保守主義の哲学---新渡戸稲造 『武士道』・與謝野晶子に学ぶ---道徳論(5)


―――日本国民の道徳の再興へ向けて―――

 エドマンド・バーク保守主義哲学)―――真正の自由―――「道徳ある自由」・「美徳ある自由

 新渡戸稲造―――『武士道

 與謝野晶子―――「幸福になる女性の道徳」(中川八洋與謝野晶子に学ぶ 幸福になる女性とジェンダーの拒絶』)

 から学ぶ

―――日本国再生の手懸りとしての道徳論(5)忠義――― 


 (7) 忠 義

 封建道徳中他の諸徳は他の倫理体系もしくは他の階級の人々と共通するが、この徳―――目上の者に対する服従および忠誠―――は截然として封建道徳を特色づけている

 ・・・ヘーゲルは封建的臣下の忠誠を批評して、それは個人に対する義務にして国家に対する義務でないから、全然不当なる原理の上に立てられたる羈絆(きはん)であるとなしたが、それにもかかわらず彼の偉大なる同国人ビスマルクは、人格的忠誠をもってドイツ人の徳であると誇った

 ビスマルクがこれを誇りしには善き理由があった。しかしそれは彼の誇りし忠誠が彼の祖国のもしくはいずれか一国民または一民族の専有物であるからではなく騎士道のこの美果(=忠誠は封建制度の最も長く続いた国民の間に最も遅くまで留まるが故である。

 ・・・我が国民の抱くごとき忠義は他の国では多くの讃美者を見出さないかもしれない。しかしそれは我々の観念が誤謬なるが故ではなくおそらく彼ら(=他国民がそれを忘れたからであり、また我々が他のいかなる国にても達せられざりし程度の高さまでそれ(=忠義を発達せしめたからである。

 私は、我が善良なる読者の人々に嫌悪を与える危険を顧みず、シェイクスピアの言えるごとく『零落の(=落ちぶれた)主君に仕えて艱苦(=悩み苦しむこと)を共にし』、これによって『物語に名を残せる』人について述べよう。

 その物語は、・・・菅原道真に関するものである。

 彼は嫉妬讒誣(ざんぶ事実と異なる悪口を言って人を陥れることの犠牲となって都から追われたが、無慈悲なる彼の敵はこれをもって満足せず、彼の一族を絶やそうと計り、その子いまだ幼かりし者(=菅原道真の子)の所在を厳しく詮議(=捜索)して、道真の旧臣源蔵なるも者が密かにこれ(=菅原道真の子)を寺子屋に匿(かくま)いいる事実を探り出した。

 日を定めて幼き犯人(とがびと)(=菅原道真の子の首引き渡せとの命令が源蔵に渡されし時(=源蔵のまず思いついた考えは適当なる身代りを見出すことであった

 彼(=源蔵)は寺子の名簿を按じ、寺子屋に入り来る児らをば一々注意深き眼をもって精査したが、田舎生まれの児らの中には彼(=源蔵)の匿える若君(=道真の子)と聊(いささ)かの似通いをもつ者もいなかった。

 しかしながら、彼の絶望は暫時であった(=すぐに希望に変わった)。見よ、器量賤しからぬ母親に連れられて寺入り頼む一人の児あり、―――主君(=菅原道真の御子と同じ年頃の上品なる少年であった

 幼き幼きとの酷似を、母も知り少年自身も知っていた。我が家の奥にて二人は祭壇に身を捧げたのであった、少年は彼の生命を―――母は彼女の心を幼き君のために捧げることを誓ったのである)。しかし、外には色にも出さなかった。かくとも思いよらず(=そのようなことは知りもせず)、源蔵は心ひそかにこれと定めた。

 ここに犠牲の山羊が獲られた!―――物語の残余は簡単に述べよう。―――定めの日に検視の役人(=松王丸)が首受取りにやって来た。贋首(にせくび)をもて彼(=松王丸)を欺きうるであろうか。

 哀れなる源蔵は刀の柄に手をかけ、もし計略が見破られたならば、検視の役人(=松王丸)にか己自身にか、一撃を加えんものと固唾(かたず)を呑んだ。松王丸(=検視の役人)は彼の前に置かれし浅ましの首を引き寄せ静かにためつすがめつした後落ち付いた事務的な調子で紛いなし(=間違いない本物であると言い放った

 ―――その夜淋しき家にて寺子屋に来た母が待っている彼女はおのれの児の運命を知るや。彼女は戸口の開くのを熱心に見守っているが、それは児の帰りを待つのではない

 彼女(しゅうと)は久しき間菅原道真の恩顧を蒙ったが、道真遠流(おんる)の後、(彼女のは事情余儀なく一家の恩人(=菅原道真の敵に随身した(=仕えた)。 

 彼(=彼女の夫自身は残忍とはいえ自己の主人(=菅原道真に不忠たるをえなかった。しかし彼の子祖父の主君(=菅原道真の御役に立つをえたのである

 道真の家族を知る者として若君(=道真の子首実験の役目(=検視の役人を命ぜられたのは(=身代わりになった児の父親であった

 今その日の―――しかり一生の―――つらき役目(=わが児の首の検視を仕遂せて(=検視の役人家に帰り敷居を跨ぐや否や妻に呼びかけて言った、『女房喜べ(せがれ)は御役に立ったわやい!』。

 『何という無残な物語!』と、読者の叫ぶのが聞こえる。『両親が相談の上で、他人の生命を救わんがために罪もなきわが児を犠牲にする!』。しかしこの児は自ら知りつつかつ甘んじて犠牲となったのである。これは代贖(だいしょく)の死の物語である。―――

 ・・・義務召命(=神あるいは天などに選ばれて救いを与えられることにたいする従順上より来る声の命令に対する完き服従

(=他者から強制された憎悪の服従ではなく自己が自身に課した忠誠の義務による服従である播州赤穂の四十七人の義士の主君に対する服従を思い浮かべればよい彼らの服従が強制された憎悪によるものであったならば自らの死をかけてまで主君の敵討ちをするわけがない

 があったのである。―――

 ・・・武士道においては家族とその成員の利害は一体である、――― 一にして分かつべからざるものとなす。この利害を武士道は愛情と結びつけた―――自然に本能的に不可抗的にそれ故にもし我々が自然愛(動物でさえもつところの)によりて愛する者のために死ぬともそれが何であるか

 (→私の解説武士道の家族思想”にルソーマルクスエンゲルス奇異奇怪な非人間的家族論など入る隙間もない

 ルソーマルクスエンゲルス家族論重度の精神疾患的非人間的無道徳的な家族理論である。故に「家族の解体などという人間憎悪狂気のイデオロギーが発想されうるのである

 人類にとって、いや、少なくとも日本国民にとってルソー主義マルクス主義とは道徳を腐敗させるゴミ屑イデオロギーであり、断固として排斥しなければならない

 そして、これらの腐敗した悪性ウィルス完全殺菌できる抗ウィルス薬バーク保守主義などの真正保守主義のみである

 ・・・頼山陽は彼の偉大なる『日本外史』において、父(=平清盛)の(上皇に対する)叛逆行為に関する平重盛胸中の苦闘をば、惻々たる(=哀れな)言葉をもって述べている。

 『(上皇に対してならんと欲すれば、(平清盛に対してならず孝ならんと欲すれば忠ならず』。

 哀れむべし重盛!彼れ後、魂を傾けて死を天に祈り、純潔と正義の住み難きこの世より解放せられんことを願いしを見るのである。多くの重盛(のような境遇の人々)が義務と人情との衝突によりて心を裂かれた。

 武士道はを選ぶに決して逡巡(=決断をためらうことしなかった婦人もまたその子を励まして、(君のためにすべてを犠牲にせしめた

 『クリトン』の読者は、ソクラテスが彼の逃走の問題について、国法が彼と論争するものとして述べている議論を記憶するであろう。

 その中で彼は国法もしくは国家をしてかく言わしめている、『汝は我が下に生まれ、養われ、かつ教育されたのであるのに、汝も汝の祖先も我々の子および召使でないということを汝はあえて言うか』と。

 これらの言葉は我が国民に対し何ら異常の感を与えない。何となれば同じことが久しき前から武士道の唇の上っていたのであって、ただ国法と国家は我が国にありては人格者(=天皇皇室」)によりて表現されていたという差異があるに過ぎない。

 はこの政治倫理より生まれたる倫理である

 政治的服従――――をもってただ過渡的職能を賦与されたるに過ぎずとなすスペンサー氏の説を、私は全然知らぬわけではない。

 そうかもしれない。その日の徳はその日に足る吾人は安んじてこれを繰り返そう

 ことに吾人はその日というのが長き期間(=永遠悠久であって我が国歌にいわゆるさざれ石の巌となりて苔のむすまでなること信ずるにおいてをや

 ・・・(スペンサーの言うように国家がその人民に対し良心の指令権を要求する(=国家が人民に国家が決めた良心を強制するようになる全体主義国家になるまでに強大となる日こそ悲しむべきである!

 武士道は我々の良心を主君の奴隷とみなすことを要求しなかった(=武士道は良心の自由を保障していた)。

 ・・・主君気紛れの意志もしくは妄念邪想のために自己の良心を犠牲にする者に対しては武士道は低き評価を与えた(=主君も天の道理正義の道理つまり武士道の下にあった武士道は日本国法の一部であったことが解る)。

 臣が君と意見を異にする場合、彼の取るべき忠義の途(みち)はリア王に仕えしケントのごとく、あらゆる手段を尽くして君の非を正すにあった容れられざる時は主君をして欲するがままに我を処罰せしめよ

 かかる場合において、自己の血を濺(そそ)いで言の誠実を表し、これによって主君の明智と良心に対し最後の訴えをなすは、武士の常としたるところであった。

 生命はこれをもって主君に仕うべき手段なりと考えられ、しかしてその理想は名誉に置かれた新渡戸稲造『武士道』、邦訳 矢内原忠雄、岩波文庫、8492

 (8) 礼

 作法の慇懃鄭重(=礼儀正しく丁寧なこと)は日本人の著しき徳性として、外国人観光客の注意を惹くところである。もし単に良き趣味を害(そこな)うことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である

 真のはこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやり外に現れたるものである

 それ(=真の)はまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。

 何となれば社会的地位は何ら金権的差別を表すものではなく本来はじっさいの(人間の徳性の高さという)価値に基づく差別であったからである。

 ・・・の最高の形態はほとんどに接近する。吾人は敬虔なる心をもって、『礼は寛容にして慈悲あり礼は妬まず礼は誇らず(たかぶ)らず非礼を行なわず己の利を求めず憤らず人の悪を思わず』と言いうるであろう。

 ・・・私はかく礼を尊ぶけれども、決してこれを諸徳の第一位に置くものではない。これを分析すれば、はより高き階級の他の諸徳と相関関係にあるを見いだすであろう。それは、いずれの徳か孤立して存在しえようか。

 礼は武人の特殊なる徳として賞讃せられ、その値する以上に高き程度の尊敬を払われたけれども―――或はむしろ払われたが故に、―――その偽物が起こってきた。孔子虚礼の礼にあらざるはあたかも音響の音楽におけるがごとくであることを、繰り返し教えた。

 が、社交の不可欠要件にまで高めらるる時、青少年に正しき社交的態度を教えるため、行儀作法の詳細なる体系が制定せらるるに至るはけだし当然である。人に挨拶する時にはいかに身を曲ぐべきかいかに歩むべきか坐るべきかは、最大の注意をもって教えられかつ学ばれた食事の作法は一つの学問にまで発達し、茶を点じまた喫むことは礼式にまで高められた。教養ある人は当然すべてこれらの事に通暁せるものと期待せられた。

 ・・・ヨーロッパ人が、我が国民の詳密なる礼法を賤しめて言う批評を、私はしばしば耳にする。

 曰く、それは吾人の思考を余りに多く奪うものでありその限りにおいてこれが厳格なる遵守は馬鹿気ている

 儀礼の中に不必要なる末節の規定があることを、私は認める。

 しかし西洋が絶えず変化する流行に従うことと比較して、果たしていずれが多く馬鹿気ているか私の心には甚だ明瞭を欠く問題である

 流行でさえ、私は単に虚栄の移り気であるとは考えない。かえって私はそれをもって美に対する人心の絶えざる探求であると見る

 いわんや私は詳密なる儀礼をば全然つまらぬものであると思わない。それは一定の結果を達成するための最も適切なる方式について、長き実験の結果を表すものである。

 何かをなさんとする時は、それをなすに最善の道があるに違いない。しかして最善の道は最も経済的であると同時に最も優雅なる道である。

 ・・・私の強調せんと欲するは厳格なる礼儀の遵守の中に含まるる道徳的訓練である

 上述の如く礼儀作法は枝葉末節に至るまで詳細に規定せられ、したがって流儀を異にする諸種の流派が生じた。

 しかしながらこれらはすべて窮極の本質においては一致しているのであって、最も著名なる礼法の流派たる小笠原流宗家(小笠原清務)の述べたる言葉によれば、『礼道の要は心を練るにあり礼をもって端坐すれば兇人剣を取りて向うとも害を加えること能わず』と言うにある。

 換言すれば、絶えず正しき作法を修むることにより、人の身体のすべての部分および機能に完全なる秩序を生じ、身体と環境とが完く調和して肉体に対する精神の支配を表現するに至る、というのである。

 ・・・礼儀はたとい挙動に優美を与えるに過ぎずとしても、大いに裨益するところがある。しかるにその職能はこれに止まらない。

 礼儀は仁愛と謙遜の動機より発し、他人の感じ(=感情に対する己のやさしき感情(=同情感によって動くものであるから、常に同情優美なる表現である

 の吾人に要求するところは泣く者と共に泣き喜ぶものと共に喜ぶことである新渡戸稲造『武士道』、邦訳 矢内原忠雄、岩波文庫、6166

―――新渡戸稲造武士道』より部分引用、ここまで――― 


保守主義の哲学---新渡戸稲造『武士道』・與謝野晶子に学ぶ--‐道徳論(6)へ続く


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