保守主義の哲学---新渡戸稲造『武士道』・與謝野晶子に学ぶ---道徳論(3)


―――日本国民の道徳の再興へ向けて―――

 エドマンド・バーク保守主義哲学)―――真正の自由―――「道徳ある自由」・「美徳ある自由

 新渡戸稲造―――『武士道

 與謝野晶子―――「幸福になる女性の道徳」(中川八洋與謝野晶子に学ぶ 幸福になる女性とジェンダーの拒絶』)

 から学ぶ

―――日本国再生の手懸りとしての道徳論(3)名誉・義――― 


(3) 名 誉

 名誉の感覚人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。したがって生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権とを重んずるを知りかつその教育を受けたる武士を特色づけずしては措かなかった。

 ・・・『名誉』という語こそ自由に使用されなかったが、その観念は「」、「面目」、「外聞」等の語によりて伝えられた。

 善き名―――人の名声、「人自身の不死の部分これなくんば人は禽獣である」―――は、その潔白に対するいなる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととなした。廉恥心は少年の教育において養成せらるべき最初の徳の一つであった。

 『笑われるぞ』、『体面を汚すぞ』、『恥ずかしくないか』等は、非を犯せる少年に対して正しき行動を促すための最後の訴えであった。少年の名誉心に訴うることは、あたかも彼が母胎の中から名誉をもって養われていたかのごとく、彼の心情の最も敏感なる点に触れたのである。

 けだし名誉は強き家族的自覚と密接に結ばれているが故に、真に出生以前の感化である。バルザック曰く、『社会は家族の連帯を失ったことにより、モンテスキューが名誉と名付けし根本的の力を失った』と。

 ・・・ある武士(新井白石)がその少年時代において軽微なる屈辱による品性の妥協を拒絶し、『不名誉は樹の切り傷のごとく時はこれを消さずかえってそれを大ならしむるのみ』と言ったのは正当である。カーライルが『はすべての徳善き風儀(=行儀作法・言葉遣いなどの躾ならびに善き道徳の土壌である』と言ったことをば、彼に先だつ数百年にして、ほとんど同一の文句(『羞悪の心は義の端也』)をもって孟子が教えた。

 ・・・恥辱の恐怖は甚だ大であって、・・・武士の頭上に懸り、しばしは病的性質さえ帯びた。武士道の掟において何らの是認を見いだしえざる行為が、名誉の名において遂行された。極めて些細なる否想像上の侮辱によっても短気なる慢心者は立腹したちまち刀に訴えて多くの無用なる争闘を惹き起し多くの無辜(=罪の無いの生命を絶った

 ある町人が一人の武士の背に蚤(のみ)が跳ねていることを好意をもって注意したところ、立ちどころに真二つに斬られたという話がある。

 けだし蚤は畜生にたかる虫であるから、貴き武士を畜生と同一視するは許すべからざる侮辱であるという簡単かつ奇怪の理由によるのである―――が、かかる話はあまりに馬鹿馬鹿しくて信じかねる。

 しかしかかる話の流布したことには三つの意味が含まれている。(1)平民を畏怖せしむるために作られたこと(2)武士の名誉の身分にじっさい濫用があったこと、ならびに(3)武士の間に極めて強き廉恥心が発達していたこと、これである。

 不正常なる一例をとって武士道を非難すること明白に不公平なるは、キリストの真の教訓をば、宗教的熱狂及び妄信の果実なる宗教裁判および偽善から判断するに異ならない(=全く同じであり不公平である)。

 繊細なる名誉の掟の陥りやすき病的な行き過ぎは寛大および忍耐の教えによって強く相殺された。些細な刺激によって立腹するは、「短気」として嘲られた裡諺に曰く、『ならぬ堪忍するが堪忍(=堪忍できないようなことを堪忍するのが本当の堪忍である)』と。

 ・・・家康の遺訓・・・『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし急ぐべからず・・・堪忍無事長久の基・・・己を責めて人を責むるな』。彼はその説きしところを自己の生涯において実証した

 ある狂言師が、・・・次の句を吐かせた。信長には『鳴かざれば殺してしまえ郭公(ほととぎす)』、秀吉には『鳴かざれば鳴かせてみよう郭公』、しかして家康には『鳴かざれば鳴くまで待とう郭公』。

 孟子もまた忍耐我慢を大いに推奨し・・・小事に怒るは君子の愧ずるところにて、大義のための憤怒義憤であることを教えた。

 武士道がいかなる高さの非闘争的非抵抗的なる柔和まで能く達しえたるかは、その信奉者の言によって知られる。

 例えば、小河立所)の言に曰く、『人の誣うる(=事実を曲げて他人を悪く言うに逆わず己が信ならざるを思え』と。

 また、熊沢蕃山)の言に曰く、『人は咎むとも咎めじ人は怒るとも怒らじ怒りと慾とを棄ててこそ常に心は楽しめ』と。

 今一つの例を、彼の高き額の上には『恥も坐するを恥ずる』(ほどの人物である西郷(南洲/隆盛)から引用しよう、

 曰く『道は天地自然のものにして、人はこれを行なうものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する心をもって人を愛するなり。人を相手にせず天を相手にせよ天を相手にして己を尽くし人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし』と。

 ・・・以上の言はただに言葉に述べられたるに止まらず現実の行為に具体化せられた

 (しかし、このような)寛大忍耐仁恕のかかる崇高なる高さにまで到達したる者の甚だ少数であったことはこれを認めなければならぬ

 何が名誉を構成するか(=何が名誉心を湧き起こすのかについて、・・・ただ少数の知徳秀でたる人々が名誉は境遇より生ずるのでなく』、各人が善くその分(=天から与えられた本分・務め・役割を尽くすにあるに過ぎないことを知った

 けだし青年らは彼らが事なき時(=平静時に学びし・・・孟子の語をば行動に熱する時(=行動に熱中しすぎる時極めて容易に寛大や忍耐や仁恕を忘れてしまった。概して侮辱に対しては直ちに怒りを発し死をもって報復せられた・・・。

 これ(=寛大忍耐仁恕がすぐに忘れられたの)に反し名誉は―――しばしば虚栄もしくは世俗的賞讃に過ぎざるものも―――人生の至高善として貴ばれた

 富にあらず知識にあらず名誉こそ成年の追い求めし目標であった

 多くの少年は父の家の敷居を越える時、世にいでて名を成すにあらざれば再びこれ(=実家の敷居を跨(また)がじと心に誓った

 しかして多くの功名心ある彼らの子が錦を衣て故郷に還るにあらざれば再びこれ(=我が子を見るを拒んだ

 を免れもしくは名を得るためには、武士の少年は精神的苦痛の最も厳酷なる試練にも堪えた

 もし名誉名声が得られるならば生命そのものさえも廉価と考えられたそれ故に生命よりも高価であると考えられる事が起これば極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである

 いかなる生命をこれがため犠牲にするとも高価なるに過ぎずとせられし事由の中に、忠義があった。これは封建の諸道徳を結んで一の均整美あるアーチとなしたり要石キーストーン)であった新渡戸稲造『武士道』、邦訳 矢内原忠雄、岩波文庫、7783

 (4) 義

 は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動曲がりたる振舞いほど忌むべきものはない。義の観念は誤謬であるかもしれない―――狭隘であるかも知れない。ある著名の武士(林子平)はこれ(=義)を定義して決断力となした。

 曰く、『の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり』と。

 また、或る者(真木和泉)は次のごとく述べている、『節義は例えていわば人の体にあるがごとし骨なければ首も正しく上にあることを得ず手も動くを得ず足も立つを得ずされば人は才能ありとても学問ありとても節義なければ世に立つことを得ず節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり』と。

 孟子はは人のなりは人のなり』と言い、かつ嘆じて曰く『その路を舎(す)てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。人雞犬の放つあらば則ちこれを求むるを知る、心を放つあるも求むるをしらず』と。

 封建時代の末期には泰平が長く続いたために武士階級の生活に余暇を生じ、これと共にあらゆる種類の娯楽と技芸の嗜(たしな)みを生じた。しかしかかる時代においてさえ、『義士』なる語は学問もしくは芸術の堪能を意味するいかなる名称より勝れるものと考えられた。

 ややともすれば詐術が戦術として通用し、虚偽が兵略として通用した時代にありて、この真率正直なる男らしき徳最大の光輝をもって輝いた宝石であり人の最も高く賞讃したるところである義と勇は双生児の兄弟であって、共に武徳である。

 ・・・義理という文字は(本来)「正義の道理」の意味であるが、時をふるに従い、世論が履行を要求する漠然たる義務の感(→本来道徳とは自らが自己に課す義務のことであり、世間が要求するかしないかは道徳と無関係であるを意味するようになったのである。 

 その本来の純粋なる意味においては義理は単純明瞭なる義務(=自らが自己に課す義務のこと)を意味した。―――したがって我々は両親、目上の者、目下の者、一般社会、等々に負う義理ということをいうのである。これらの場合において義理は義務(=自らが自己に課す義務のこと)である。

 何となれば義務とは他者から要求されるのではなく自己自身が観取するところの)「正義の道理が我々自身になすことを要求かつ命令するところ以外の何ものでもないではないか。「正義の道理は我々の絶対命令であるべきではないか

 義理の本来の意味は義務に他ならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると私は思う。

 すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において唯一の動機は(=という徳であるべきであるが、それの欠けたる場合という徳行を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ

 そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。

 彼らが義理の権威を形成した(=人為的に作りだした)こと(それ自体)は極めて正当である。何となれば、もし愛が徳行を刺激するほど強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして(=真の徳ではない人為的詭弁によって)、義(ただ)しく行為する必要を知らしめねばならない。

 同じことは他の道徳的義務についても言える。義務が重荷と感ぜらるるや否や、ただちに義理が介入して、吾人のそれ(=義務)を避けることを妨げる。義理をかく解する時、それは厳しき義務の監督者であり、鞭を手にして怠惰なる者を打ちてその仕事を遂行しせしめる

 義理は道徳における第二義的の力であり、動機としてはキリスト教の愛の教えに甚しく劣る。・・・正にこの人為性(=人為的な詭弁性の故に義理は時をへるうちに堕落してこの事かの事の義務の放棄という矛盾)・・・説明したり是認したりする時によびだされる漠然たる妥当感となったのである

 私見によれば、義理は「正義の道理」として出発したのであるが、しばしば決疑論(=詭弁に屈服したのである。

 ・・・「義(ただ)しき道理」より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。

 もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう新渡戸稲造『武士道』、邦訳 矢内原忠雄、岩波文庫、4144 


 保守主義の哲学---新渡戸稲造『武士道』・與謝野晶子に学ぶ--‐道徳論(4)へ続く


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