保守主義の哲学---「天皇の公的行為について」の政府見解全文は狂気の暴論である---バーク保守哲学的解説(その2)


「天皇の公的行為について」の政府見解全文は狂気の暴論である

バーク保守哲学的解説(その2)


(年月日)2010.2.25 16:08・・・鳩山政権


(発言/内容)➡「天皇の公的行為について」の政府見解全文

 「天皇の公的行為について」とする政府の統一見解は次の通り。

 1、いわゆる天皇公的行為とは、憲法に定める国事行為以外の行為で、天皇が象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われるものをいう。天皇公的行為については、憲法上明文の根拠はないが象徴たる地位にある天皇の行為として当然認められるところである。

 2、天皇公的行為は、国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要ではないが、憲法第4条は、天皇は国政に関する機能を有しないと規定しており、内閣は天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている

 3、天皇公的行為には、外国賓客の接遇のほか、外国御訪問国会開会式に御臨席になりおことばを述べること新年一般参賀へのお出まし全国植樹祭や国民体育大会への御臨席など、様々(さまざま)なものがあり、それぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは現実的ではない

 4、したがって、天皇公的行為については各行事等の趣旨・内容のほか天皇陛下が御臨席等をすることの意義や国民の期待など様々な事情を勘案し判断していくべきものと考える

 5、いずれにせよ、内閣は天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っており今後とも適切に対応してまいりたい。(2010.2.25 16:08  MSN産経ニュース)


私のコメントつづき➡「3、天皇公的行為には、外国賓客の接遇のほか、外国御訪問国会開会式に御臨席になりおことばを述べること新年一般参賀へのお出まし全国植樹祭や国民体育大会への御臨席など、様々(さまざま)なものがあり、それぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは現実的ではない。」について。

 『政府見解文』の1及び2の暴論的解釈・見解は、この3に掲げている天皇陛下の公的行為の既成事実をこじつけるための作為であろうことは解っているが、あまりにも異常すぎる論理矛盾の大暴論であり、このような解釈・見解は、日本国憲法に対する大いなる侮辱である。

 鳩山政権の閣僚には政権担当の資質どころか国会議員の資質も日本国民としての資質もないまたこのようにひどい幻聴・幻覚的憲法解釈しかできないのなら人間としての資質までも疑問視される

 3は、1及び2の暴論的憲法解釈によって肯定されていると妄想する天皇陛下の「公的行為」として既成の事実となっている項目「天皇公的行為には、外国賓客の接遇のほか、外国御訪問国会開会式に御臨席になりおことばを述べること新年一般参賀へのお出まし全国植樹祭や国民体育大会への御臨席など、様々(さまざま)なもの」を列挙し、「統一的なルールを設けることは現実的ではない」として、200912月の30日ルールを無視した、天皇陛下の明らかな政治利用である、中共の習副主席との突然の会見設定のように、天皇陛下の公的行為のルールは決めずにその都度政府の判断に従ってもらう(=政治判断させてもらうと言っているのである

 鳩山政権および民主党とは日本国憲法も天皇陛下もお構いなしに政治権力によって支配下に置きすべて政権与党の数の力で決定しようとする真正の独裁政党の様相を呈している極めて危険で悪質な専制的全体主義政党である。

 今後、鳩山政権

 在日外国人地方参政権付与法案(=日本国民としての存在意義を失わせ、出生率低下による日本国民の減少が顕著となる数十年後を目標に、日本国家を解体させる効力をもつポストモダン的反日法案)、

 選択的夫婦親子別姓法案(→共産党宣言の「家族の解体・廃止」政策を目標に据えた共産革命法案)、

 人権擁護法案(→権利のみを主張し、義務〈道徳〉を放棄する社会主義的人間の増加促進と個人間の権利衝突による個人のアトム化(=根無し草的個人化)を推進する国家解体法案で、その真の目的は決して権利を保護するものではなく、権利衝突を起こしやすいようにすることにある。

 ただし、テレビや新聞等の報道機関は対象外とし、インターネット・サイトのみ対象とする密約があるような話もあるので、マスコミはこの法案の危険性を大きく取り上げない可能性がある)

 を提出し次々法案可決していけば気付いた時には日本国・日本国民は悲惨な状況に陥っている可能性が大である日本国民は1日も早く鳩山由紀夫政権及び民主党を解体せねば大変なしっぺ返しを食らうことになる

 「4、したがって、天皇公的行為については各行事等の趣旨・内容のほか天皇陛下が御臨席等をすることの意義や国民の期待など様々な事情を勘案し判断していくべきものと考える

 「5、いずれにせよ、内閣は天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っており今後とも適切に対応してまいりたい

 4、5は、つまるところ天皇の公的行為については、趣旨・内容・天皇陛下の臨席の意義・国民の期待・憲法の趣旨に従って政府が決定するということである。

 しかし、趣旨・内容・天皇陛下の臨席の意義・国民の期待・憲法の趣旨などを、上記の天皇陛下の「公的行為」の憲法的位置づけの暴論的解釈のように、政府や民主党が自身の都合の良いようにねじ曲げるのであるから、結局独裁すると表明しているようなものである

 小沢一郎の「私の意見は国民の意見なぜなら総選挙で民主党に過半数を与えたのは国民だから」の趣旨の発言が多いことからも解るであろう。「政府・与党の決定(=独裁は国民の決定であるから、逆らうな」という意味である。小沢一郎の「私の言葉は、民主主義による国民全体の意見」なる発言は、ルソーの社会契約論』で言うところの「立法者小沢一郎」の「一般意志日本国民全体の意志と全く同義の発言である。

 このような政府・政党がルールなしで独裁的に天皇陛下の公的行為のあり方を決定するのは極めて危険であるし天皇陛下への畏敬の念が微塵も感じられぬ日本国民として恥ずべき行為である。

 天皇陛下の国事行為及び「公的行為」については、天皇陛下のご体調なども考慮すべきであるから、一定のルールを提示し天皇陛下および宮内庁長官の了承を得るべきである。それが、日本国民と日本国民の代表たる政府・与党に課せられた、日本国の君主たる天皇陛下に対する最低限の礼儀ではないか、と私は思うのだが。

 ところで、解決せねばならない問題として残るのは、日本国憲法発布以来、現実問題として、天皇陛下の国事行為には該当しない、「公的行為」といえる、外国賓客の接遇のほか、外国御訪問国会開会式に御臨席になりおことばを述べること新年一般参賀へのお出まし全国植樹祭や国民体育大会への御臨席など、様々な行為が行われてきたし、現在も行われているという既成事実をどのように正当化すべきかという問題である。

 成文憲法としての日本国憲法の第一章の条文解釈だけでは、上記の政府見解のとおり、暴論的な、ねじ曲げ解釈となり、論理的には決して結論できない。

 そこで、天皇陛下の「公的行為」の解釈に、エドマンド・バーク保守主義における国法”=“憲法”の定義を導入してみる。

 ●『政府見解文』の「憲法(2)」=エドマンド・バーク保守主義での“国法”=“憲法”とする定義に基づく考察

 上記(2)エドマンド・バーク保守主義の“国法=憲法とする定義からすれば、天皇陛下はその存在と地位自体が日本国法そのものとしての存在”=“憲法そのものとしての存在”のであるから、天皇陛下の行為→国政に関する権能も含む)が「日本国法の下(=制限内でなされる限り」において、元来その自由意思自由行為認められて然るべきであると考える(→ただしこれは、現在の「憲法(1)=憲法典=成文憲法=日本国憲法の改正が前提条件である)。

 なぜなら、上記のエドマンド・バーク保守主義での“日本国法”=“憲法”の定義②において、“日本国法=憲法”とは、「コモン・ローの法理を祖先が成文化した「制定法の一群のうち、世襲相続の原理による歴史の取捨選択を受けてもなお、現代にまで遺り、「真正の自由を擁護する諸原理」と定義しているからである。

 逆に言えば、極左の気狂い的な鳩山由紀夫政権や極めて危険で悪質な専制的全体主義政党である民主党のような、日本国を好んで解体しようと試みる政治権力でさえ真正の自由を擁護する諸原理である「“日本国法”=“憲法の制限内での天皇陛下の自由意思や自由行為が容認されていれば天皇陛下は国民の自由や権利を保護・擁護する最強の要塞・砦となるのである

 この天皇陛下皇室の「自由と権利の砦としての権威」という極めて大きな存在意義に日本国民は気付かねばならない

 つまり、一国の国王に対する「王権神授説に基づく絶対君主専制君主」などの否定的事実は、“法の支配”・“立憲主義”が確立されていなかった近代以前の昔話である。

 “法の支配”・“立憲主義確立成文憲法天皇は国民の自由と権利を犯す行為をしてはならない」という趣旨の一文を挿入すれば、立憲君主制国家における君主の存在は他のいかなる共和制の国家よりも極めて肯定的で国民の自由と権利の保護・擁護にとって最も有効な砦と反転するのである

 このことは、近代以降の世界史を見れば、明白である。

 1789フランス人権宣言を号令として始まったフランス革命による国王殺しに伴うジャコバン党(=第三身分)による自国民50万人の虐殺、

 ロシア革命による国王一家の虐殺以降の共産ソ連のレーニンスターリン(=共産党員であるというだけのプロレタリアート)による自国民6,600万人の虐殺、

 一国民に過ぎなかったヒトラー(→出生はドイツではない)の率いるナチス・ドイツによるユダヤ人数百万人から一千万人以上と想定されるホロコースト

 毛沢東の中共による大躍進政策文化大革命による5,000万人以上の自国民の餓死・粛清、 

 近衛文麿という純度100%の共産主義者総理193777日の盧溝橋から1941128日のパールハーバーまでに3期総理を務め、対英米戦争開戦を着々と主導していった日本史上最大の国家叛逆者)による、「昭和天皇の確固たる対英米戦争反対の聖慮を無視」し「大日本帝国憲法を事実上停止」した、コミンテルン32年テーゼの「革命的祖国敗北主義」による大東亜戦争という名を借りた、日本国民250万人以上の大虐殺

 などの数々の真実の歴史事実を検証すれば、明白であろう。

 フランスのルイ16世もロシアのロマノフ朝のニコライ二世も昭和天皇もこのような自国民大虐殺は全く行っていない

 暴走を始めた場合君主制よりもはるかに残虐で非人間的な行為をするのは、“法の支配”・“立憲主義”のない、あるいは確立していない民衆によるデモクラシー政体の方である

 無制限のデモクラシー民主主義への危険視は世界の自由主義国家では常識中の常識で無制限のデモクラシーを「至上の政治形態」であるなどと考えているのは世界広しといえど日本国民くらいである日本国民の大いなる政治的無知の証左である

 しかも世界一稀有で奇蹟的な天皇という君主を戴いておきながら、である。

 はっきり言うがこれだけ大不祥事が連続し、民主党の独裁性が明らかになってなお民主党を気狂いのように応援・支持するような多数の日本国民の政治的見識・知的レベルは幼稚園レベルである

 もう少し、政治学・政治哲学等を真面目に勉強して政治的知見を持った真の大人になれ!と言いたい

 特に現在20代・30代の青年はこれから日本を牽引する主体となるのであるしまだまだ人生これからなのだから政治的知見をしっかりと身につける自助努力を促したい

 私のブログは当初そのような願いが原点となって作成を始めたのである


 「天皇の公的行為について」の政府見解全文は狂気の暴論である---バーク保守哲学的解説(その3)へつづく


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