保守主義の哲学---「人権」についての考察(第2弾)---日本国憲法「第三章 国民の権利及び義務」(その3)


「人権(=人間の権利)」についての考察(第二弾)

日本国憲法第三章 国民の権利と義務」に関する

バーク保守主義哲学および英米系憲法学的考察について

その3


 ② 憲法第九条---「第九条の問題をGHQに責任転嫁する論理は間違いである」

 第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この憲法第九条については、保守主義者と言われている者の間でも、嫌米一辺倒のあまり、間違った批判をする者がいる

 つまり、「第九条は、日本が自衛もできない亡国へと自壊させることを狙ってGHQ(米国)が押し付けた」という批判である。

 しかし、日本国憲法が公布されたのは、1946年(昭和21年)113日であり、その時、日本はGHQの占領下にあり、国家主権を喪失していたのであるから、国防(軍隊や諜報・防諜機関)も占領軍が代行する以上占領下では第九条のような協定は締結されても何らおかしくない

 そもそも、占領中は、日本国は国家主権を喪失しているのであるから、国家主権の発動たる戦争を行うための軍隊をもつ条文が憲法に規定できなかったのは、当然の措置と言える。

 だから、GHQによる日本国の占領期間終了直前の1950年の年頭、ジョン・フォスター・ダレス特使が来日し、米国は主権回復と同時に第九条の改正をするよう吉田茂総理に要求している

 これを拒否し、日本は占領下と同じ憲法でよいとしたのは、日本側であって、米国側ではい1952428日の日本国の主権回復以降も、日本の自由意思において、積極的に堅持されたのであり、すべての責任は日本国にあるのである

 それはさておき、憲法第九条の武装解除条項は、日本をソ連軍に無血占領させるに好都合なものであり、日本の極左勢力が単独で暴力革命をおこし成功するためにも好都合である。

 このため、旧社会党や日本共産党は、「憲法第九条死守」「護憲運動」「非武装中立」を絶叫し、「平和主義」とすりかえて、国民を欺いてきた。

 戦前の「労農派」は戦後、日本社会党左派の理論集団である社会主義協会に継承され、1968年決定された「社会主義協会テーゼ」には向坂逸郎の意向が強く反映した。

 向坂逸郎は、1960年代後半からソ連などの社会主義国に急速に接近し、チェコスロバキア侵攻(1968年)やアフガニスタン侵攻(1980年)を公然と支持した。

 雑誌のインタビューでは、「プロレタリア独裁の下では政府に反対する言論表現の自由は絶対にない日本に社会主義政権が誕生すれば非武装中立を見直す」と、社会主義政権下での言論の自由を否定するだけでなく社会党の党是であった護憲・非武装中立政策は資本主義の間だけの事であって社会党政権になれば直ちに社会主義憲法に改訂軍備を持ってワルシャワ条約機構に加入する事を示唆する発言をした。『諸君!19777月号『マルクスよりもマルクス』(インタビュアーは田原総一朗

 これが、旧社会党(現・社民党+現・民主党 横路グループら)の化けの皮である

 さらに社会党は、北朝鮮による日本人拉致問題に関しても、すでに日本の捜査当局が認定している誘拐殺人の刑事犯罪を、あろうことか「疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件」だと、“拉致でっち上げ”のキャンペーンをした『月刊社会民主』(19977月号、2933頁)が象徴的に証明するように、社会党がなしてきた捜査妨害や拉致被害者救済妨害は、社会党あげての政治行動であった。

 「護憲運動」のリーダー似非平和主義者土井たかこがその中心人物であった。

 また、「人道援助」という嘘ラベル(➡援助米が飢餓の人民に届かず、朝鮮労働党幹部や軍隊にしか渡らなかった)を貼って、北朝鮮へ百万トン以上の「党幹部・軍隊用の米」を日本人の税金で買ってやり、北朝鮮の核開発まで促進した、北朝鮮の対日戦争遂行能力の維持と強化に協力した日本の政治家を列挙すれば、以下のとおり。

 村山富市(マ)、田辺誠(マ)、金丸信野中広務(マ)、河野洋平(共)、加藤紘一(マ)、福島瑞穂(マ)、辻本清美(マ)、三木睦子(共)、土井たかこ(マ)。(マ)はマルクス主義者、(共)共産主義者

 さらに、土井たかこは、19908月のイラクのクウェート侵攻に際し、サダム・フセインに恋をした、それは独身であり続けた土井たかこの「生涯一度の恋」だった、と噂された。

 具体的に言えば、クウェートの婦女子が、イラクの兵士にレイプされているという噂の飛び交っているときに、約一千名が殺され、数千名が生きたまま眼をえぐりとられたとかの肉体的拷問を受けているとアムネスティの団体が報告書(19901219日)を発表した後に、そして実際に数百名が誘拐されていたそのときに、ショッキング・ピンク色のスーツと真珠のネックレスに真っ赤に口紅をぬって、アンマン(ヨルダンの首都)の空港で八時間もねばってサダム・フセインに会いに行ったのである(1991113日)。

 このように、社会主義者とは、「一切の人間性や道徳性を喪失した非人間」である

 社会主義思想とは、道徳を拒絶し道徳を否定するイデオロギーであり、社会主義的人間は「権利」の要求ばかりする

 保守主義思想とは、道徳・美徳を人間の至上の価値とするイデオロギーであり、道徳的人間は、自らに義務を課し、自助の精神を重んずる

 人間とは、元来、自己利益優先の本性を持つため、「自己の権利要求」ばかりが許される「社会主義的人間」であることを好み、選択しようとする。

 しかし、文明社会(国家)の国民としての人間は、自己に義務と自助を課す道徳的人間」であらねば、すべての国民の間に権利要求の闘争が生じ、権利調整不全財政破綻による「文明社会(国家)のアナーキズム化が起こる。(これが、社会主義革命第一段階国民が根内草的個人に分解し、アトム化する

 この時、アナーキズム化を抑圧するため、「文明社会(国家)」の政府(政治権力)は国民の権利要求の弾圧に反転し専制的全体主義国家」が誕生する。(これが、社会主義革命第二段階当面の達成段階

 現実にはこの第二段階でストップするのだが、社会主義者は、未来主義進歩主義の空想・妄想に洗脳されているため、第三段階最終段階)にはこの「全体主義国家」が「理想のユートピアになるという。(これが、現実には永遠に到達できない社会主義革命第三段階

 つまり、国民が、自らの「権利」要求しかせず、自らに義務を課し、自助の精神を重んじないならば、最初に自らの「権利」要求するための文明社会(国家)そのものが崩壊寸前に至る

 このとき、必ず、政府政治権力、国家を維持するために、一転して国民の権利の抑圧・弾圧に向かう

 そして次には、権利を抑圧・弾圧する国家国家に叛逆して権利を主張する国民を大量殺戮する国家、いわゆる、狂気の「全体主義国家」を国民自らが誕生させてしまうのである。

 この簡潔で当然の「文明社会(国家)存続の根本原理」と「全体主義国家の形成過程の原理」を理解し、現在の日本国が前者と後者のどちらの側に傾斜しているかを洞察し、後者に偏った日本国を前者へ回復させようとする思想が真正の保守主義思想」である。

 少なくとも、エドマンド・バーク保守主義(哲学)及びバーク保守主義者とは、そのような政治哲学・政治哲学者/政治家である

 なお、ここまで理解して頂いた読者の皆さんは、過去に自民党が過去に成立させようとした「人権擁護法案」や鳩山由紀夫政権が成立させようとしている「人権侵害救済法案」が上記の社会主義革命の第一段階から第二段階への移行を超加速させるための法案であることが、解るであろう。

 この法案に、自民・民主関係なく、賛成する政治家は社会主義・全体主義を志向する左翼政治家」であり、断固として反対する政治家は自由主義を志向する保守主義の保守政治家」と判断してまず間違いない。ただ、極左の中曽根康弘を典型とする思想本籍を隠した政治行動をとる政治家が多いのも事実である。

 以下に、「道徳破壊の哲学者の一部道徳重視の哲学者の一部」と「その妄言の一部名言の一部」を簡潔に紹介する。

 道徳破壊(=その著書を読まない方がよいの哲学者ルソーヘーゲルマルクスベンサム、JS・ミルニーチェフロイトH・ケルゼンなど

 ● ルソー:「だから、統治者が市民に『汝は国家のために死なねばならぬ』と言うときには、市民は死ななければならないのである」(ルソー『社会契約論』、光文社古典新訳文庫、76頁)

 ● マルクス:「新しい社会を生みだす血まみれの陣痛の苦しみを短くする手段はたった一つ、・・・革命的テロリズム(=大量殺戮)という手段しかない」(マルクス「ヴィーンにおける反革命の勝利」『マルクス・エンゲルス全集』第五巻、大月書店、78頁)

 ● マルクスエンゲルス:「共産主義革命は、継承された所有関係との、もっとも根本的な断絶である。その発展行程において、継承された諸理念(=宗教的、道徳的、哲学的、政治的、法的諸理念と自由、正義などの永遠の諸真理)と、もっとも根本的に断絶することは、おどろくにあたらない」(マルクス/エンゲルス『共産党宣言・共産主義の諸原理』、講談社学術文庫、4445頁)

 道徳重視(=その著作を読むべきの哲学者バークアクトントックヴィルブルクハルトハイエクポパーHLAハート

 ●バーク:「我々は神を怖れます。畏敬の眼で王を見上げます。議会に対しては愛着の、判事たちに対しては服従の、聖職者に対しては崇敬の、貴族に対しては尊敬の、眼を上げます。何故でしょうか。心の中でそうした観念を前にする時、そのように心を動かされるのが自然だからです。それ以外の感情は嘘偽りであって、精神を腐敗させ、根本的道徳を損ない、我々を道理に適った自由に不向きにさせるからです」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、2009年、110頁)

 ●トックヴィル:「道徳の支配なくして自由の支配をうち立てることはできない」(トックヴィル『アメリカの民主政治』上巻、講談社学術文庫、36頁)

 ●ヒューム:「道徳の規則は理性(=人間の知的判断)の決定なのではない(→道徳とは人間の理性で判断して決定するものではなく、法・伝統・慣習の中に普遍の道理として固定しているものである、ということ)」(ヒューム『人間本性論』、『ロック ヒューム』、中央公論社「世界の名著」第三十二巻、519頁)

 ●ハイエク:「自由は深くしみこんだ道徳的信仰なしには決して作用しない」(『ハイエク全集』、第五巻、春秋社、93頁)

 (→中川八洋・渡辺昇一 共著『教育を救う保守の哲学』、2003年、92102頁より部分的に引用有り)

 (参考資料

「人権」第二弾(その1)_image001.jpg

 

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