保守主義の哲学シリーズ---(閑話休題)中曽根康弘元首相は保守の哲人か?

 このブログを読んでくれている皆さま、ありがとうございます。とてもうれしく思っています。そして右翼でも左翼でもない、最も国民に優しく、国を大切に考える「保守主義」を理解してくれる国民が一人でも多く育ってくれることを願っています。

  さて、前回の「保守の哲学シリーズⅠ-2」の最後に、次回はベンサムの「最大多数の最大幸福」に秘められた悪意について解説すると書きました。が、前々回のブログ「自民党よ、真の・・・・バーク保守主義/ハミルトン保守主義を奉戴せよ!」の冒頭で、私は中曽根康弘元首相のことを「保守の哲人」などではなく、「極左人」であり、国民は誤解している、と書きました。

  ベンサムについては、皆さんに如何にわかりやすく、噛み砕いた説明をするか、現在論考中です。

  よって閑話休題として、なぜ私が、中曽根元首相が「極左人」であると書いたかの論拠を載せておきます。前回、論拠を書かずに、彼のことを極左人と書いたのは、ちょっと勢い余ったかなと反省しておりますので、本日は、きっちりと論拠を示させていただきます。

 中曽根康弘「首相公選」論の正体―――(196111日付『憲法改正試案』)

 ● 保守主義を演出する極左主義者――中曽根康弘の『憲法改正試案』(1961年)

 1960年の「安保騒動」の翌年、1961年頃に衆議院議員の中曽根康弘その他によって、奇妙な四文字スローガン「首相公選」がアピールされ始めた。当時はまだ日本に議院内閣制という近代英国によってつくられた政治制度は正しく評価されていたから、中曽根らの「首相公選」は、集中的に非難を浴びて封じ込まれた。

 しかし、小泉純一郎が総理になった2001年頃から再び軽薄な流行現象となった。

「首相公選」は、あくまで現行憲法第六十七条に違反する。

 よって、あくまでも憲法改正の構想全体の中の一つ」であるから、「首相公選」論者「憲法改正案全体をまずもって吟味すること」を怠ることをしてはならない。

 そのとき、「首相公選」の問題の核心つまり、その背後に潜む「企図」・「哲学」・「思想」が明らかとなる中曽根196111日付起草の『憲法改正試案』を発表したのは、三十六年後199761日発売の月刊誌『正論』誌上であった。

 つまり、1961年頃の中曽根の「首相公選」論は憲法改正の構想の枠組みの一つとして考案されたもので、「首相公選」だけを単なる思い付きで主張したのでなかった点で論議に値する。

 だがまた、この三十六年以上も『憲法改正試案』を秘匿したまま「首相公選」論のみを宣伝したその意図に潜む何か怪しげなものも充分臭ってくる。

首相公選」論の背後には、何か巨大な“妖怪”がうごめいている。

 中曽根の「憲法改正試案」で判明したことは、その名称が『高度民主主義民定憲法草案』とか、「日本は、主権が国民に存する民主主義共同体」とか、異様なほどの「民主主義礼賛」と反日的なムードを醸し出す“国家否定”色が強い。

 共同体」などとせず、なぜ素直に「」と言わないのか。ルソーは『社会契約論』の中で、「社会契約」の理想国家のことをしばしば「共同体」と呼ぶことからしても共産主義の影が見え隠れする。

 また、「国家間の一体的な平和秩序」などと、スローガン「平和」も乱発する。さらに「労働」という二文字をも中曽根憲法は重視する。ここまでくると、「平和」(=レーニンの「平和」=「世界共産化」)と「民主主義」(=人民民主主義=共産主義)」「労働者(=プロレタリアート)」共産主義の臭気が中曽根憲法を包んでいることが明らかになってくる。

 中曽根の構想する統治機構は「憲法評議会」が最高権力機関であり、この「憲法評議会」の下に、行政の全権を握る「内閣」を置くもので、“内閣首相は公選”される。

 つまり、「憲法評議会」=「ソ連共産党政治局」「内閣首相およびその内閣」=「米国の大統領の行政府」とが共同で独裁するという、何とも奇妙な政治システムである。

 しかし、この中曽根の統治機構においては「憲法評議会」が「公選首相」を支配しているから、アメリカ大統領的「首相公選」でカムフラージュしたスターリン体制が主軸となっている。中曽根は国民を「労働」に強制的に駆り出すことからも、ソ連の計画経済をモデルに考えていることがわかるが、このことと中曽根が「理想政治」として描く変型スターリン体制とは符合する。

中曽根は言う199761日、月刊誌『正論』誌上)、

 「(首相公選を提唱した理由は)第一に、現在の日本の議院内閣制は、次の時代を切り開く原動力である科学と労働を中軸とする長期計画(=ソ連の五カ年計画のような計画経済)の推進力となっていない」

 「アメリカは国民の直接選挙による大統領制で、任期四年、平均二回当選するから在任八年、(計画経済の)三カ年計画は三回繰り返すことができる。ソ連においては、権力的強制により、スターリンもフルシチョフも任期はその葬式まで続く。そして五カ年計画を既に数回繰り返しているこのような国が飛躍的に前進し、日本やイギリスやイタリー、フランスのような国が追いつけない原因はここに明らかであろう」

 1997年と言えば、19911225日のソ連崩壊から約6年半も経っており、ソ連の暗黒の74年間の実態も明らかになっているのに、「ソ連が飛躍的に前進し」とは何という不見識であろうか。

 科学技術(軍事技術)の発展のために、約六千五百万人の国民を殺戮したのが、レーニン/スターリン体制のソ連の実態である。それも周知のはずである。

 中曽根の「憲法評議会」はまず、「公選首相」の独裁を固める機関である。この「憲法評議会」と「公選首相が」組めば、国会の立法をすべて無効にできるようにしている。

  つまり、「公選首相」の提出する法案のみを無審査で拍手して通過させる“拍手屋”に国会議員を貶めて(=共産党支配下のソ連邦最高会議のような国会にして)、実質的に国会を形骸化することを定めている。

 議院内閣制は国会あっての内閣だから、議院内閣制に対する中曽根の憎悪は国会への憎悪になっている。中曽根の議院内閣制の廃止論は、“国会の実質廃止論”となっている。

 中曽根憲法」は、このところを、次のように書いている。これでは、国会はどんな法律を立法しても、「内閣首相」の気に入らなければ「八日以内」に無効にされる。

 「第九十六条・・・・内閣首相・・・・は、法律については公布前に、条約についてはその発効前に、当該の法律又は条約がこの憲法に違反するかどうかの裁定を、憲法評議会に要求することができる

 憲法評議会は、要求の日から一箇月以内に裁定しなければならない。ただし、緊急の必要がある時は、・・・・当該期間を八日とすることができる

 この「憲法評議会」は「衆・参の両議長(2名)と内閣首相経験者と衆・参議長の推薦する各三名(336名)からなる」(第九十三条)としているから、この憲法改正直後では「内閣首相経験者」が不在で計8名がメンバーである。

 つまり、「内閣首相」と衆・参議長の三名が組めば、他の六名は彼らのイエス・マンを推薦するだろうから、この「憲法評議会」は完全に牛耳れる。日本のすべての法律と条約を支配できる。

 中曽根の「首相公選」制とは、まずは“トロイカ(三者=公選首相、衆・参議長)独裁”であり、次に最初の「公選首相」が第二代にその席をを譲って、第一代の「内閣首相経験者」となって「憲法評議会」のメンバーになってしまえば、あとは実質的に憲法評議会を独裁できるから、このときスターリン体制が確立する。

 さらにそうなってしまえば、憲法改正など易々とできるから、共産主義者の中曽根は、自分の憲法試案に嫌々ながら書いている、第一条~第十一条までのいわゆる「天皇の章」をすべて削除する憲法改正をするだろう。

 “議院内閣制”と“君主制”とは不可分のものであって、前者の消滅は後者の消滅の口実に必ず至る。

 実際に中曽根は、天皇制を廃止することを絶対前提としているから、「首相公選」という言葉を造り、「総理大臣公選」という君主制から生まれた言葉を嫌う。また、珍妙な言葉、「内閣首相」を造語して「内閣総理大臣」も決して用いない。

 さらにレーニンの独裁行政機関の名称をもじった「内閣委員」などという新語を造って「国務大臣」という言葉を断固排除している(第七十八条)。

 「内閣総理大臣」や「国務大臣」という名称は、“君主の臣下”から生まれた、君主制あっての内閣用語である。君主制廃止を想定して、前もってそれを用いていないのである。

 実際に共産主義者は、「総理大臣」を嫌い必ず「首相」という。「○○大臣」の言葉を嫌い「○○相」にこだわる

 要するに、君主制の下で自然的に発展して今日に至っている議院内閣制への中曽根康弘の憎悪感情は、「君主制の内閣」を一掃せんとする「赤い」情動(=共産イデオロギー)を原点としている。

 なお、今から八十年以上も昔のロシア革命を思い出して欲しい。レーニンがロマノフ王朝を倒し、世界初の共産国家をつくった時、政府の各官僚を「外務人民委員(=外務大臣)」「内務人民委員(=内務大臣)」・・・・と命名して、それまでの「大臣」という呼称を廃止した。

 中曽根は意識してこれを継承している。中曽根の正体がレーニン/スターリンの直系であるのは疑う余地がない。いわゆる「極左」である

 また、中曽根は共産主義者の暴力革命を援護する平和運動の担い手の一人として、「反軍隊」「反軍備」も主張する。中曽根憲法改正試案が、日本共産党の「反戦平和」の一分派であるのは、何の不思議さもない。

 中曽根はまず、軍隊(国防軍)の章を憲法の末尾にもっていく。(第百一条~七条)しかも、その第一任務が“国防”ではなく、「国際平和機構」への協力である。(第百十一条)。それは次のような規定であって、この「国際平和機構」は国連を意味していない。

 「第百十一条 国は、・・・・国際的な相互集団安全保障制度に参加することができる。・・・・主権の制限に、他国とともに同意することができる」

 「主権の制限された相互集団安全保障制度」と言えば、冷戦時代のソ連の植民地としての東欧諸国が強制加入させられた「ワルシャワ条約機構」が典型的である。中曽根は、日本が「反軍備」「反軍隊」の状態において、ソ連に無血占領されてソ連の支配下のアジア集団安全保障の軍事機構の一員になることを想定している。

 「前文」にある「国家間の一体的な平和秩序」もこの意味であろう。日本がソ連に占領されてソ連と一体的に「平和=共産化」になると言っているのである。かつての社会党党首・土井たかこの「平和憲法第九条死守、自衛隊違憲➡ソ連の日本無血占領➡社会党政権樹立」の論理と全く同じである。

 中曽根康弘の「反軍備」「反軍隊」の共産主義イデオロギーは、彼の防衛庁長官(1970年~71年)として、また、総理大臣(198211月~198711月)としての“行動”において、もっと鮮明であった。ほんの数例をあげる。

 【防衛庁長官時代】

 イ)   左派社会党のイデオローグの一人で、生涯その本心は過激な親ソ主義・スターリン崇拝者であり続けた猪木正道を、防衛大学校校長に起用した19707月)

【総理大臣時代】

イ)   コミュニスト(共産主義者)と広く認知されていた三木武夫の反防衛政策の一つ「防衛費GNP一パーセント枠」(197611月)をすぐ廃棄するだろうという国民全体の予想に反して、それを断固堅持した。

ロ)   米海軍との五ヶ国共同演習「リムパック’84」への海上自衛隊の参加を禁じる策謀をなした。なお、海自は中曽根の圧力に屈せず、198456月、艦艇五隻と哨戒機八機を参加させた。

ハ)   ヒロシマの反核集会への、自民党総裁としての事実上初めての出席(198386日)。この時、秘書官等が作成したスピーチに自ら「非核三原則は国是」等を独断で加えた。この1983年秋には米海軍艦隊の核トマホーク搭載とその寄港(トランジット)の問題が予定されており、自民党内はもとより日本国内では、非核三原則の撤廃か、少なくとも「核のトランジット(寄港)は、核の持ち込みとはしない」との政府答弁かは時間の問題とだと予想されていた。これを百八十度逆に裏切ったのである。また、このスピーチで「核廃絶は平和」の文言を中曽根自身が挿入した。米国の“核の傘”に依存する日本政府の安全保障政策を「核廃絶」の是認において否定した。

ニ)   日米同盟の正常化に不可欠な「集団的自衛権の行使は合憲」という政府解釈の変更をすぐするだろうと予測されていたが、中曽根は頑としてそうしなかった。

ホ)  KGB将校スタニスラフ・レフチェンコの米国亡命(1979年)と米議会での証言(1982  年7月)により、KGBによる日本のスパイ組織網に関するKGB日本人エージェント約二百人のうち、何名かは実名で報道されたりして、自民党はスパイ防止法を議員立法する直前まで準備していた。また、警察庁もいつもとは違って捜査を精力的に進めていた。が、19835月、警察庁は捜査打ち切りを発表した。また、自民党内でも同年秋頃には、スパイ防止法制定の動きがぱったりとまった中曽根総理が中止させたというが飛び交った。コード名「クラスノフ」の瀬島龍三をかばうためであったとか、中曽根自身に火の粉が飛ばないようにしたのだという憶測はそれなりに根拠があった。少なくとも、これほどの「証拠」がレフチェンコから出されながら、一人の逮捕者も出ない、自民党のスパイ防止法もお蔵入りしたことにつき、中曽根総理が無関係であったとするのは無理があった

 中曽根とは「右」を演技する天才名優であった。(今でもそう騙されている日本人がほとんどだろう。)その手法は、まっすぐと「右」の“言葉”を発して、「右向け右」のムードをつくって、その中で「極左」の“行動”をするのが常であった。

 例えば、本物の保守主義者であった米国大統領レーガンを騙して「ロンヤス関係」をつくっておいて、その上で米国との同盟協力を秘かに極力妨害する。

 

 例えば、極東のソ連空軍基地を先制攻撃するぞ!と同じ意味をもつ、「ソ連のバックファイアー爆撃機から日本列島を不沈空母にする」という、口先だけのメッセージをレーガンとの首脳会議をしたワシントンでぶちあげておいて19831月)、その半年あとにヒロシマに行き、「核武装は決して致しません」「米国の核トマホーク艦船を入港させません」とソ連に媚を売り、共産党系の平和運動家と見紛うほどの「反核」に戻る。

 

 あるいは、靖国神社に参拝しておいて1985815日)、中国共産党からの抗議があると直ちに同意する。そして中共と一緒になって、A級戦犯が合祀されている以上、天皇も総理も参拝はできないと派手に大キャンペーンする。法務死(刑死)となったA級戦犯の遺族から「分祀」の同意を取り付けようとまでした。

“天皇・総理の靖国参拝つぶし”の固定化というより、靖国神社そのものの解体が狙いであろう。

 

 なお、このA級戦犯合意問題は、官房長官でコミュニスト後藤田正晴を通じて中国共産党と事前に打ち合わせたシナリオに従った、いわゆる自作自演の可能性が高い。

 

 そして執拗にも、20042月にまた、中曽根は本件をむし返し、神道そのものの否定に通じる「完全分祀」の圧力をかけた。“靖国神社解体”の手を、無神論者の中曽根はゆるめようとはしない。

 

 戦後日本の政治腐敗の原因は、中曽根のように自らの信条を隠し有権者を騙し国民を騙す政治家が無数に輩出するばかりか、国民もまた、政治家の発言や行動からその人物の正体を見抜く、政治的知見を欠き、放置してきたことが大きい。

 

 むろん、政治家だけでなく、変節の学者や偽装の知識人、偏向マスメディア人は、政治家以上にその数が多い。

 

 一言で言えば、戦後日本をダメにしたのは米国でもないし、「東京裁判」でもない。

 

 中曽根康弘・後藤田正晴・瀬島龍三・末次一郎・猪木正道の「スターリン五人衆」を放置したことに見るように、その腐敗と堕落はすべて日本人の退嬰的な無教養と無責任に発している。

 

 そして、その傾向はますます強くなっている。

 

 そのため、このブログは、日本国民に最低限の、政治的教養と責任は身につけてもらいたいと思って作成している。

 

 なお、私のブログ及びホームページをすべて理解してもらえれば、東大法学部の大学生や大学院生とも政治に関しては、互角以上に戦って、必ず勝てるようになると信じてブログ作成している。

 

 なぜなら、東大法学部の教授陣とは、左翼学者・マルクス・レーニン主義者がほとんどであるから、そのような机上の理論に、日本国、二千年の歴史の叡智を語る「保守主義理論」負けるわけがないではないか。

 

 読者のみなさん、頑張ってついて来てください。私もできる限り哲学者の思弁を噛み砕いて分りやすく解説していきますので。

 また、この記事は、ためになる、面白い、と思ったら、皆さんの友人にもどんどん、ご紹介願います。「真の保守主義」をより多くの日本人に広めること。それが、私の使命だと思っているのです。

 今後ともよろしくお願いします。

(参 考)リンク➡ 中曽根康弘『憲法改正試案(原文)』196111日付)

また、中曽根康弘が会長を務める、(財)世界平和研究所2005120日付で、平和研憲法草案を発表している。この草案は明らかに上記の196111日付の中曽根試案をベースにしている。

(参 考)リンク(財)世界平和研究所 憲法試案2005120日付)

  

  私のホームページへのリンクエドマンド・バーク保守主義

(次回へつづく)

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