあるように見做すのはどうであろうか。

まず、第一にコモン・ローはその定義に従えば、英国の過去数百年間のすべての祖先たちが、叡智を積み重ね、子孫へ世襲(相続)してきた、成文制定法、民事・刑事訴訟における判例および慣習のうち、英国臣民の私有財産、生命、自由及び道徳を擁護するものとして、取捨選択され、現在まで遺ってきたものの神聖な総体」であり、制定法は、「ある時代のある限られた人数の英国民の智恵による立法」である。法としての価値と重みは「コモン・ローの方が制定法より数千倍から数万倍重い」のは明白である。これら双方が対等と言うのは、コモン・ローの何たるかを全く理解していない戯言である。そしてコモン・ローとて、人間の智恵の集合体であるから、100%完璧であることなどあり得ない。コモン・ローが100%完璧であると考えること自体が人間の智恵(理性)を完璧と見做す、デカルト的「設計主義的合理主義」の典型ではないか。コモン・ローは95%程度正しいが残り5%は制定法によって修正されることもあるのは当たり前である。それをもって、「コモン・ローと制定法が対等である」というのは“貧困の理性”の“貧困の結論”としか言いようがない。愚論である。

 

第二に、会社で課長(制定法)が社長(コモン・ロー)に意見を具申して採用される社内制度があるからといって、この社長(コモン・ロー)と課長(制定法)が社内で対等であるとは決して言えない。コモン・ローは、制定法に矛盾や実行不可能な部分があればそれを認めず拒否した(廃案とした)。制定法はコモン・ロー修正しても廃案(無効)にできない。歴然としてコモン・ローは制定法の上位にある。

 

 なお、コモン・ローが制定法を否認するのは、単に制定法がコモン・ローに反したから“無効”であるという意味ではない。「コモン・ローの“モノサシ”では、その制定法が一般の正義と条理に違背する」という理由において“無効”であるとしたのである。

 このことは、「マグナ・カルタという制定法は、コモン・ローの確認であり、またはコモン・ローの再生である」と、マグナ・カルタと森林憲章をコモン・ローであるとしたコークが、コモン・ローと制定法の上下関係について次のように繰り返し述べていることからもわかる。

 

 コーク曰く、

 

 「マグナ・カルタと森林憲章に反するすべての制定法はなかったものとみなされる」

 

 「エドワード二世治世17年の法律が、マグナ・カルタのこの第22条に反するのであれば、それは前記のエドワード三世治世42年の法律により廃止される」

 

 とりわけ、「コモン・ロー優位」の原則での司法判断で有名なのが、ボナム事件(王立医師会事件、1606年)である。これは、特定団体に開業の独占権を定める、ヘンリー八世の開封勅許状とそれを確認する二つの法律に違反したとして、ロンドン市内での不正開業の罪で罰金を科せられ、投獄されたケンブリッジ大学卒の医師ボナムの訴えに対し、これらの二つの法律に矛盾があり執行ができないことにおいて無効であると解釈して、認めたのである。

 コーク判決(1610年)

 「国会の制定法が一般の正義と条理に反しているか矛盾するか、もしくは執行が不可能である場合、コモン・ローはこの制定法を抑制し、無効と判決する」

 なお、このボナム事件の判決などによって、アレクサンダー・ハミルトンらが米国憲法に司法審査権(違憲立法審査権)の制度を「発明」するに至ったことは有名である。米国憲法を起草し、既に成立していた13の邦に批准させ施行していく過程の中で、コークの系譜(直接的にはブラックストーンの直系)にあってその忠実な継承者でもあった米国の「建国の父たち」は、米国憲法(178811邦批准)をコモン・ローの発見として起草した。コークは没後150年を経て、米国憲法の基本原理の一つとして蘇った。

 また、「慣習」はコモン・ローであるなら、「コモン・ローの優位」において、慣習に反する法律は、同様に無効となる。

 

 たとえば、現代日本の男女共同参画基本法(19996月)を例とすれば、それは第四条に「社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものにする」と定めて「マルクス・レーニン主義から派生したフェミニズム」を古来から確固として成立している日本国の「慣習」に優位すると定めている。これは、「コモン・ロー及び慣習の制定法に対する優位の原則」と「法の支配という憲法原理」を全く転倒させた“悪法”であり、この法律は“無効”であり、即座に撤廃しなければならない。デカルト的な、人間の社会をいかようにも改造できるという人間の知力への無制限な過信を、フリードリヒ・ハイエク(ノーベル経済学賞受賞・政治哲学者)は“設計主義的合理主義”と名付け批判した。エドワード・コークもそのようなものを「自然的な理性」であると批判した。

 21世紀日本では、急進的な過信と傲慢の「自然的理性」が国全体の支配者となっている。日本は憲法を改正して、“慣習の優位”を定める憲法条項を設ける必要に駆られている。

 

 この節の最後に“憲法”について一言。日本国憲法と明治憲法を比較して、ほとんどすべての憲法学者が、「国民主権」の日本国憲法を“正”とし、条文に明記の一切無い、幻の“天皇主権”の大日本帝国憲法(明治憲法)を“誤”と解釈する。だが、“憲法”とは“コモン・ローから発見し成文化したもの”との観点から眺めて見ると、

『日本国憲法』

 (前文)

 ① 日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも,国政は,国民の厳粛な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基づくものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。 

➡“憲法”とは先に“コモン・ロー”があって、そこから発見した原理を、成文化(明文化)するものであり、その結果、当然のこととして、国家権力は必然的に憲法に制限されるものである。天皇であっても、国民であっても、「主権」など存在しえないし、してはならないものである。 しかし、日本国憲法はこれを完全に転倒し、絶対権力である「主権」が初めにあって、それに反する“憲法、法令、及び詔勅”を排除するとなっている。“立憲主義”、“法の支配”が全く理解されていない。自由主義社会の正統な憲法とは全く言えない。この憲法の規定では「主権」が暴走すれば、すぐにレーニンやスターリンのソ連、ヒトラーのナチ・ドイツのような全体主義国家に反転する。また、それを「人類普遍の原理」と言っている。狂気の憲法である。

② 日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思う。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免がれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

➡「平和を愛する諸国民」とか「平和を維持し、・・・・努めている国際社会」などという概念は他国に関することであって、“日本国のコモン・ロー”に発する、日本国憲法の憲法原理ではない。このような、自国の憲法原理でないことを憲法に明記するから、憲法と現実との乖離が生じるのである。日本の周辺国である、中国・韓国・北朝鮮・ロシアのどの国に「公正と信義」があるのか。「平和を維持し、・・・・努めている国際社会」も同様であり、そのように努めている国家は多いが全ての国家がそうではない。それを「国際社会」としてひとくくりにするのは、正当な論理ではない。 

③ われらは,いずれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従うことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

 ➡政治道徳の法則は国家によって異なる。中国と日本の政治道徳が同じであるか。米国と旧ソ連の政治道徳が同じであるか。あり得ない。政治道徳とは、その国家ごとのコモン・ローによって異なるものである。異なるからこそ対立起き、紛争が起き、戦争が起きた歴史があるのである。その歴史を繰り返さないために国際連合が設立され、普遍的でない国家ごとに異なる政治道徳の対立を調整し、紛争・戦争に至らないようにするのである。

④ 日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う

➡日本国のコモン・ローの一つである、“国防の義務”を第九条で放棄して、自国の防衛もまともにできない国家が、このような崇高な理念を万が一にも達成できるわけがなかろう。愚鈍のパラドックスである。

 第1条(国民主権,天皇の地位)

 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの地位は,主権の存する日本国民の総意に基く

 ➡前半部分は、コモン・ローの成文化、つまり、憲法に制限された制限君主制を述べており、正統な憲法原理である。後半は前述したように「主権」の概念により、法の支配に背反し、憲法原理ではない。しかも、“天皇の地位”はそれ自体“コモン・ロー”であるから、国民の総意によるものではない。よって第一条の後半部分は削除して、第一条「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」とするか、後半部を「この地位は万世一系の世襲による時効である」とすべきである。これが正統な憲法原理である。

これに対し、

『明治憲法』

(上諭)

 朕(ちん)祖宗(そそう)の遺烈(いれつ)を承(う)け万世一系(ばんせいいっけい)の帝位を践(ふ)み朕か親愛する所の臣民(しんみん)は即ち朕か祖宗(そそう)の恵撫(けいぶ)慈養(じよう)したまひし所の臣民なるを念(おも)ひ其の康福(こうふく)を増進し其の懿徳(いとく)良能(りょうのう)を発達せしめむことを願ひ又其の翼賛(よくさん)に依(よ)リ与(とも)に倶(とも)に国家の進運(しんうん)を扶持(ふじ)せむことを望み乃(すなわ)ち明治14年10月12日の詔命を履践(りせん)し茲(ここ)に大憲(たいけん)を制定し朕か率由(そつゆう)する所を示し朕か後嗣(こうし)及臣民の子孫たる者をして永遠に循行(じゅんこう)する所を知らしむ国家統治の大権は朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり朕及朕か子孫は将来此の憲法の条章(じょうしょう)に循(したが)ひ之を行ふことを愆(あやま)らさるへし朕は我か臣民の権利及財産の安全を貴重し及之(これ)を保護し此の憲法及法律の範囲内に於(おい)て其の享有を完全ならしむへきことを宣言す 帝国議会ハ明治23年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時(明治23年11月29日)ヲ以(もっ)テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期(き)トスヘシ将来若此の憲法の或る条章を改定するの必要なる時宜(じぎ)を見るに至らは朕及朕カ継統の子孫は発議の権を執(と)り之を議会に付し議会は此の憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外(ほか)朕か子孫及臣民は敢(あえ)て之か紛更(ふんこう)を試みることを得さるへし朕か在廷(ざいてい)の大臣は朕か為に此の憲法を施行するの責(せめ)に任すへく朕か現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふへし 

 第1条

大日本帝国ハ万世一系(ばんせいいっけい)ノ天皇之(これ)ヲ統治(とうち)ス

 

 ➡明治憲法は上諭及び第一条ともにまさしく“コモン・ロー”の発見、“法の支配”と“主権の制限”及び臣民(国民)の私有財産・自由・道徳(正義)の擁護そのものの成文法(明文法)である。なお、第一条で「天皇が大日本帝国を統治する」としているから、天皇主権ではないか?と短絡的に考える人は、文章の読解力がない。上諭の中で「朕及朕か子孫は将来此の憲法の条章(じょうしょう)に循(したが)ひ之を行ふことを愆(あやま)らさるへし朕は我か臣民の権利及財産の安全を貴重し及之(これ)を保護し此の憲法及法律の範囲内に於(おい)て其の享有を完全ならしむへきことを宣言す」とまさに“法の支配”に基づいて統治すると言っているであろう。よって第一条は天皇「主権」を意味すると解するのは完全な誤謬の解釈である。

 この前文と上諭、第一条を比較しただけでも、現日本国憲法明治憲法のどちらがコモン・ローに基づいた“正統な憲法”であるか一目瞭然であろう。

 

象徴天皇制や国民主権、(似非)平和主義明治憲法そのものは、多少の問題点や欠陥があっても“真の平和主義”であった。昭和天皇の対米開戦回避の聖慮を嘲るように無視し、帝国海軍の統帥権干犯問題などの「明治憲法無視」を犯したのは近衛文麿米内光政永野修身山本五十六等々臣民(国民)の側であったのが歴史事実である。この点についての詳細は7.大東亜(太平洋)戦争の歴史を参照】及び基本的人権の尊重などの狂気のフランス革命原理をもって現日本国憲法が明治憲法より優れているとか、世界に誇れる平和憲法などと叫んでいる日本の政治家・憲法学者・評論家・マスメディアとはいったい何者なのであろうか。どこの国の人間なのだろうか。そんなに日本が気に入らないなら、日本国から出ていくがよい。他の正常で見識のある日本国民をあなた方の思想に洗脳するのはよしてもらいたい。はっきりと申し上げれば、あなた方は、「最貧困の知性の持ち主」か、「精神的に疾患がある人間」か、「日本人の皮をかぶった旧ソ連人or中共人民」というところであろう。「決して正常な、真の日本国民ではない」ことだけは断言する。

(次回へつづく)

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