保守主義の哲学---「人権」についての考察(第2弾)---21世紀日本国へ・バーク保守哲学による人権批判論(その3)


「人権(=人間の権利)」についての考察(第二弾)

法と自由と道徳(義務)の関係

道徳義務)と権利権利行使の自由の関係

に関するバーク保守主義哲学および英米系憲法学的考察について(その3

 


 

 21世紀の日本国及び日本国民の「人権呪縛」「人権金縛り」から身を守る理論的武装としてのバーク保守哲学その3

 (4) 日本国憲法 「第三章 国民の権利及び義務」の解説

 ここでは、英米系憲法思想及びバーク保守主義の観点から、第三章 国民の権利及び義務 の条文について、特に重要と思われる個所についてのみ解説する。

 具体的には、第十条、第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条、第十九条、第二十条、第二十一条、第二十四条、第二十五条についてである。

 なお私の解説は英米系憲法思想及びバーク保守主義の観点からの解説であるので、大学法学部の憲法学の教科書のような一般的な逐条解説ではないので了承頂きたい。

 第十条  日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

 →私の解説:この日本国憲法 第三章は、表題のとおり、文明国家である日本国の日本国民の権利」(=文明国民の高級な権利)について規定しているのであって、テロル煽動書であるフランス人権宣言(→私のブログ「テロルの経典 フランス人権宣言」を参照のこと)を称賛するような、野蛮で低級な自然人の権利を意味する「人権(=人間の権利)」を規定したものではない。

 このため、第三章で規定する権利はすべて日本国民のみに適用される外国人に適用する立法行為や行政行為はすべて憲法第九十八条違反であり、裁判所に立法行為や行政行為の取り下げを訴えることができる。

 この日本国民たる要件を定めたのが「国籍法」である。在日外国人で日本国民と同等の権利を得たいのであれば国籍法4条~第9で規定する帰化による日本国籍の取得をすることが必要条件である

 第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

 →私の解説英国も米国もその憲法において人権(=人間の権利を拒絶していて、憲法上は人権は全く存在しないフランスも、「人権」発祥の国でありながら、1875年の第三共和国憲法以降、「人権」を可能な限り払拭しようとしてきた。

 「人権」は、これらの国家でも存在しないわけではないが、国連と日本のみに人権が妖怪の如く徘徊している。「人権に呪縛されている国は世界中で日本だけでしかも最も極端であり、批判することをタブーとする「人権信仰」となっている。

 しかし私は、これから、平気で「人権批判」する。

 日本国民の狂ったような人権信仰は、19462月に、無国籍的アナーキストロウスト中佐GHQ民政局所属)がこの第三章を担当したことに始まる。

 米国憲法には、米国籍を持つ米国民の権利という概念はあるが「人権」という概念は皆無であったから、ホイットニー民政局長のような“リベラル中のリベラル米国人にとってすら、「米国民の権利」より一ランク下にある「公民権(=civil rights)」を発想するのがやっとであった。

 ホイットニー民政局長は、ロウスト中佐にあくまでも「civil rightsの章」の起草を命じたのである。(高柳賢三ほか編著『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、有斐閣、110頁)

 オランダ生まれで永くインドに在住だった無国籍的な地球放浪者のロウスト中佐は、局長命令の「civil rights」を無視して、勝手に「fundamental human rights基本的人権)」などという非米国的で、白骨化したフランス革命時の人権概念を墓場から掘り出してきたのであるが、それがそのままGHQ憲法となったのである。(高柳賢三ほか編著『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、有斐閣、216頁)。

 1946年当時、「人権発祥の国であるフランスでさえ、1875年の第三共和国憲法の制定によって、憲法からフランス革命の人権なる概念を憲法条文から完全消滅させていたにもかかわらず、である

 ただし、第十一条の「基本的人権」はその条文からして、「人権(=人間の権利とイコールではない

 「この憲法が国民に保障する基本的人権」であるから、あくまで日本国憲法が日本国民に保障する国民の権利としか読めない

 つまり第十一条の「基本的人権」は第三章に掲げる「国民の権利としか解釈できないし、一般的な「人権(=人間の権利)」と解するのは論理的に不可能である。それは、「現在及び将来の国民に与へられる」からも自明である。

 なお、上述したが、英米系憲法学の観点からすれば、「この憲法が国民に保障する基本的人権」の「保障」とは、「憲法が基本的人権(=国民の権利)の安全確保に責任を持ち、その地位や状態を維持するという意味」であって、「ある特定の権利に対して政府権力が積極的な財政支援等の保障を約束したり国民からの権利拡大要求を政府権力が無差別的に容認したりすることを意味しない

 このような解釈は政府権力を無制限に拡大させ政府権力が専制権力に反転する危険性を増大させるからである

 第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ

 →私の解説:前半部も意味が不明瞭であるが、それよりも後半部の解釈の仕方によっては極めて危険な条文となる。

 前半部について:「国民の自由と権利は憲法が保障すると言いながら、国民がこれを保持する努力をしなさい」というのは何とも不可思議文章だが、「これ」を「憲法」と読めば、「自由と権利を保障する憲法とその仕組みである立憲主義を絶えず保持する努力をしなさい」ということであろう。

 後半部について、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」は解釈によっては、フランス人権宣言 第一条「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は共同の利益に基づくものでなければ設けられないと同義の全体主義体制の条文となりかねない。(→私のブログ「テロルの経典 フランス人権宣言」を参照のこと)

 しかし、「公共の福祉」の意味がどのようなものであったとしても、「自由および権利は・・・常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と目的を拘束するのは危険である。

 ここは、英米系憲法学立憲主義の思想からすれば、「自由および権利は・・・この憲法の保障の範囲内で、これを利用する責任を負ふ」とするのが適当ではないかと思われる。

 第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 →私の解説第一に、「個人として尊重」と合わせて、第二十四条の第二項の「個人の尊厳」についてであるが、これらの規定は、いずれも文明的人間(→以後、文明人とする)である日本国民の「自由」にとって危険な思想である。なぜなら、「個人としての尊重」や「個人の尊厳」の生成過程とは次のとおりだからである。

 “法の支配”・“立憲主義”→文明人の自由の擁護文明人の権利の自由な行使自己研鑚による人並みすぐれた能力熟成した人格の形成→「個人としての尊重」や「個人の尊厳の獲得という過程である。

 ところが、このような過程を一切無視して、憲法で「単に個人であるが故に尊重されるとか尊厳がある」と規定することは、文明人の自由や自助の精神を否定することである。

 そもそも、文明人が、「人並みすぐれた能力」・や「熟成した人格を形成する自助努力をすることなしに「個人であるから」という理由だけで尊重されたり、尊厳があるとみなされたりする現実は決して存在しない

 また、国家権力とは両刃の剣であって、英国・米国・日本のように個々の国民の自由を擁護もすれば、ソ連や北朝鮮のように自由を剥奪する場合も多い。

 現在の日本国民は日本国政府という政府権力が必ず前者に留まりつづけ後者に反転する可能性を全く想定したり警戒したりする姿勢がない。対外的な軍事的「平和ボケ」と同等の内政的「平和ボケ」というべきか。

 鳩山政権が国会提出しようとしている「在日外国人地方参政権付与法案」、「選択的夫婦親子別姓法案」「人権侵害救済法案」の亡国三法案は、現在、何とかぎりぎりのところで前者にとどまっている日本国を一気に後者に引きずり込もうとする法案である。日本国民にはもう少し政治の見方・考え方の一般常識を学んでもらいたいものである。

 レーニンも金正日も、自然的に成長した階級組織家族/親族の血縁組織宗教的信仰に基づく組織地縁に基づく近隣居住者のムラ組織・会社などの職場組織などの「中間組織」の絆すべて破壊した

 自由社会とはその自由を擁護するために人間が個アトムになることを回避する中間組織の存在の自由を認める社会のことである。

 つまり、個人の弱小な力ではなく組織という人間集団の絆の力で国家権力の自由の侵害行為に対抗するのである。だから「アトム)」とは人間が確実に隷属や牢獄に至る道なのである

 レーニンや金正日が中間組織を破壊したのは、その集団的抵抗力を喪失させるためであった。

 「個人の尊重」や「個人の尊厳」は、国家が「中間組織」の中に権力の手を差し込まない状態において、この「中間組織」における親しい人々から激励されたり、人徳を仰ぎ慕われたりして獲得されるものである。憲法がそれを条項とすること自体が危険な反憲法的行為であってこの条項は削除されるべきである

 なお、社会主義者ジョン・デューイの教育哲学に基づく、日本国の「個性重視」「個性尊重」という社会主義化教育論については別途ブログで紹介する計画である。

 第二に、「幸福追求に対する国民の権利」つまり「幸福追求権」についてであるが、まず、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』での解説は次のとおりである。

 ○「幸福追求権とは日本国憲法第13条に規定される『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』のこと。新しい人権を導き出す論拠とされ憲法制定以後の社会情勢の変化に伴いこの権利を根拠に様々な権利が主張されるようになった

 ○「導き出される内容:プライバシーの権利 、環境権、日照権、静謐権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権 、アクセス権 、平和的生存権。しかし、判例が認めるのは、プライバシーの権利としての肖像権ぐらいである(京都府学連事件、最高裁判所昭和441224日大法廷判決) (以上は芦部信喜『憲法 新版』(岩波書店、1997年)116頁による)」

 ○「自己決定権は権利か:自己決定権を憲法から導き出そうとすれば、それは日本国憲法で言えば13条の幸福追求権から導き出せるものであり、文言からすれば「公共の福祉に反しない」限りにおいて尊重される。しかしながら、ある特定の行為を自己決定権として裁判で明言することは、そのことについて権利としての先例を作ることになり、司法の側には困難が伴う。現時点で自己決定権を正面から認める最高裁判所判例は存在しないとされる

 この、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説によれば、第十三条の「幸福追求権」から「あらゆる新しい権利」が引き出せるということになる。

 私は、この幸福追求権の解釈こそが日本国の人権呪縛人権金縛りの「核心」であると考えるに至った。しかも、英国のマルクスと言われるJ・S・ミルの提唱した「自己決定権までも幸福追求権から引き出せるなどの言説は、司法権(裁判所)が認めていないのが幸いであるとしても、解釈の範囲すら超越している暴論である

 そこで、まず米国権利章典(=米国民の権利条項)について調べてみると、

 (イ)ヴァジニアの権利章典1776年、米国建国前のヴァジニア邦憲法

 「(一)かかる権利とは、すなわち財産を取得所有し、幸福と安寧とを追求する手段を伴って生命自由とを享受する権利である」(宮沢俊義ら編『人権宣言集』、岩波文庫、1987年、109頁)

 (ロ)独立宣言1776年)@「造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利(=自然権)を付与され、そのなかに生命、自由及び幸福追求の含まれることを信ずる」(宮沢俊義ら編『人権宣言集』、岩波文庫、1987年、114頁)

 ただし独立宣言(1776年)と米国憲法(1788年)及び米国建国(1789年)には思想的連続性は皆無であり、米国憲法では自然権なる概念を一切排除していることに注意すること。

 (ハ)マサチュセッツ憲法1780年、米国建国前のマサチュセッツ邦憲法

 「第一条 全ての人は、・・・一定の諸権利(=自然権)を持っている。これらの権利の中には、生命自由とを享受しかつ擁護する権利財産を獲得し、所有し、保護する権利すなわち人々の安全と幸福とを得る権利が当然含まれている」(宮沢俊義ら編『人権宣言集』、岩波文庫、1987年、117頁)

 (二)米国憲法修正十カ条1791年)(=いわゆる「権利の章典」)

 「修正第五条 また、正当な法の手続きによらなければ、その生命自由または財産を奪われない。また正当な賠償なしには、私有財産を、公共の用途のために、徴収されない」(宮沢俊義ら編『人権宣言集』、岩波文庫、1987年、121頁)

 「修正第九条 憲法中に特定の権利を列挙した事実を持って、国民の保有する他の諸権利を否認し、または軽視したものと解釈することはできない」

 この条文の意味は、「修正十カ条に列挙された米国民の権利に限ってのみ、政府権力が関与し侵害してはならないという意味ではないし、十カ条には列挙されていない米国民の所有する権利に関して、政府権力が否認しまたは軽視して関与し、侵害しても良いということではない」ということである。

 


 

 保守主義の哲学---「人権」についての考察(第2弾)---21世紀日本国へ・バーク保守哲学による人権批判論(その4)へ続く


 

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