保守主義の哲学シリーズⅠ-2 (4)‐‐‐バーク保守主義、ベンサム理論を抹殺す‐‐‐その弐

その弐では、まずその壱で付けた注釈(※1~※5)の解説から始める。

※1日本国憲法と明治憲法

『日本国憲法』

(前文)

①日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも,国政は,国民の厳粛な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基づくものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。

“憲法”とは先に“コモン・ロー”があって、そこから発見した原理を、成文化(明文化)するものであり、その結果、当然のこととして、国家権力は必然的に憲法に制限されるものである。天皇であっても、国民であっても、「主権」など存在しえないし、してはならないものである。

 しかし、日本国憲法はこれを完全に転倒し、絶対権力である「主権」が初めにあって、それに反する“憲法、法令、及び詔勅”を排除するとなっている。“立憲主義”、“法の支配”が全く理解されていない。自由主義社会の正統な憲法とは全く言えない。この憲法の規定では「主権」が暴走すれば、すぐにレーニンやスターリンのソ連、ヒトラーのナチ・ドイツのような全体主義国家に反転する。また、それを「人類普遍の原理」と言っている。狂気の憲法である。

②日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思う。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免がれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

➡「平和を愛する諸国民」とか「平和を維持し、・・・・努めている国際社会」などという概念は他国に関することであって、“日本国のコモン・ロー”に発する、日本国憲法の憲法原理ではない。このように、自国の憲法原理でないことを憲法に明記するから、憲法と諸外国の現実との乖離が生じるのである。

 日本の周辺国である、中国・韓国・北朝鮮・ロシアのどの国に「公正と信義」があるのか。「平和を維持し、・・・・努めている国際社会」も同様であり、そのように努めている国家は多いが全ての国家がそうではない。それを「国際社会」としてひとくくりにするのは、正当な論理ではない。

③われらは,いずれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従うことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

➡政治道徳の法則は国家間で最低限、共通する部分もあるものの、本質的には国家によって異なるものである。

 中国と日本の政治道徳が同じであるか。米国と旧ソ連の政治道徳が同じであるか。あり得ない。政治道徳とは、その国家ごとのコモン・ローによって異なるものである。異なるからこそ対立が起き、紛争が起き、戦争が起きた歴史があるのである。その歴史を繰り返さないために国際連合が設立され、普遍的でない国家ごとに異なる政治道徳の対立を調整し、紛争・戦争に至らないようにするのである。

④日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う

➡日本国のコモン・ローの一つである、“国防の義務”を第九条で放棄して、自国の防衛もまともにできない国家が、このような崇高な理念を万が一にも達成できるわけがなかろう。愚鈍のパラドックスである。

 第1条(国民主権,天皇の地位)

 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの地位は,主権の存する日本国民の総意に基く

前半部分は、コモン・ローの成文化、つまり、憲法に制限された制限君主制を述べており、正統な憲法原理である。後半は前述したように「主権」の概念により、法の支配に背反し、憲法原理ではない。しかも、“天皇の地位”はそれ自体“コモン・ロー”であるから、国民の総意によるものではない。

 よって第一条の後半部分は削除して、第一条「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」とするか、後半部を「この地位は万世一系の世襲による時効である」とすべきである。これが正統な憲法原理である。

『明治憲法』

(上諭)

 朕(ちん=天皇の自称)祖宗(そそう=初代から先代までの代々の君主)の遺烈(いれつ=先人のなした立派な功績)を承(う)け万世一系(ばんせいいっけい=永遠に一つの系統が続くことで,一般には天皇の血統についていう)の帝位(ていい=皇帝や天皇の位)を践(ふ)み朕か親愛する所の臣民(しんみん=君主国において,被支配としての人民。明治憲法下においては,天皇および皇族を除いた国民をいう)は即ち朕か祖宗の恵撫(けいぶ=情をかけていつくしむこと)慈養(じよう=いつくしみ大切に育てること)したまひし所の臣民なるを念(おも)ひ其の康福(こうふく=すこやかで幸せなこと)を増進し其の懿徳(いとく=麗〔うるわ〕しい立派な徳)良能(りょうのう=生まれながらに備わっているすぐれた才能)を発達せしめむことを願ひ又其の翼賛(よくさん)に依(よ)リ與(とも)に倶(とも)に国家の進運(しんうん=進歩・発達する機運)を扶持(ふじ=そばにいてたすけささえること)せむことを望み乃(すなわ)ち明治14年10月12日の詔命を履践(りせん=実際に行うこと)し茲(ここ)に大憲を制定し朕か率由(そつゆう=前例からはずれないようにすること)する所を示し朕か後嗣(こうし=あとつぎ)臣民及臣民の子孫たる者をして永遠に循行(じゅんこう=命令に服従して行うこと)する所を知らしむ国家統治の大権は朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり朕及朕か子孫は将来此の憲法の条章(じょうしょう)に循(したが)ひ之を行ふことを愆(あやま)らさるへし朕は我か臣民の権利及財産の安全を貴重し之(これ)を保護し此の憲法及法律の範囲内に於(おい)て其の享有(きょうゆう=生まれながらに持っていること)を完全ならしむへきことを宣言す帝国議会は明治23年を以(もっ)て之を召集し議会開会の時(明治23年11月29日)を以て此ノ憲法をして有効ならしむの期(き)とすへし将来若此の憲法の或る条章を改定するの必要なる時宜(じぎ=ほどよいころあい)を見るに至らは朕及朕か継統の子孫は発議の権を執(と)り之を議会に付し議会は此の憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外(ほか)朕か子孫及臣民は敢(あえ)て之か紛更(ふんこう=むやみに改め変えること)を試みることを得さるへし朕か在廷(ざいてい=朝廷に仕えていること)の大臣は朕か為に此の憲法を施行するの責(せめ)に任すへく朕か現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふへし

 第1条

 大日本帝国ハ万世一系(ばんせいいっけい)ノ天皇之(これ)ヲ統治(とうち)ス

➡明治憲法は上諭及び第一条をあわせて考えれば、“コモン・ロー”の発見、“法の支配”と“主権の制限”及び臣民(国民)の私有財産・自由・道徳(正義)の擁護そのものの成文法(明文法)である。

 なお、第一条で「天皇が大日本帝国を統治する」としているから、天皇主権ではないか?と短絡的に考える人は、文章の読解力がない

 上諭の中で「朕及朕か子孫は将来此の憲法の条章(じょうしょう)に循(したが)ひ之を行ふことを愆(あやま)らさるへし朕は我か臣民の権利及財産の安全を貴重し及之(これ)を保護し此の憲法及法律の範囲内に於(おい)て其の享有を完全ならしむへきことを宣言す」とまさに“法の支配”に基づいて統治すると言っているであろう。 よって第一条が天皇主権」を意味すると解するのは完全な誤謬の解釈である。

※2外国人の地方参政権付与の問題

 この問題は、最高裁で違憲判決(裁判官のおかしな個人的意見が付いた)が出ているのに、「韓国が先にやったから、日本も(憲法無視して)やるべきだ」とか友愛だの愛だのを持ち出して、「この問題を前向きに決断する」とか言うような、場当たり的な「感情論」で相手の気に入ることしか言えないような男に「一国の総理を任せる」現在の日本国とは何なのか。

 英国のマーガレット・サッチャー首相や米国のロナルド・レーガン大統領のような強力なバーク保守主義の指導力で国を引っ張れるような偉大な政治家は日本にいないのか?

 バーク保守主義を掲げる日本国の国士真の勇者)が集まり天皇陛下を奉戴(あくまでも立憲君主としてである)して自民党を飲み込んでしまうような「最強の保守政党」がつくれないものだろうか?

 その真の保守政党の目的は当面次の二点であろう。

 第一に天皇陛下(皇室)及び皇族の未来永劫の立憲君主制における地位を(国民の手では天皇制度に触れることができないように)固めること。

 第二に「国民の生命(安全)、私有財産、自由(と裏表の道徳)」に対する権力濫用(暴力・非暴力による制度革命)を制限し、これらの「国民の権利」を確実に担保する「憲法」を日本国のコモン・ローの中から発見し成文法として制定すること。(第一もこれに含まれる)

とりあえず、この二点が成し遂げられれば、日本国の永続的繁栄は何とか確保できるであろう。この二点が、子孫に引き継ぎたい最低限のリレーのバトンである。

※3「人民」について

 共産主義国での「人民」とは、個々の個人としての人民ではない。それは、一つの全体としての「人民」のことである。これらの国で、特定の個人を指す時は「分子」という。「中華人民共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」でよく聞く、「反乱分子」の「分子」である。

 そして、人民民主主義国家とは、「一つの全体としての人民からなる人民主権国家」つまり、「ルソーの絶対者による人民主権国家」のことである。中国では絶対者=中国共産党と国家主席(胡錦濤)、北朝鮮では絶対者=朝鮮労働党と国家主席(金正日)である。

 なお、関連して、日本国民のほとんどすべてが誤解している点について補足しておく。

 それはアメリカ合衆国(米国)についてである。

 まず、第一に米国憲法に人民主権国民主権の概念は一切ない。米国国民の多くも「国民主権」などという概念にいささかの関心もないし、言葉自体知らない人が多い。

 なぜなら、米国憲法起草者は、デモクラシー(日本では民主主義と訳されているが、本来はデモス(民衆)のクラシー(政治参加制度)という意味で、人民主権という「主権」概念ではない。)による、立法(議会)権力の暴走=権力乱用を懸念し、それをいかに制限するかに腐心し、これが、米国憲法の「立憲主義」の目的となったからである。

 そのような、立憲主義」の下では「主権」=「いかなる制限も受けない絶対権力」など存在しえないからである。あらゆる権力、大統領の権力でさえ、憲法に制限される、従わなければならないのである。

 第二に米国憲法における、例えば前文の「”We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defense, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.”」

 を「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。」というふうに「the People」を「人民」と訳すのは意図的な意訳誤訳である。米国民にとって「the People」を「米国籍のある国民」という意味が常識であり、さらにいえば、「愛国心ある国民」という意味すらあるくらいである。これが歴然とした事実である。

 とするならば、あのエイブラハム・リンカーン大統領の名句「"government of the people, by the people, for the people"」は「国民の(で構成される)国民による国民のための政治」と訳されなければ誤訳である。国民とは言うまでもなく「米国籍を持った米国民」である。

 なお、of the peopleを「国民から発した」とする訳があるが、これは国民主権を匂わせる誤訳である。米国に国民主権の概念はないから、「国民で構成される」とか「国民から選ばれた代表者である国民からなる」と訳されるべきである。間接代議制を意味しているものである。

 それを日本では「人民人民による人民のための政治」と誤訳(私は意図的な意訳だと思うが)して教えている。これは私の考えでは、「独立戦争」と「アメリカ建国」を「アメリカ独立革命」と名付けて、「フランス革命」と混同させ、どちらも「革命」によって、「人民主権の国家として誕生した国家である」同一視させるための、日本の憲法学者・政治学者等の日本国民への詐欺的捏造行為と思われる。

 先にも述べたように、アメリカ共和制は「立憲主義国家であり「人民主権」などさらさら存在しない。一方、フランス革命によるフランス共和国は「人民主権」の国家であり、「立憲主義」などさらさら存在しなかった。フランス革命では「憲法」は制定されたが2年も持たずに廃止された。その後ジャコバン憲法が制定されたが結局施行されなかった。「無憲法状態であった」のである。この意味で共和制米国とフランス共和国は水と油の全く正反対の国家である。これが、真実である。

 ノーベル経済学賞受賞者で政治哲学者のハイエクも次のように述べている。

 ハイエク曰く、

多くの点で、フランス革命は、アメリカの革命によって鼓舞されたとはいえ、後者 の主要な成果――立法の権力に制約を課す憲法――であったものを決して達成しなかった

 アメリカ「革命」とフランス革命の相違についての詳細は、私のホームページ「フランス革命の真実」を参照されたい。

※4英国の君主制について

 19世紀の英国において、英国民が君主制をどう見ていたか、政治思想の上で高く評価された、ウォルター・バジョットの『英国憲政論』The English Constitution1867年)から一部紹介しておく。

「君主(王室)制について」

 バジョット曰く、

 「さて、・・・イギリス・・・の憲法には二つの部分がある。・・・その第一は、民衆の尊敬の念を呼び起こし、これを保持する部分である。これをかりに、“威厳をもった部分”と呼んでおこう。つぎにその第二は、“機能する部分”である。憲法はこれによって活動し支配しているのである。・・・統治機構の“威厳をもった部分”などは必要でないという実際家がいることは、事実である。・・・すなわち彼らにとっては、憲法は政治目的のための政治手段の寄せ集めであると考えられる。また、憲法のどの部分であろうともそれが用務を果たしていないとすれば、・・・それがいかに権威や尊厳性をもっていようとも、実際には無価値であると考えられるのである。ところが別の論者は、・・・古い統治機構の威厳をもった部分は、機構の中核をなす・・・真に有用性を発揮する大切なかなめであることを立証しようとしてきた」

 「つまり、この二つの学派は、ともに間違っているのである。統治機構の威厳をもった部分は、機構に力を与えるとともに、その力を発動させるものである(=統治機構の力の源泉である)。機能する部分は、その力を利用するにすぎない(=威厳をもった部分から与えられた力を利用して機構を実際に作動させる部分である)。したがって、機構のお飾り的な部分(=威厳をもった部分)も、必要性をもっているのである。なぜなら、機構の生命力がこれに依存しているからである

 「・・・同一の政府に服する被治者全員が、自分たちにとってなにが有用であるかを考えるだけであるなら、また、被治者全員が同じものを有用であると考えさらに同じ方法によって同じものが与えられると考える=平等社会)ならば、憲法の機能する部分だけで十分であり、威厳をもった付属物などは必要でないことは明らかである。しかし、われわれの住む(現実の自由)社会は、そう簡単にはできていないのである

 「君主は威厳をもった地位にすわっているが、その効用は測り知れないものがある。現イギリスにおいて、女王が存在しなければ、政府は瓦解し、消滅するであろう

 「・・・しかしその代わり、憲法という観念を理解できず、具体的な人間の意志と違った法(=コモン・ロー)というものに、いささかもなじめないような階級をすべて抱え込んでいるのである。なるほど多くのものは漠然と、君主以外にも何かの制度があり、君主が統治するに当たって守るべき一定の規則があるということを知っている。しかし大多数の人間は、君主以外のどの制度よりも、君主のほうに留意しようとする。したがって君主は、測り知れない価値を持っているのである」

 「・・・王室という観念もまた、興味深いものである。・・・皇太子(後のエドワード七世)の結婚にイギリス人が示した熱狂ぶりは極度に子供じみていたように思われる。・・・しかし、感情というものは、一般の人間性のありのままの姿を、また、人間性にふさわしい姿を、最もよく示すものである

 「・・・要するに君主制は、興味深い行動をするひとりの人間に、国民の注意を集中させる統治形態である。・・・人間の感情は強く、理性は弱い。したがって、この事実が存続する限り、君主制はひろく多くの者の感情に訴えるために強固であり、共和制は理性に訴えるため弱体であると言えるであろう

 「・・・イギリス君主制の第二の特徴は、宗教的な力によって政府を補強しているということである。・・・君主は公務を遂行する有用な機関であって、更迭することができ、ほかの者をその地位に据えてもよいということであるならば、畏怖の念をもって、これを神聖視することはできない。・・・大多数の女王の臣民に向かって、女王はいかなる権利に基づいて統治しているのかと問うなら、議会の与えた権利、すなわちアン女王治世第六年第七号法律によって統治しているとは決して答えないであろうかれらは、女王は“神の恩寵”によって統治しているというであろうかれらは女王に服従する神秘的な義務を負っていると信じているのである。・・・君主制が巧妙に国家全体を神聖化している主たる理由は、君主制の特質の中に求められるべきである。しかし、その特質は、・・・功利主義者から嘲笑の的になっている。彼らは、・・・君主制を<余分なもの>であるとし、孤立し超越した政治機構の一部を笑うのである

 「・・・しかしシェイエスフランス革命時のジャコバン党員、著書『第三階級とは何か』)の失敗によって、真の君主制の長所が、極めて明らかになった。君主が神聖性を保持している場合には、これに触れさせないのが最上の策である。すなわち、君主は(立憲主義の下では)その行為について責任を負わないということを、はっきりさせるべきである」

 「・・・イギリス君主制の第三の特徴は君主がイギリス社会の頂点に位しているということである。・・・イギリスの宮廷とフランスの宮廷とを比較するのは、全くよくない。フランスの皇帝は、観念上イギリスの君主と違っている。皇帝は国家の元首ではない。皇帝すなわち国家なのである。帝政の理論によると、フランスでは、各人が平等であり、皇帝はこの平等の原則を体現しているとされている。皇帝を偉大にすればするほど、皇帝以外のものはますます卑小になり、したがってますます平等化(=貧困の平等化)することになる皇帝以外の者を卑小にするために、皇帝を偉大にするのであるイギリスの君主はこれと正反対の原理に立っている。政治の場で、君主が政争に介入するとその重要な効用を失う(ので政治に介入しない)。それと同様に、社会生活面でも君主が自己の豪勢さを見せびらかすようなことをすると、弊害をもたらすことになる。・・・イギリスの宮廷は、互いに競争している不平等な貴族制社会の指導者であるにすぎない。宮廷は壮麗さによって、他を見下そうとするのではなく、その向上を刺激しようとしている

 「・・・イギリス君主制の第四の特徴は、イギリス人が君主を道徳の指導者として考えるようになっているということである。ビクトリア女王やジョージ三世の徳行は、民衆の胸に銘記されている

 以上のバジョットの考察によれば、少なくとも19世紀中期の英国において立憲君主制は英国臣民から充分に支持されていたことがわかる。

 このような社会状況下でのベンサムの痛烈な君主制不要論の意図とはいったい何なのであろうか?さらに考察を進める。

 なお、紙幅の制限上、バジョットの「貴族制」論については別途紹介する。

(紙幅の関係上、その参へ続く。) 

スポンサーサイト

テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

コメント

Secret

プロフィール

バーク保守主義(広報部)

Author:バーク保守主義(広報部)
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード