保守主義の哲学---「平等」という虚構---人間は生まれながらにして“不平等”である(4)



―――エドマンド・バーク保守主義哲学)―――

 「平等」・「平等主義」という虚構否定が、真正自由主義保守主義である

 「平等」・「平等主義」という虚構世界史的考察

―――人間は生まれながらにして不平等である(4)―――


 なお、ブルクハルトは、次のようにヘーゲルの『歴史哲学』を痛烈に批判している。

 ブルクハルト曰く

 「歴史哲学は、半身半馬の怪物(ケンタウロス)であり、形容矛盾である。というのも、歴史とはすなわち、事柄を同格に論じることであって、これは非哲学であり、哲学とはすなわち、一概念の他概念への従属化であって、これは非歴史であるから」

 「さてここで、従来の歴史哲学の特徴に関して述べれば、それは歴史のあと追いその縦断面を示してきた。歴史哲学事柄を年代順に処理してきたのである。

 歴史哲学はこのようにして世界進展の全般にわたるプログラムを手に入れるところまで達しようとしたのであった、それもきわめて楽観主義的な感覚において。

 その『歴史哲学』におけるヘーゲルがそうである。彼は言っている。<哲学が持ち合わせている唯一の思想は、理性という単純な思想である。すなわち、理性が世界を支配するそれゆえ世界史においても事態は理性的に進行してきた・・・そして世界史は世界精神理性的必然的歩みであったということこそ世界史の成果でなければならない>というのがその思想である。

 ―――だが、こうしたすべてのことは何といってもまず立証されるべきものであって、哲学が<持ち合わせているとすべきではなかったのである。彼(=ヘーゲル)は、<われわれ(=哲学者)の認識のめざすところは、永遠の智恵によって意図されたもの>ということを述べており、自分の考察を弁神論と称している。

 これは、否定的なものを(通俗的表現では、を消滅させ下位のもの超克されたものにしてしまう肯定的なものを認識することによって成立しうるのである。

 彼は、世界史とは、精神が己自身の意味するものをどのようにして意識するにいたるかを叙述することである、という根本思想を開陳している。

 ・・・だがわれわれは、永遠の智恵が目指している目的については明かされていないので、それが何であるかを知らない世界計画のこの大胆きわまる予見は間違った前提から出発しているので誤謬に帰着することになる。・・・」ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』、ちくま学芸文庫、2009年、19

 私の解説:上記のブルクハルトの趣旨を簡単にまとめると、次のとおり。

 ①歴史とは、例えば500年前に起こった事柄も、200年前に起こった事柄も、100年前に起こった事柄も現在起こっている事柄もすべて同格に取り扱う学問であって、それらの事柄にに歴史的意味・意義の上下関係は全くない

 つまり、新しい時代に起こった事柄がそれより古い時代に起こった事柄より歴史的意味・意義上位にあるということを意味しない。(=ブルクハルト

 ②哲学とは、哲学的真理哲学原理Aの発見→Aをより包括的に説明しうる哲学真理哲学原理Bの発見→Bをより包括的に説明しうる哲学真理哲学原理Cの発見→・・・という具合に、古い時代の概念新しい時代の概念への従属化包合化)であり、哲学的意味・意義の重要度に序列がある。(=ブルクハルト

 ③ ①と②より、歴史哲学とは形容矛盾であり、歴史に哲学法則は適用除外である

 ゆえに歴史哲学とは歴史と哲学という相容れないものを接ぎ木した半身半馬の怪物であり、その用語自体が意味を為さない。(=ブルクハルト

 ④世界史は、世界精神(?)の理性的で必然的歩みであった。われわれ哲学者の認識の目指すところは、永遠の知恵(?)によって意図されたものである。(=ヘーゲル

 私(=ブログ作成者)が思うに、デカルトに始まる合理哲学の世界では、哲学とは宗教ではないから、哲学的真理の説明に人間の理性で認識不可能(=カントが証明)な宗教上の神Godは持ち出せないはずである。

 もし、神を持ち出すならば、それは理性でなく神話であるから哲学ではない

 そうであれば、ヘーゲルの言う理性的な「世界精神」や「永遠の叡智」とは何を意味するのか不明である。

 可能性としては、ルソーの「立法者」の「一般意志」か、フランス革命時のロベスピエールらが信仰した「理性神」の世界史版くらいしか考えられない。

 ⑤ヘーゲルは、自分の考察を弁神論と称している。

 これは、否定的なものを(通俗的表現では、を消滅させ下位のもの超克されたものにしてしまう肯定的なものを認識することによって成立しうるのである。(=ブルクハルト

 私(=ブログ作成者の解説:ここで、ヘーゲルは「弁神論」とを持ち出した。

 ということは、理性的な世界精神」や「永遠の叡智」とは「理性神の精神・叡智」と解釈するしかないであろう。

 ところで、人間の理性を「と信仰する理神教とは狂人の信仰する邪教である。つまり世界で自分が最も理性的である天才だと考える人間は、自分が神であると錯覚する可能性を示唆している。どうもルソーやヘーゲルはその傾向にある。

 また、弁神論弁証法の意味を含んでいる。

 なぜなら、「弁神論とは、否定的なものを(通俗的表現では、を消滅させ下位のもの超克されたものにしてしまう肯定的なものを認識することによって成立しうる」(=ブルクハルト)のであるから、まさしくテーゼ(命題)、アンチテーゼ(反対命題)がアウフヘーベン(止揚)してジンテーゼ(本質的に統合した命題)に発展するというヘーゲルの観念的弁証法である

 しかしながら、弁証法歴史に適用すれば、ブルクハルトの指摘するように、歴史上のすべての悪行(=アンチテーゼ)は、すべてアウフヘーベン(=止揚)してジンテーゼ(合)に発展するために、必要で止むを得なかった悪行であった、と解釈される許される(=悪行消滅する悪行でなくなる)ことになる。

 この弁証法的歴史哲学で歴史を解釈するならば、自国民約50万人を殺戮したフランス革命も、ヒトラーのナチスドイツのユダヤ人ホロコーストも、共産ソ連のレーニンやスターリンの残虐非道な悪行も、すべて未来の歴史への発展(=進歩のためのやむを得ぬアンチテーゼ(=犠牲生贄であったのだ、と悪行はすべて許され消滅する悪行でなくなる)ことになる。

 つまり、現在の日本国に存在する、マルクス・レーニン主義社会主義者共産主義者は、歴史を唯物弁証法唯物史観)で捉えるからこそ、レーニン、スターリンの残虐非道な悪行の共産ソ連が崩壊した後もマルクス・レーニン主義を捨てないし、反省もしないのである。

 つまり、共産ソ連の殺人鬼レーニン・スターリンの悪行とその崩壊を歴史のアンチテーゼとみなし、アウフヘーベンしていずれジンテーゼ高次の共産社会が訪れると妄想するからである。

 このように、唯物弁証法唯物史観とは疑似宗教であるマルクス・レーニン教アヘンのような教義であって、一旦それに洗脳されると、何があってもいつまでも共産社会ユートピアの到来を妄想し続けて止むところを知らないのである

 なお、社会主義者共産主義者やそのシンパの人間らは、共産ソ連でレーニンやスターリン、共産中国の毛沢東、共産朝鮮の金日成・金正日、共産カンボジアのポル・ポト等々が自国民に対して行なった、目も当てられない惨劇が白日の下に晒されても、それを歴史発展のための止むを得ぬアンチテーゼ(=犠牲生贄)とみなす、非道徳極まる狂った人間精神欠陥の人間たちであることは言うまでもなかろう。

 なお、繰り返すが、共産ソ連74年間1917年~1991年)のレーニンスターリンによる共産党独裁恐怖政治の目も当てられないような、犯罪テロルジェノサイド)・抑圧惨劇については、ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト共著『共産主義黒書』ソ連篇、恵雅堂出版、2006を参照されたい。別冊コミンテルン・アジア篇もある。人間がここまで非道であり得るのかと唖然とするほどの悲惨・悲劇である

 (5)マルクス・エンゲルス『共産党宣言・共産主義の諸原理』における平等化政策

 ひどく横道にそれたが、話を「平等主義に戻す。

 先にも述べたように共産主義とは(虚構の実現しえない平等主義であるが、マルクスエンゲルスの『共産党宣言・共産主義の諸原理』における具体的な平等化政策を以下に列挙する

 ――(マルクス・エンゲルス『共産党宣言・共産主義の諸原理』、講談社学術文庫、155157)から抜粋ここから――

 民主主義(=共産主義、人民民主主義)は、さらにすすんで直接に私的所有を収奪し、プロレタリアートの生存を保障する諸方策を貫徹するための手段として、ただちに利用されるのでないかぎり、プロレタリアートにとってまったく無益であろう。これらの方策のうちで、すでに現在既存の状況の必然的な帰結としてでてくる最も主要なものは、つぎのとおりである。

 ①累進税、おもい相続税、傍系(兄弟、甥など)相続の廃止、強制公債などによる私的所有の制限。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 累進課税相続税国債(+個人向け国債増発による私的所有の制限。

 また破綻寸前の巨額の国債発行残高はわれわれの子孫の私的所有の先行廃止を意味している

 ②土地所有者、工場主、鉄道所有者、船舶所有者の、部分的には国有産業の競争により、部分的には直接に不換紙幣での補償による、(国家による私的所有の)徐々の収用。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 現在は、郵政事業民営化の実質国営への逆戻り感があるが、特に該当するものはなし

 以前は、国鉄・電信電話公社・郵政事業等があったが、私企業との競争にはならず杜撰な赤字経営に陥り民営化された

 本件と直接関係はないが、島根県対馬韓国人による土地買収の増大傾向には、国家主権上の観点から注意が必要である

 ③人民の過半数に反対するすべての亡命者と叛逆者の、財産の没収

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 直接的にはなし

 ただし、民主党小沢一郎幹事長他の幹部などが、地方の都道府県・市町村の要望に対し、選挙で民主党に票をいれる協力をしなければ予算をつけないなどと発言するのは叛逆者に対し、「財政的に逼迫することになるぞという恫喝であり叛逆者を許さないという趣旨としては③と同一のものである

 ④国有財産、すなわち工場および作業場について、労働を組織し、あるいはプロレタリアを雇用すること。それによって労働者間の競争を排除し、工場主がまだ残っている間は、国家が支払うのと同一の、ひきあげられた(=値上げされた)賃金を支払わざるを得なくする。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 直接的ではないが公務員制度と官僚の天下り制度がある。しかし、公務員制度共産主義国に関わらず、自由主義国にも存在するものでる。

 あえて、改善する点と言えば、無駄な事業と必要な事業の峻別であるが、昨年民主党が行なった事業仕分け必ずしもそうはなっていない

 事業仕分けで、予算の圧縮を図るパフォーマンスをしながら必要のない平等主義政策である、高校無償化子ども手当を創設し学校教育法の定義する高校に該当しない朝鮮学校無償化対象(=地方まかせ)にしたり、国籍を無視して日本国内に住所を持つという条件のみで外国人の母国に居住するすべての子供にまで日本国民と同一条件で手当てを支給してりして日本国民の税金資産を海外に流出させることになった

 いったい事業仕分けをして日本国内の事業予算を圧縮して海外へ流出する国民の税金を大幅に増額するなどというのは、どういうことなのか。論理が全く転倒している

 真正の日本国民は第二回目の事業仕分けなどは参議院選に向けた民主党のパフォーマンスにすぎないから一切無視するべきである

 ⑤私的所有の完全な廃棄まで、社会のすべての構成員にたいする平等な労働義務。特に農業のための、産業軍の形成。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 前者は、男女共同参画社会配偶者控除の廃止扶養控除の廃止等。

 後者は、共産ソ連コルホーズソフホーズ中共人民公社のような農業のための産業軍(=労農主義的産業軍)は形成されていない。

 農業のための産業軍とは異なるが、民主党がマニフェストに掲げる「農業の戸別所得保障制度の創設は農業を国家依存症にさせる平等化政策の一環である

 ⑥国家資本をもったひとつの国立銀行による、信用制度と貨幣取引の国家への集中とすべての私的銀行及び銀行家の抑圧。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 新規国債発行による銀行への国債購入の強制

 ⑦国有の工場、作業場、鉄道、船舶の増大と、あらゆる地片の開墾と、すでに開墾されたものを、国民が自由にできる資本と労働が増大するに比例して、改良すること。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 特になし

 ⑧すべての児童を、かれらが母親の最初の世話から離れるようになった瞬間から、国民の施設で国民の費用で、教育すること。教育と製作の結合。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 200412月策定の「少子化社会対策大綱に基づく重点施策の具体的実施計画について」(「子ども・子育て応援プラン」)と男女共同参画社会基本法により、日本国民に、働く両親は子どもの世話をしなくて良いとの勘違いを生じさせている

 このため、「地域ぐるみの子育て支援」、「地域子育て支援拠点」、「一時預かり事業の拡充」などは、両親の関与しない共同体による子育てであり、上記の共産主義の政策⑧の政策ほど過激ではないが、ひと昔前よりは、両親による直接的子育ての時間は極端に減少している

 わが子をあずける、人間、共同体、市民団体等が、どのような思想を有しているかも解らずに無条件かつ全面的に子どもの育児・教育をゆだねることほど危険なことないということを良識ある日本国民はおっと理解し、警戒するべきである

 両親は最低限1日1時間でも子どもと会話する時間を必ずもって、「子育てサークル」、「保育所」、「小・中・高等学校どのようなことがあったかどのようなことを教えられたか等々を聞き育児・教育の内容に疑問があれば相手方に問い合わせて確認するくらいの態度が必要であろう

 教育と製作の結合は、子供の自ら学び自ら考える力などの「全人的な生きる力の育成」をめざす「総合学習の概念と近似する

 『共産主義の諸原理』では、以下のように述べている。

 「(共産主義的)教育は、わかい人々に、生産の全体系(=何でもできる全人的な生きる能力を急速に終了させることができるだろう」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言・共産主義の諸原理』、講談社学術文庫、161


 保守主義の哲学---「平等」という虚構---人間は生まれながらにして“不平等”である(5)へ続く




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