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保守主義の哲学---「人権」についての考察(第2弾)---日本国憲法「第三章 国民の権利及び義務」(その2)


「人権(=人間の権利)」についての考察(第二弾)

日本国憲法第三章 国民の権利と義務」に関する

 バーク保守主義哲学および英米系憲法学的考察について(その2


(Ⅱ)日本国憲法第一条第九条について。

 日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務(第十条~第四十条)を考察する前に、第一条第九条について解説する。

 ① 憲法第一条 ---「象徴天皇制」と「国民主権」という概念の誤解釈は、社会主義革命を正当化させる力を持つ。このため、第一条の「真正の解釈」を以下に説明する。この「真正の解釈」は、全日本国民にとって非常に重要な内容であるため、十分理解して頂きたい。

 第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」

 第一条のいわゆる「国民主権」は、王制廃止のフランス革命ロシア革命を日本国に再現するのに不可欠な、「天皇制廃止イデオロギー」に転用できる左翼勢力の“武器”となりうる。

 しかし、「エドマンド・バーク保守主義」=「真正自由主義」においては、日本国民の権利である「生命/安全私有財産自由/道徳」(→真正保守主義では、平等権は決して認めない認めるのは「法の下の平等」のみである)を政治権力立法議会の暴走から擁護・保護する最後の砦が“法の支配”および“立憲主義”であると考えるから、もし「主権」という概念を適用するならば、“法主権”あるいは“憲法主権”なる立場をとることになり、法の支配”・“立憲主義”が絶対権力であり、「天皇主権国民主権存在しないとする

 しかし、このことは、天皇にも国民にも権利・権力・権限がないということを意味しない

 () 天皇皇室)の地位権限は、“法の支配”・“立憲主義”の下における、「古来の日本国法”に基づく世襲(相続)による時効の権限あるいは憲法及び憲法に規定された皇室典範に基づく地位と権限」である。

 () 日本国民の権利・権力は、“”および“憲法に支配された(=制限された)「国民権」あるいは「国民の権利」である。

 () 「主権sovereign power)」とは、原義は「君主権・君主主権」のことであるが、フランス革命においてロベスピエールらのジャコバン党支配によって単に「君主」を「人民」に置き換えただけの「人民主権(=ジャコバン独裁を正当化するための無制限の絶対権力のことであった→この絶対権力を若干穏健化・現実化したのが国民主権である)」の概念が発生したのである。

 しかし、あらゆる権力が”や“憲法”に完全支配される(=完全制限される立憲主義国においては、「主権」という「絶対的権力」など存在し得ないのは自明あろう。

 この点についてハイエクノーベル経済学賞受賞の政治哲学者)も次のように述べている。

 ハイエク曰く

 「(国内政治において)主権がどこにあるかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこ(=立憲政治)に主権の入り込む余地はありえない。・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる(=国法・伝統・慣習など)がある立法機関(=ある一世代のある一時期の国民の代表者にすぎない集団)の計画的な決定(=法治主義による立法権)から生まれる、という誤った信念(=国法・伝統・慣習は過去の祖先から世襲した叡智の中にあるのであって、永い歴史の中のある一世代のある一時期の国民の代表者にすぎない集団が立法によってつくりだすものではないということ。つまり”と「法律」の相違についての無理解。)に由来する迷信である」

 ●つまり、憲法第一条は、天皇の地位と権限は日本古来の“日本国法”と“憲法”と“憲法に規定する皇室典範”に制限される。また、政治権力の発生源は国民にあるが、その権力は無限ではなく“日本国法”と“憲法”に制限されると解釈されなければならない

 “日本国法”および日本国の歴史において、(天皇の権限<国民の権力)なる構図は(大東亜戦争時を除いて存在しないし比較すべき対象ではない

 ●あくまで、天皇は日本国憲法に規定された“日本国法としての地位を有し、日本国法の下に権限を持つ存在”であり、日本国民は、日本国憲法に権利・権力を擁護された、“日本国法の下に擁護された存在”である。

 この事実を持って「人間の平等に反する」と考える国民は、その国民が生存する高々8090年程度の時代における平等主義教育に汚染された思考であって、2,600年以上の歴史を誇る日本国の祖先である、すべての日本国民や統治者(武家・公家・国民に関わらず)が「万世一系の天皇制度」を畏敬して承認し、次の世代へ世襲(相続)してきたのであるから、高々90年程度しか生存しない現在の日本国民が、2,600年以上に渡って祖先が保守してきた義務を放棄する選択肢など一切ない

 権利はその行使・不行使を選択できるが義務は遵守する選択肢しかない自明の原理であろう

 この程度の日本国民としての「当然の常識」が解らないし、保守主義者がこのように言うとすぐに「昭和天皇の大東亜戦争の責任論」を持ち出して反論することしかできないのが、愚鈍な社会主義者(共産主義者)つまり、「左翼人」という人間なのである。全く愚かな連中である。

 社会主義者の言う「昭和天皇の大東亜戦争の責任論」は全くの虚偽なので、手短に反論しておく。

 しかしながら、読者の皆さんは、私がここに手短にまとめた「歴史事実」を決して忘れてはならない。ここに、「大東亜戦争の隠された真実の核心」があるからである。


 193777日に支那人が天空に向かって2,3発の銃弾を放っただけの単なる盧溝橋事件日支事変(=宣戦布告のない戦争にまで拡大させた時の総理大臣は誰であったか?

 盧溝橋事件後、第二次上海事変に飛び火するが、その時も大山事件という「事件」で日本の軍人ら二名が殺害されたという「事件」にすぎないのに、これに対して日本は支那に対して渡洋爆撃を開始した。つまり、「事変に発展させたのである。

 また、「(反共の自由主義政府であった蒋介石政権を相手にせず」と声明を出し、毛沢東の共産党を勢いづけ、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」を唱え、「国家総動員法」を帝国議会で成立させ、「統制経済を施行して国民に貧困・困窮を強制し、「支那事変をアジア全域に拡大南進・南部仏印進駐)させた時の総理大臣は誰であったか?

 日独伊三国軍事同盟日ソ中立条約の締結をして日本国を全体主義国家の仲間入りさせた総理大臣は誰であったか?

 挙句の果てに、国民学校では「天皇は現人神だ」、「天皇陛下のおっしゃることは絶対であり、逆らってはいけない」などと青少年に徹底教育しておきながら、実際の政治の現場では、昭和天皇から皇居へ呼び出されて、「昭和天皇の対英米開戦反対の意思伝達」(194195日)を受けながら、当日(194196日)の御前会議で、昭和天皇が前日の開戦反対の意思伝達にもう一度念を押された、対英米開戦反対の意思表明である明治天皇の御製の拝誦をあざ笑うかのように全く無視して(→天皇陛下のおっしゃることは絶対ではなかったのか?国民学校での青少年への教育と全く逆の行為をしている)「対英米戦争開戦の準備をすること」を御前会議決定とした時の総理大臣は誰であったか?

 これらを為したのは、すべて同一人物である。これは偶然では片付けられない問題である。

 それは、「コミンテルン32年テーゼ天皇制廃止革命的祖国敗北主義祖国が敗北するように戦争を行い、その敗北の混乱に乗じて共産主義革命を起こせというソ連共産党の命令)」を翻訳した河上肇の弟子であり、純度100%の共産主義者近衛文麿 総理大臣やその側近ではないのか。またこれに協力した帝国陸海軍の軍令部総長や参謀本部総長らではないのか。

 この事実を、レーニンやスターリンを崇拝する社会主義者(共産主義者)は、どのように弁解するのか、ぜひ伺いたいものである。

 さらに、大日本帝国憲法 

 第五十五條 

 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス

 凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

 によって、立憲君主制の下での御前会議の形式性(=近衛文麿らは昭和天皇の聖慮を無視した御前会議決定をした)とこの明治憲法第五十五条の存在において、大東亜戦争における昭和天皇の法的・道義的な戦争責任は一切、問われない責任はすべて国務大臣が負うこととなるのである。

 これで、社会主義者(共産主義者)の持ち出す昭和天皇の大東亜戦争の責任論」による天皇制批判は完全消滅する。

 今度は一転して、保守主義者からのコミンテルン32年テーゼ」に基づいて行動した「近衛文麿の責任問題に入れ替わる

 しかも、近衛文麿を筆頭として、日本国政府首脳部及び帝国陸海軍の将官らが、「コミンテルン32年テーゼ」の「革命的祖国敗北主義なる革命論に基づいて大東亜戦争を実行した(=実際に、近衛文麿は支那事変勃発からパール・ハーバーに至るまでに、三期も総理に就任し、その都度、対英米戦争への準備を着々と進めている)のであるから大東亜戦争の本質とは社会主義者(共産主義者)による日本国史上最大かつ最悪の国家叛逆罪であり社会主義者(共産主義者)やその関連組織(例えば、昭和研究会や満鉄調査部や企画院などの左翼の巣窟)が敗戦して共産革命をおこす目的のために祖国を守らんとし日本国の未来を担うであろう多くの若き青年らに特攻」や「玉砕などを強制して死に至らしめたことになる

 であるとすれば、この「大東亜戦争」とは、戦争の名を借りた社会主義者(共産主義者)による自国民二百五十万人以上の大量殺戮」ということになるのではないか?

 つまり、レーニンやスターリンや毛沢東などが行った自国民大虐殺の狂気の日本版が「大東亜戦争という名を借りた、自爆的大殺戮であった」ということになり、今度は逆に、「昭和天皇の戦争責任を問うていた社会主義者(共産主義者)らが戦前・戦後に結党した社会党社会主義」や「日本共産党共産主義」の「大東亜戦争・大責任論」に発展してくるのではないか、ということになる。

 この問題は、「天皇制が階級闘争の障害である」とか「天皇制が人間の平等に反する」とかの次元の問題ではない。

 「そもそも社会主義者(共産主義者)は人間を人間と見做しているのか?という別次元の問題に発展してくるのである

 これまで、大東亜戦争は、「侵略戦争であったのか自存自衛の戦争であったのか」の議論は多々されてきたが、「なぜ日本が大東亜戦争特に、最初から勝算がほとんどないと誰もが解っていた対英米戦争に突入したのかの答えは極東国際軍事裁判東京裁判後も日本国民にも連合国側にも判然としなかった

 しかし、上記のとおり、対英米戦争への道を着実に進めていった張本人が、社会主義者共産主義者)の近衛文麿総理であったこと、近衛文麿総理が「コミンテルン32年テーゼを翻訳した京都大学教授で、純度100%の共産主義者の河上肇の直弟子であり、彼も純度100%の共産主義者であったこと、「コミンテルン32年テーゼ」が明確に「天皇制廃止と革命的祖国敗北主義を謳っている事実を見れば、「大東亜戦争とはコミンテルン32年テーゼ革命的祖国敗北主義に基づき、完全に日本を敗北させるために、最初から勝算がほぼ皆無と解っていた対英米戦争に日本側から突入し敗戦の混乱に乗じて、「天皇制を打倒・廃止、「日本に社会主義共産主義革命を起こす」という明確な目的で、社会主義者共産主義者)の近衛文麿総理やその側近及び帝国陸海軍の将官および、昭和研究会満鉄調査部企画院などの左翼組織ソ連スターリンと通牒しながら主導した戦争であった」と考えるのが最も歴史事実に則しており、大東亜戦争の不可思議な点が、すっきりと解消するのではないか、ということである。

 この観点に立つと、政府及び帝国海軍軍令部や帝国陸軍参謀本部が、極めて非人道的な「玉砕」や「特攻」を日本国民に強制できたのかも明快である。

 社会主義者(共産主義者)とは、無道徳、無宗教、無神論主義の人間性の欠落した、精神的な欠陥人間だからである。

 これが、エドマンド・バーク保守主義流大局的な大東亜戦争に関する歴史観である


 話を「国民主権」にもどす。

 さらに、英国におけるバーク保守主義の「世襲(相続)の原理理論では、「英国憲法(国体)」・「英国臣民の権利および自由」は、英国の過去の祖先から世襲相続されてきた「相続財産」であるが故に、現在の国王陛下にも英国臣民の権利および自由」を擁護して頂くように要求する。

 そして、その対価として、現在の英国臣民も世襲(相続)の国王陛下に忠誠をつくす義務」および「血統と世襲(相続)に基づく王位とその王位継承を守護する義務を有する(=英国憲法〈国体〉である)、と考えるのである。

 つまり、「(国民の自由=私有財産=世襲〈相続〉の権利)と(国民が血統と世襲による王位〈皇位〉とその継承を守護する義務)は表裏一体である」という法理が、「バーク保守主義の政治哲学の支柱であり、「核心部」となる。

 言うまでもないが、この法理は、エドマンド・バークが個人の理性で合理的につくりあげたものではない。

 バークの第一級の英国史研究とフランス革命を省察する中で、古来の英国法の叡智の中からバークが「発見した法理」である。

 だから、極めて史実に忠実かつ過去との歴史的連続性をもつ明快な法理である

 この法理を日本国に当てはめるならば、次のようになる。

 「皇室典範(=憲法に唯一明記された、憲法と同格の法律に定められた万世一系の皇統世襲(相続)に基づく天皇の皇位と皇位の継承を守護する日本国民の義務」を果たす対価として、日本国民権利および自由」は憲法に定める天皇(皇室)の存在よって「世襲(相続)の権利および自由」として「天皇(皇室)の繁栄とともに、永久不変に附与される」ということとなる。

 ● このバーク保守主義の法理を日本国に再生すれば、私有財産否定の社会主義や共産主義が日本国に棲息する余地は皆無となる

 ● この法理は、日本国・天皇(皇室)・日本国民の悠久の繁栄を指し示す、黄金律(=ゴールデン・ルール)である

 このように、「世襲(相続)の原理」による「国民の権利」とは、「自由を含めて私有財産や名誉その他が複合した権利」であり、文明社会のもたらす、高級な権利である。

 一方、国王(王室)を含め、自国民約50万人を殺戮したフランス革命における、17898月のフランス人権宣言」で初めて発明された概念である「人間の権利(=人権)」は、人間として生まれたという理由だけで与えられる非文明的な未開・野蛮社会での単なる生存という原初的な低級な権利のことである。

 ちなみに、フランス革命とは、ルソー主義ロベスピエール率いるジャコバン党が主導したが、ジャン=ジャック・ルソーとは重度の統合失調症で「オランウータン」や「自然社会の自然人(野蛮人)」を“理想の人間”だと妄想していた狂気の哲学者である。

 そのような哲学から発生した「フランス人権宣言」とその「人権」とはいったい何なのか。

 バーク保守主義者の私には、エドマンド・バークと同じく、ゴミ屑にしか思えない。少なくとも、「人権」とは文明社会に生活する「文明人の権利」でないことは確かである

 以上のバーク保守主義の理論によれば、

 日本国憲法 第一条は

 第一条「天皇は、日本国の元首であり、この皇位と皇位の継承は皇室典範に定められた皇統と世襲に基づく」

 2「すべて日本国民は、前項に定められた皇位および皇位継承を守護する義務を有する」

 と規定されるのが、“日本国法”及び二千六百年に及ぶ日本国の歴史に鑑みて、最も妥当ではないかと思われるし、国民がこの義務を果たすことによって、つまり、天皇(皇室)の皇位と皇位継承を守護することで、将来世代にどのような独裁的あるいは専制的政治権力が出現して、「日本国民の権利と自由」を弾圧しようとしても天皇(皇室)の国民保護権限の発動義務によって独裁的あるいは専制的政治権力の行使が回避されるのであれば、日本国民にとって利益極まりないことではないか。


 「人権(=人間の権利)」についての考察(第二弾)

 日本国憲法第三章 国民の権利と義務」に関するバーク保守主義哲学および英米系憲法学的考察について(その3)へ続く。


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テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

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