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保守主義の哲学---自由主義社会において努力して失敗することの意味

 読者の皆様、及びこのブログへ初めて来訪の皆様へ。


 いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙なブログをお読み頂き、感謝するとともに深く御礼申し上げます。


 早いもので、本年もあと数時間を残すばかりとなり、除夜の鐘を聞き終えると新しい年を迎えます。


 振り返れば、本年は、暗愚民主党社民党などの反日極左政党暴挙を阻止するために多くのブログを掲載してきました。


 これらのブログ作成は、〔=ブログ作成者〕の本業の合間日課である、平日夜
20:00~夜中2:00までの約6時間(休日は、家族との余暇時間以外のすべての時間)の読書洋書の読解ネットによる新聞記事の閲覧ブログの作成盟友ブログの記事閲覧コメントのやりとり〔=ブログ作成者〕への賛同批判コメントへの回答などの〔=ブログ作成者自身努力切磋琢磨によって為し得ているものであり、決して過去に貯蓄された智恵・知識のみを用いて社会批判をするという、いわゆる「ブルジョワ学者的」な優雅な生活送っているものではありません


 読者の皆様
には、その点を決して誤解されないようにお願いしたいと思います。


 つまり、〔=ブログ作成者〕がブログ上で社会主義共産主義思想やそのイデオローグ強く批判し罵倒するのは、裕福層ではなく、中間層の中間くらいの身分である〔=ブログ作成者自身が、上記の如く自由な時間自由な目的のために自由に活用している自由主義国家の本質”と“日本国の自由の淵源である法と法の支配”を彼ら社会主義者共産主義者ら破壊しようと画策するからに他なりません。


 今年最後のブログは、ハイエク自由主義哲学要点を噛み砕いてバーク保守主義者である〔=ブログ作成者言葉で述べて締めくくりたいと思います。


 ――自由主義社会において努力して失敗することの意味(ここから)――


 自由主義社会
では個人が各自の個人的目的自由に定めて、それに向かって自由に努力する“選択の自由”を持つ。


 けれども、その目的の追求も、その社会の人間(=国民・人民)すべてが“正義に適う普遍的な行動のルール(=)”を遵守する義務を果たさねば、他者の目的追求の自由を侵害することになる。それ故に、その社会(国家)の“”と“法の支配”と伝統や慣習保守(=伝統と慣習にこそ、自由の法と一体の道徳育まれるから)が絶対不可欠な条件なのである。


 自由主義社会
では、個人は“”を遵守して行動して一生懸命努力しても個人の特定の目的適った結果(=満足いく結果が出るかどうかは不確実であり、誰にも解らない


 そして、目的を達成せんとする努力偶然の幸運が重なった時のみ成功に終わるのであるが、多くの場合がそうであるように、失敗に終わったとしたら、それまでの努力と切磋琢磨無駄であったいうのであろうか


 そうではない
。人間は失敗をするという経験によってのみ次回に同じ失敗を避けて通るための違った努力の方法を見つけることができるのである。


 つまり、自分の目標に向かって一生懸命努力して、その結果失敗に終わっても、その努力は無駄な努力であったのではなく次回に将来に同じ失敗をせず成功する確率を高めるための“経験を重ねるための意義ある努力”であるのだ。


 ところが、社会主義者共産主義者らは、そのような失敗の意味勘違いしている


 社会主義者
共産主義者らにとっては、失敗する者がいる社会も成功する者がいる社会も許されないのである。


 自由な社会
であるから貧富の差が出る貧困者が生まれる。彼らにとって、「」は個人あるのではなくて個人の努力の結果生じる、不平等(=成功失敗)を承認する社会構造(=自由社会という社会構造そのものにあるのだ。


 だから、彼ら人間の理性によって、社会の構造チェンジして、皆が結果平等になる社会造りなおさねばならないと考える。


 つまり、社会の改革革新革命行わなければならないという、社会制度改革信仰である。


 そして、そのような結果平等の社会人工的に創造するための合理的設計書が、デカルトルソーに始まる「デカルト的設計主義的合理主義」の発展的帰結であると彼ら妄想するところの、フェビアン社会主義(=福祉国家)やマルクス主義国家社会主義ファシズムなどである。


 しかしながら、そのような「結果平等の社会は、概念上イメージすることはできても、果たして実現可能なのであろうか


 具体的に、どのような社会制度にすればそのような「結果平等の社会」になるのかを、果たして人間の理性(=頭脳)が予測して設計することができるのだろうか。


 あるいは、人間はその本性上、本当に「結果平等の社会」を歓迎できるのであろうか。


 さらには「結果平等の社会」は人間に希望与え永続的に繁栄する社会ありうるのであろうか。


 などを考えれば、それらが現実的には、「幻想」、「妄想」にすぎないことが解るであろうし、過去社会主義共産主義国家実験の結果を見れば既に自明なのではないか。


 人間は
社会のすべてを知りすべてを理解することはできない


 自分は知っていると思っていても、自分の知っている知識は、社会に溢れる遥かに多くの厖大な智恵比べればほんのわずかな一部分に過ぎないということを知らなければならない


 このような、「人間は無知である」という当たり前の事実は、古代の哲学者ソクラテスが「無知の知」として語り、数千年前に知られていることである。


 そうであるのに、「自分は社会のすべてを知っている」と勘違いして、自分が正しいと信ずるある一つの計画」を立て社会のすべての資源や人々に対してその計画を強制・強要すれば、その計画どおりの「理想の結果平等の社会」が創造できる(=到達できる)などと考えることは「傲慢不遜人間致命的な思い上がり」にすぎない。


 そして、そのような危険な思想を持つ、社会主義共産主義思想政治家らを社会(国家)の統治機構(=政府立法議会)から非暴力かつ無血選挙という手段によって排除することができることが自由主義デモクラシー唯一最大利点なのである。


 ――自由主義社会において努力して失敗することの意味(ここまで)――


 →〔=ブログ作成者〕:国政選挙地方議会選挙地方首長の選挙は、この意味において本来投票へ行くことのみが、デモクラシー社会(国家)の「国民の義務」なのである。


 まさに、来年は統一地方選挙の年である。


 が、その議論はまた来年にしよう。


 さて最後に、読者の皆様、本年1年間、〔=ブログ作成者〕のブログを応援し、また叱咤し、激励して頂いたことに心より感謝申し上げるとともに、皆様が良い新年を迎えられることを心よりお祈り申し上げ、本年最後のブログ掲載とさせて戴きます。


 なお、来年も本ブログを応援して頂き、ご指導とご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


 ※ 年末年始は、岐阜県の実家の方に帰省しておりますので、ブログ更新やコメントの返答は出来かねますのでご了承ください。


【平成
22年大晦日】


エドマンド
バークを信奉する保守主義者神戸発


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