保守主義の哲学---「平等」という虚構---人間は生まれながらにして“不平等”である(5)


―――エドマンド・バーク保守主義哲学)―――

 「平等」・「平等主義」という虚構否定が、真正自由主義保守主義である

 「平等」・「平等主義」という虚構世界史的考察

―――人間は生まれながらにして不平等である(5)――― 


  国家公民の自治体のための、共同体住宅として、国有地に大邸宅を建設する。その自治体は、農業とならんで工業を営み、農村生活の長所とともに都市生活の利益をも統一し、しかも両者の生活様式の一面性と害悪をもたない。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 この政策⑨は、『共産主義の諸原理』においての以下の記述に基づくものである。

 「社会によって、共同的かつ計画的に経営される工業は、諸要素があらゆる方面へ発展した、生産の全体系をみわたせる状態にある人間を完全に前提する

 ・・・分業は、こうしてまったく消滅するであろう。

 (共産主義的教育はわかい人々に生産の全体系(=何でもできる全人的な生きる能力を急速に終了させることができるだろう。それらはかれらを、社会の必要あるいは、彼ら自身の性向が求めるに応じてひとつの生産部門から他の生産部門へつぎつぎに移行するような立場におくであろう」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言・共産主義の諸原理』、講談社学術文庫、161

 つまり、共産社会では、共産主義的教育を受けた、何でもできる完成された人間(=進歩的人間のみを必要とする社会であるから、自治体は、そのような、進歩した人間に適応した、農業農村)と工業都市の融合した生活様式の形態を整えねばならないということである

 現在の日本国には共産主義的な教育を受けた進歩した人間存在しないからそのような政策はない

 逆に、一時期「ゆとり教育」によって、知的に退歩した国民を育てようとしたほどである。

 知的に退歩した国民は政治や政治哲学が解らないから暴力を用いない、法律などの強制による上からの社会主義共産主義革命を起こしやすくなるという、赤い文科省官僚寺脇研(=全共闘系のマルキストの革命目的の実行であっ

 「学生を受験競争のストレスから解放する」などというのは、マルキストらしく、真っ赤なウソデタラメである。

 なぜなら、上記のとおり、共産社会では何でもできる完成された進歩的人間であることが前提とされているのだから、共産社会で生き残るためには自由主義社会での受験戦争以上に命をかけた猛勉強をしなければならないことになるからである。

 ⑩すべての不健康で粗悪につくられた住居と市街地のとりこわし。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 この政策⑩は、デカルトの『方法序説の内容とほぼ同一

 F・ハイエクの名づけた、デカルト的設計主義的合理主義」に基づく。

 デカルトの『方法序説』、有名な「我思う故に我ありの虚構については、(私のブログ→「共観妄想の設計主義的合理主義」)を参照されたい。

 日本国の政策としては特にない

 国交省区画整理事業農水省圃場整備事業などを行っているが、これらは私的所有の廃止を伴うものではないし、趣旨が全く異なるため該当しない

 ⑪結婚によらない子供にたいしても、結婚による子どもと平等な、相続権。

 私(=ブログ作成者)の解説現在の日本国の政策であてはまるもの

 いわゆる、エンゲルスの唱える「事実婚主義」である。日本では、社会主義者福島瑞穂がその筆頭である。

 現在の鳩山由紀夫内閣の、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)(少子化対策担当)(男女共同参画担当) 福島瑞穂社会民主党旧社会党系)と法務大臣 千葉景子民主党横路グループ旧社会党系)らの社会主義者民主党および、法務省の赤色官僚が談合して提出を目論んでいる「選択的夫婦親子別姓法案」の最終目標ターゲット)は、別姓そのものではない

 真のターゲットは、夫婦(親子)別姓に伴う戸籍法の改正による「戸籍の廃止と「個籍個人籍)」の創設であり、教条的なマルクス・レーニン主義に基づく「家族解体」→「国家解体」である

 社会主義者であり、狂気の殺人鬼であるレーニンを崇拝する、福島瑞穂は、その著書(『結婚と家族―新しい関係に向けて―』、岩波新書、1992)で以下のように述べている。

 「4 夫婦別姓になって困ること

 現在は、夫婦別姓(姓=氏)にするためには、①結婚(=婚姻)届をそもそも出さない、②結婚(=婚姻)届をだし、戸籍名は変わっているが、旧姓をそのまま使い続けるという二つの方法しかない。

 しかし旧姓を使い続けるには大変な面もある私の意見:これが夫婦別姓の理由なら笑止である。そんなわけがない)

 そこで、結婚(=婚姻)届を出す結婚に、同姓(=同氏)と別姓(=別氏)の両方を認めるように法律改正をすることが進んでいるが、法律改正をして何か困ることがあるだろうか。

 選ぶ自由

 まず、第一に、夫婦別姓になると全員夫婦別姓にならないといけないと思っている人がいるかもしれない

 しかし、日本の場合は、同姓を望む人には同姓を、別姓を望む人には別姓を、どちらも自由に選べるようにすればいい。『選べる(=自由)』というのが重要で、望まない姓のあり方を押し付けられるのは、それが同姓であっても、別姓であっても、苦痛だと思う

 第二に、別姓を選んでも姓が別姓というだけで、あとの法律関係は、同姓の場合とまったく同じ私の意見:本当?)であり、扶養義務があることや互いに相手が死亡した場合、法定相続人になることなどは変わらない。

 結婚後の姓のところだけ同姓か別姓かとパーンと二つに分かれて後の部分はそのままと考えたらいい。法律上何か不利になるということはない私の意見:本当?)

 第三に、夫婦別姓が実現すると、子どもはどうなるのか子どもがいじめにあうのではないか、という質問を受けることがよくある。

 夫婦別姓が実現すれば、子どもは、どちらか一方の親とは姓が違うことになる。

 ・・・でもそういう家庭がふえれば、これは慣れの問題で、べつにどうということはないのではないかと思う。(私の意見:子どもの心・気持ちが全く分かっていない愚か者。私はあなたのような愚か者と同じではない。あなたのような愚かな少数派に合わせるのは、まっぴらごめんである)

 ・・・

 今だって、実は、親と子どもの姓が違うことはしばしばある。

 たとえば、母親が離婚して、旧姓に戻ったとする。子どもは、学校に行っていたり(=通っていたり)して、もう(今さら)姓を変えたくない(と思ったとする)。

 そういう場合、子どもはほとんど父親の姓を名乗っているわけだから、旧姓に戻った母親と子どもは姓が違うことになるこういう場合母親と子どもの姓が違って親子の一体感がなくなるということはないはずだ」(私の意見:親子の一体感がなくなることはないが、大きく損なわれるのは自明である。親子・夫婦・家族の一体感が弱まることはあっても、強まることなど皆無である法律が本当に必要なのか?法律の真のねらいをはっきり言ったらどう?)(『結婚と家族―新しい関係に向けて―』、岩波新書、1992年、158160

 私(=ブログ作成者)の解説以上の部分のみを読めば、あるいは聞かされれば、多くの日本国民が夫婦親子別姓法案が成立しても同姓と別姓が自由に選択できて法律上あとは何も変わらないと勘違いするとんでもない大間違いである。

 良識ある日本国民は、社会主義者・共産主義者の虚偽虚構の言説など絶対に信用してはならない

 なぜなら、同書の別のパラグラフで、福島瑞穂は以下のように述べているからである。



 保守主義の哲学---「平等」という虚構---人間は生まれながらにして“不平等”である(6)へ続く

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