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保守主義の哲学---「平等」という虚構---人間は生まれながらにして“不平等”である(3)



―――エドマンド・バーク保守主義哲学)―――

平等」・「平等主義」という虚構否定が、真正自由主義保守主義である

平等」・「平等主義」という虚構世界史的考察

―――人間は生まれながらにして不平等である(3)―――


 ところで、少し横道へそれるが日本国の歴史について若干程度話したい。

 日本の学校教育大学教育も含む)では、上述のような「“真正の自由とは何か」、「デモクラシーとは何か」、「共産主義国家の実体は何か」、「全体主義とはどのようにして形成されるのか」などの政治哲学基礎的根幹部分一切講義しない

 例えば、これらの政治哲学を理解せずして、大東亜戦争の真実を総括できるわけがないのであるが、日本国の凡庸な学者らは、大東亜戦争の真実マクロ的視野あるいは政治哲学的視野で捉えることができないのかあるいは知っているがそれを暴露することが自分にとって不都合だから隠しているかのいずれかであろうが、そのような視点で捉えた歴史的考察の著作は私が知っている限りでは唯一冊しかない

 いずれにしても、事実に触れない事実を隠すなどという態度は、良識ある学者研究者)がとる態度ではない。

 どのような学問においても学者研究者たるものは、“真実真理を探究することにしかその存在意義はない。そのような根本原理を忘れ去った学者は、己の恥を知るべきである。

 ただひたすら大東亜戦争の原因について、「軍国主義が原因であった」とか「天皇制(→正確には、当時の天皇制は、立憲君主制であって昭和天皇に独裁権どころか権力のかけらほどもなかった)が原因であった昭和天皇に責任があった」、「侵略戦争であったか自存自衛の戦争であったか」を結論することを「大東亜戦争の総括」だと甚だしい勘違いをしている

 以下のような一連の歴史事実並列的に並べるだけでも、歴史の動因が見えてくるではないか。

 19309月陸軍内での「桜会の結成1931年「3月事件未遂)」「10月事件未遂)」(背後で大川周明北一輝が大きく関与

 →1932年「515事件」(背後で大川周明が大きく関与)

 →1936226日~29日の「2.26事件」(決起趣意書の作成に北一輝が大きく関与し、そこには五・一五事件の遺志を継ぐ後継クーデターであると明記してある)

 →193764日第一次近衛文麿内閣(=近衛文麿は、コミンテルン32年テーゼを翻訳したコミュニスト共産党員)であった、河上肇京都帝国大学教授に学ぶために東京帝国大学から転学したほどの共産主義信仰者純度100%のコミュニスト)であった。

 つまり、これら1930年からの一連の歴史の連続上193764共産党が日本国の政権を掌握したのである。

 この事実大東亜戦争の歴史の総括からはずすならば(=触れないならば)、その歴史総括は大東亜戦争の真実から目を背けた虚偽である

 →193777盧溝橋事件(=演習中の日本軍・支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊第8中隊に対し、竜王廟方面から何者かにより複数発の銃撃がおこなわれた。死傷者なし

 →1937711近衛文麿首相が「北支派兵に関する政府声明」を発表(=盧溝橋の銃撃事件死傷者ゼロ)に関しては、現地での停戦交渉の成立をもって終息に向かうはずのものであったが、現地情勢を無視して近衛内閣は銃撃からわずか四日事件を事実上の戦争である事変拡大させる決定をしたのである)

 →1937728北支事変の勃発(=日本軍、華北で総攻撃を開始)

 →1937729通州事件(=華北各地の日本軍留守部隊や日本人居留民が虐殺される日本の対中感情は悪化

 →193789大山事件(=国民党軍に潜入していたコミュニスト毛沢東軍に本籍を置く張治中が、上海に駐留していや日本の海軍上海特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤要蔵一等水兵の二名を射殺

 →1937813第二次上海事変

 →1937815米内光政海軍大臣が「頑迷不戻(ふれい)な支那軍を膺懲(ようちょう)すると支那への宣戦布告と見做し得るラジオ演説(=支那事変勃発

 このようにして、19378月から上海戦が開始されたが、上海戦は壮絶・熾烈を極め、日中ともに大ダメージを受けたことはあまり語られない。

 ①日本軍の損耗は絶大なるものとなった。たった三ヶ月で戦死傷者は(死者9千人以上を含む4万人を超えた。

 ②蒋介石国民党軍も支那での情勢が一変し、毛沢東の人民解放軍と国共合作せざるをえない状況に追い込まれた。まず、共産主義者三百余名が釈放された。

 ③毛沢東人民解放軍は、形式的には、国民党軍の一部となり、「八路軍」と称し正規軍となったかくして毛沢東の共産軍は好き放題にその勢力を支那全土に伸長していった

 近衛文麿米内光政の、19377月から19381月にかけての対支那軍事・外交政策のすべては、(意図するとしまいと)結果として毛沢東の“赤い支那づくり”に決定的に貢献したのは歴史事実である。

 また、米内光政の「罪」は、何といっても、日中戦争の無期泥沼化にある。

 南京陥落直後の19381月、蒋介石が出してきた対日講和の提案を、近衛文麿と共謀して蹴ったのは米内海軍大臣であった。

 “日本史上例のない悪の巨魁近衛文麿が考案した「国民政府蒋介石を対手(あいて)とせず」の声明(1938116日)を断固阻止しようとして食い下がる陸軍参謀本部の参謀次長多田駿を「内閣総辞職になるぞ!」と恫喝して黙らせたのは米内光政であった。

 蒋介石国民政府とは、もともと、イデオロギー的には「反共の自由主義政府」であった。

 これを敵国支那の政府として「相手にしない認めない」ということは、

 ①戦争終結の交渉をする支那政府がないから、無期限的に戦争を継続する(=戦争の泥沼化)。

 ②あるいは、交渉相手になる国民政府以外の代替政府をもとめるということであり、当然に毛沢東の共産党その範疇に含まれるという意味である。

 そして終戦後、毛沢東は次のようにはっきりと述べている。

 「(「日本軍国主義の中国侵略について質問がありましたが日本が何も申し訳なく思うことはありません日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし中国人民中国共産党に権力を奪取させてくれました皆さんの皇軍日本陸軍なしにはわれわれ中国共産党が権力を奪取することは不可能だったのです」(東京大学近代中国史研究会(代表は衛藤瀋吉)訳『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房、187頁 参照

 以上は、支那事変から対英米戦争へ至る大東亜戦争の冒頭部分の歴史事実であるが、この部分だけ考察しても、当時の日本政府の政治力学の背後に潜む「赤いイデオロギー」が見え見えではないか。

 このように、その時代に日本国全土を支配していた精神的側面である政治思想哲学的分析を欠いた外面的側面(=事件、出来事)のみの分析は、歴史的考察とは言わない。

 このような、哲学・思想という精神的側面の考察を欠いた、歴史の表象(外面的側面)の考察のみからなされる半身の歴史解釈からは重要歴史的考察歴史的教訓必ず欠落して放置される

 だから、戦後の日本国はこの「重要な歴史的考察歴史的教訓の欠落と放置を今日まで引きずっているのである。


 ランケに師事して学んだ偉大な歴史家であるブルクハルトは、歴史的考察の二つの基本方向について以下のように述べている。

 ブルクハルト曰く

 「ここで、どうしても避けて通れないのは、歴史全般の大きな全体的課題についての検討であり、われわれが本来なすべきことについての検討である。

 精神的なもの(=内面的な哲学・思想など)も物質的なもの(=外面的な出来事・事象など)も同様に変化しうるものであり、また、時代の変遷は、外面的生(=物質的な生)ならびに内面的生(=精神的な生)を覆う衣装となっているもろもろの形(=物質的な生〈=人間の体と仮定せよ〉と精神的な生〈=人間の心と仮定せよ〉の複合的な表象としての衣装〈=その時代の文化そのもの〉)も絶えず引きさらってゆくので、総じて歴史のテーマは歴史がもともと同一のものである二つの基本方向を示して、これを出発点とするというところにある。

 すなわち、この基本方向の一つは、一切の精神的な事柄(=その時代の支配的な哲学・思想に影響を受ける事象)は、それがどんな分野(=政治経済文化芸術・・・)において知覚されるにせよ、歴史的側面(=歴史の時間軸的側面過去との関連性)をもっており、この側面から見るとき、この精神的な事柄(=その時代の支配的な哲学・思想に影響を受ける事象)は(時間軸的に変化するものとして、制約された(=その時代に限定されたものとして現われ、また、束の間(=その時代だけのものでありながら、しかもわれわれには計り知ることのできない大きな、(歴史全体の中へ組み入れられているその時代を大きく動かす動因(モーメント)として現われるというものである」(ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』、ちくま学芸文庫、2009年、1819カッコ内:私(=ブログ作成者)

 私の解説:つまり、要約すれば、精神的な事柄である哲学や思想は歴史的に変転するのであるが、ある時代の支配的な哲学・思想その時代の束の間のものではあるが我々人間には計り知ることのできない巨大な力をもってその時代の流れを方向づけるということ→つまり、大東亜戦争時に日本国に支配的であった哲学・思想とはマルクス・レーニン主義であったのである。ブルクハルトによれば、その時代の支配的な哲学・思想が、歴史の大きな動因になると言っているのである。

 ブルクハルト続けて曰く

 「そしてもう一つの基本的方向においては、一切の出来事精神的側面(=未来のあらゆる時代の支配的な哲学・思想から考察・検討される側面)を持っており、この側面から見るとき、一切の出来事は永遠不滅(→不滅であって不変ではないことに注意)の性質を分かち持っているのである。

 それというのも、(未来のどのような時代においても)精神(=支配的な哲学・思想)は変転することはあるが、(哲学・思想は)移ろいゆくもの(=衰退して消滅してしまうもの)ではないからである」(ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』、ちくま学芸文庫、2009年、19カッコ内:私(=ブログ作成者)

 私の解説:ある時代の歴史の考察は、二つの基本的方向を示して、そこを出発点とすることが必要である。

 基本的方向の一つは、精神的側面〈=その時代に支配的であった哲学・思想その時代の価値観からの考察である。そして、ある時代の支配的な哲学・思想はその時代の束の間のものではあるが、我々人間には、計り知ることのできない巨大な力をもってその時代の流れを方向づけている

 もう一つの基本的方向は、ある時代の一切の出来事を、未来のある時代の歴史家等がその歴史家が現存する時代の支配的な哲学・思想〈=過去を未来の価値観で考察することである。この場合、過去の出来事を考察する未来の支配的哲学・思想・価値観によってその出来事の解釈は変転しうるその出来事自体は永遠不滅である

 つまり、私(=ブログ作成者)が上記で言いたかったことは、日本の歴史家の大東亜戦争についての歴史的考察は、ブルクハルトの言う、一つ目の基本的方向での考察が不充分にすぎるし意図的に逃避している感があるということである。

 1920年代から1930年代は、政治家、日本全国の大学の学者新聞社帝国陸海軍(特に陸軍)の将官将校エリート官僚そして19376月からは政府までがコミュニストに掌握されたマルクス・レーニン主義最盛期であったという歴史事実に触れ、そのマルクス主義最盛期の下で日本国は1932年の5.15事件から直線的に大東亜戦争へ突き進んでいったという政治哲学・思想的側面から歴史事実を記した歴史書歴史教科書が日本に何冊あるだろうか?ということである。

 私は、私の勉強不足かもしれないが政治哲学・思想の側面から大東亜戦争の歴史事実に社会主義者・共産主義者やそのシンパらを根拠を提示しながら実名を挙げて、歴史の核心部近くまで追求した歴史的考察の著作は中川八洋 筑波大学名誉教授の(『山本五十六の大罪』、弓立社、2008しか見たことがないと考える。この著作は、細かい部分での誤謬や憶測部分はあるかもしれないが、大東亜戦争を主導した日本政府・帝国陸海軍の大局的な原動力と戦争目的政治哲学的な炯眼で透視した歴史的考察の書であり、大東亜戦争を政治思想史的側面を語るにおいて、必読の書であると私(=ブログ作成者)は考える。

 読者の皆さん、ここまで理解頂けただろうか



 保守主義の哲学---「平等」という虚構---人間は生まれながらにして“不平等”である(4)へ続く

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