保守主義の哲学---ホイッグ主義の蘇生による社会主義の撃退が日本救国の道である(5)

―――――エドマンド・バーク保守主義―――――

―――――保守主義哲学の神髄―――――

 18世紀 英国の“ホイッグ主義”の系譜――バークマコーレーグラッドストーンアクトン卿ハミルトントクヴィルハイエクらの思想を正統継承する者こそ真正自由主義者真正保守主義者である

――ホイッグ主義蘇生による社会主義撃退日本救国の道である(5)――

 ところで、“”・“家族”に関する“日本国法憲法”とは何か?と問われれば直接的には、先に述べたように、祖先から継承した伝統”や“慣習”そのものであるのだが、それらの伝統慣習(→道徳を含む)は、以下のような哲学思想

 (→以下は、あくまで、具体例の一つにすぎないであって、他にも過去の歴史の中に集積している多くのものがそうである)

 総体の中から祖先われわれ発見した(する)もの見つけ出した(す)ものであると考えればよい。

 ――――――――――

 ○ 十七条の憲法604年)

 第一条『一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人は派閥をつくりたがるし、悟りきった人格者というのも少ない。だから、君主父親のいうことにしたがわず近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の心で話し合うなら、自然と物事の道理にかない、どんなことも成就するものである。

 ○ 五箇条の御誓文1868年)

 一 広く会議を興し、万機公論(ばんきこうろん)に決すべし。

 一 上下(しょうか)心を一(いつ)にして、盛んに経綸(けいりん:国を治めること)を行うべし。

 一 官武(かんぶ:文官・武官)一途(いっと:一般の)庶民に至る迄、各(おのおの)其(その)志(こころざし)を遂(と)げ、人心をして倦(うま)ざらしめん(=人びとに希望を失わせない)ことを要す。

 一 旧来の陋習(ろうしゅう:悪い慣習・因習)を破り天地の公道(:てんちのこうどう:普遍的な道理)に基づくべし。

 一 知識を世界に求め、大(おおい)に皇基(こうき:天皇制に基づく国体伝統慣習を振起(しんき:大切にして国を発展させる)すべし

 我国(わがくに)未曾有の変革を為さんとし、(ちん:私は=天皇陛下)(み)を以て衆に先(さきん)天地神明に誓ひ、大(おおい)に斯(この)国是(こくぜ:憲法国家の方針)を定め、万民保全の道を立んとす。衆(しゅう)亦此(この)旨趣に基き協心努力せよ。

 ○ 大日本帝国憲法(明治憲法1889年)

 上 諭

 朕(=私は)祖宗(そそう:天皇の祖先)ノ遺烈(いれつ:祖先の遺した功績)承ケ(=継承し)萬世一系ノ帝位踐ミ(=ふみ:皇位継承し・践祖し)朕カ(=の)親愛スル所ノ臣民即チ朕カ祖宗ノ(=が)恵撫(=祖先が恵みいたわり、そして)慈養(逆に祖先が養ってもらった)シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念(おも)ヒ其ノ康福ヲ増進其ノ懿徳(いとく:美徳良能(素質・生得の才能)ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛(よくさん:政治の補佐をすること)ニ依リ與(とも)ニ倶(とも)ニ國家ノ進運ヲ扶持(ふち:扶助)セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐(りせん:実践)シ茲(ここ)ニ大憲ヲ制定朕カ率由(りつゆ:統治する)スル所ヲ示シ朕カ後嗣(こうし:子孫)臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行(じゅんこう:憲法に従い行うこと)スル所ヲ知ラシム

 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳(つた)フル所ナリ朕及朕カ子孫將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコト愆(あやま:誤)ラサルヘシ

 朕ハ我カ臣民權利財産安全ヲ貴重之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス(=法の支配・立憲主義・真正の自由主義の宣言)

 帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有效(ゆうこう:有効)ナラシムルノ期トスヘシ

 將來(しょうらい)若(もし)此ノ憲法ノ或ル條章改定スルノ必要ナル時宜見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫發議ノ權(=発議権)ヲ執(よ)リ之ヲ議會(ぎかい)ニ附シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外(ほか:以外は)朕カ子孫及臣民敢テ之カ紛更(ふんこう:変更)ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ(=憲法改正をしてはならない)

 朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ爲ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任ス(=大臣が、私の統治のために憲法施行する責任を負う)朕カ(の)現在及將來ノ臣民此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ 

 御 名 御 璽

 明治二十二年二月十一日

 →〔=ブログ作成者〕の解説大日本帝国憲法は、この「上諭」を読んだだけでも、日本国国憲は“法の支配”・“立憲主義”に基づく天皇制つまり“立憲君主制であると断定して全く問題ない

 ところが、多くの学者や研究者がこれを否定する。いや、否定しなければならないものと思い込んでいる

 しかし、以下に解説するとおり、大日本国憲法明治憲法下の日本国は立憲君主制”である。

 まず、明治憲法を理解するためには、明治憲法起草者の一人である伊藤博文の著書『大日本帝国憲法義解(以下、憲法義解と略す)』を読む必要があるが、上記の学者や研究者らは、『憲法義解』を読んでいないか、“”と「立法法律)」と“自由”の関係(→まさにF・ハイエクの著作名そのもの)が全く解っていないか、“法の支配”と「法治主義」の相違が解らないか、「人権」と“臣民国民の権利”の相違が解らないか、憲法の絛文の読解力自体に欠けるかのいずれかに必ず該当するであろうが、いずれの場合も、このような英米系憲法学基礎概念解らない人間憲法について(→それが、明治憲法であれ現日本国憲法であれ)語る資格はないし、語っても導かれる結論は必ず誤謬である。学者としての知的頽廃知的貧困としか形容できない。

 概ね、大日本帝国憲法について“法の支配”・“立憲主義による立憲君主制”を否定する人間つまり、明治憲法下では欧州大陸王権神授説の下での専制君主のように日本国の天皇にも専制権力があった思い込みたい、あるいは決めつけたい人間)の論理は、次のとおり。

 すなわち、第二章 臣民權利義務 第十八絛第三十二絛における「法律の定むる所に依る」、「法律の定むる所に從ひ」、「法律の範圍内に於いて」等々を持ち出して、「法治主義」であり、天皇が自由に立法できる体制にあったのだから“法の支配”はなかった、“立憲主義ではなかった、という幼稚園レベルの思想である。

 第一に

 第四絛 天皇は國の元首にして統治權を總攬し此の憲法の絛規に依り之を行なふ

 →〔=ブログ作成者〕の解説:天皇は統治権を持つが、大日本帝国憲法の絛規従って統治權を行使する義務がある。

 第二に

 第五絛 天皇は帝國議會の協賛を以て立法權を行ふ

 『義 解』恭(つつし)みて按ずるに(→按ずるに:自分の考えを述べる時冒頭に置く)、立法は天皇の大權に属し、而して(しこうして:そして)これを行なうは必ず議會の協賛(きょうさん:法律の成立に同意すること)に依る天皇は(法律案を)内閣をして起草せしめ(あるい)議會の提案に由り両院の同意を經るの後(=経た後に)之を裁可して初めて法律を成す。故に至尊(しそん:天皇)は獨り(ひとり:単に)行政の中極たるもみならず、又立法の淵源たり。

 →〔=ブログ作成者〕の解説:この第五条の縛りによって、天皇が独断で好き勝手に立法することなど絶対にできない

 また、当然のことであるが『義 解』によれば、天皇が法律案を自ら起草することはない。すべて、内閣起草議会提出(=議員立法)である。

 さらに、第九絛で天皇は、議会の協賛を経ずに行政命令(=省令など)を発し、あるいはその他閣省に行政命令を委任できる。

 しかし、議会の協賛を経た法律は行政命令を変更できるが、逆に行政命令が法律を変更させることはできない(=法律は行政命令より上位である)と規定している。

 第三に

 第二十二条 日本臣民は法律の範圍内に於いて居住及び移轉(いてん:移転)の自由を有す

 『義 解』本絛は居住移転の自由を保明す。封建の時、・・・許可なくして旅行及移轉することを得ず。・・・維新の後癈藩(=廃藩)の擧と倶(とも)に居住及移轉の自由を認め、凡そ日本臣民たる者は帝國疆内(こうない:領土内、国内)に於いて何れの地を問はず、定住し、・・・營業するの自由あらしめたり。

 而して憲法に其の自由を制限する必ず法律に由り行政處分の外に在ることを掲げたるは、此れ(=移転の自由)を貴重するの意を明にするなり。

 →〔=ブログ作成者〕の解説:つまり、この絛文の「法律の範囲内に於いて」とは、「法律の定めがない限り行政命令では制限できない」と言う意味であり、恣意的に法律によって移動範囲を制限してよいなどという意味は全くない

 『義 解』(つづき)

 以下各絛臣民各個自由財産安全保明す(=保障する)。

 蓋し(けだし:思うに)法律上自由臣民の権利にして其の生活及智識の發達の本源たり。自由の民文明の良民(=文明社会の人間)として以て國家の昌榮(しょうえい:繁栄)を翼賛(よくさん:力添え)することを得たる者なり。

 故に立憲の國皆臣民各個自由財産安全を以て貴重なる權利としてこれを確保せざるはなし(=必ず確保している)。

 但し自由秩序ある社會の下に生息する者なり法律各個人の自由を保護し、又國權(=こっけん:統治權、国家権力)の必要より生ずる制限對して(=対して)その範圍を分劃(ぶんかく:制限範囲を限定して)し、以て兩者(=個人の自由国家権力)の間に適當の調和爲す者なり

 而して各個臣民法律の許すところの區域(くいき:区域、範囲)の中に於て其の自由享受し綽然(しゃくぜん:余裕のあること)として餘裕あることを得べし(=“真正の自由を得るという意味)。

 此れ乃ち憲法に確保する所の法律上の自由なる者なり。

 なお、校註者(=宮沢俊義)の(註)に次のようにある。

 『義解稿本はここで、「彼の佛國(=フランス)の權利宣言人權宣言〕に謂へる所の自由は他人の自由に妨げざる限(かぎり)、一の(=一切の)制限を受けざる妄想の空論たるに過ぎず」として天賦人權説否定した

 →〔=ブログ作成者〕の解説:自由は秩序ある社会にしか生息できない。

 つまり、法の支配立憲主義の下では、自由憲法によって擁護・保障されるが、その擁護と保障に実行力与えるためには、法を司る国家権力不可欠になる。

 この国家権力国民の自由擁護・保障する程度法律による強制力を用いざるを得ないが、国家権力法律必要以上の強制力与えると逆に自由を侵害するため、法律とは、国家権力国民の自由の間には適当な調和・バランスをとる為必要なのである、ということ。

 第四章 國務大臣及樞密顧問

 第五十五絛 國務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任す

 凡て法律勅令其の他の國務に關る詔勅國務大臣の副署を要す

 『憲法義解』國務各大臣は入て内閣に參賛し、出て各部の事務に當り、大政の責に任ずる者なり。凡そ大政の施行必ず内閣及各部に由りその門を二にせず

 蓋し立憲の目的主權(→註1参照)の使用をして正當なる軌道に由らしめむとするに在り。即ち、(主權の使用は)公議の機關宰相の輔弼依るを謂ふなり。

 故に大臣(=天皇)に於けるは(=天皇にとって、大臣とは)、奬順匡救(=すすめ導き悪を正し危難から救うこと)の力を致し(=全力を尽くし)、若し其の道あやまるときは、君命(=くんめい:天皇の命令であると)を藉口(しゃこう:言い訳口実に)して以て其の(=責任を逃るること得ざるなり(=責任を逃れることはできない)。

 ・・・大臣副署は左の二様の効果を生ず。

 一に、法律勅令及其の他國事に係る詔勅は大臣の副署に依て始めて實施(=実施の力を得大臣の副署なき者は從て詔命の効なく、外に付して宣下するも所司の官吏之を奉行すること得ざるなり(=施行することはできないしてはならない)。

 二に大臣副署大臣擔當(=担当)の(=権限権力)と責任(=義務)を表示する者なり。・・・即ち、議に預かるの大臣は署名せざる亦其の過(=あやまちに対する責任)を負わざることを得ざるべし(=責任を負わなければならない)。

 若し專ら署名有無を以て責任の在る所判ぜむと欲せば、形式に拘(かかわ)り事情に戻る者たることを免れず。

 故に副署は以て大臣の責任を表示すべき副署に依りて始めて責任を生ずるに非ざるなり(→副署があれば、必ず大臣の責任であるが、副署することよって初めて大臣の責任が生じるというわけではない。閣議に参加した大臣は、その議題が議決されれば、副署をするかしないかに関係なくその議決の時点で大臣に責任が生じる、ということ)。

 (註1)『憲法義解』では、第一章天皇第一條の間に次のような解説がある。これが少々憲法解釈を混乱させる

 恭(つつしみ)て按ずるに、天皇の寶祚(ほうそ:皇位)は之を祚宗に承(う)け、之を子孫に傳ふ。國家統治權の存する所なり。

 この國家統治權について、校註者の宮沢俊義は、(註)で『義解稿本』には「國家統治權」の代わりに「國家主權」とあったと解説している。

 また、第一條 大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す

 第四絛 天皇は國の元首にして統治権(→註)を總攔し此の憲法の絛規に依り之を行ふ

 この統治權について校註者の宮沢俊義は、(註)で『義解稿本』では、「統治權」および「統治大權」は伊藤博文の英訳では、それぞれ“The rights of sovereignty”、“The sovereign power of reigning over and of governing the States”と譯(やく)していると解説している。

 つまりそれぞれ「主權」および「国家主權」ということになる。

 しかし、『憲法義解』では、第四条について

 但し、(天皇が)憲法を親裁して以て君民倶(とも)守るの大典とし、その絛規に遵由(=遵守)して愆(あやまら)ず(祖宗の教えを)(わす)れざる盛意明かしたまふは、即ち、(天皇が)自ら天職を重んじ世運と倶に永遠の規模を大成する者なり。

 蓋し統治權總攔するは主權の體(からだ)なり。憲法の絛規に依り之を行ふ主權の用使用規則)なり。

 (主権の存する)體ありて用(使用規則)なければ之を專制に失ふ(=規則なき主權の使用は專制に陥る)。

 用ありて體無ければ(=規則のみあって主権を存する主体がなければ)、散漫(さんまん:国家主權がちりじりに分散して)に失う(=国家は分解して統治できない)。

 つまり、伊藤博文は『憲法義解』の中で、大日本帝国憲法の条文には一切使われていない、「主權」や「国家主權」を用いている。

 が、これらの用語は、上記のとおり、憲法の規定を超越する絶対的権力を全く意味しないし、そのような行為は専制につながるとはっきり明言している。

 つまり、伊藤博文の「主權」とは、憲法の規定にしたがって国家の権力・権限を行使する主体という意味であり、まさしくそれは“立憲君主の権限そのものの意味である。

20100823ブログ掲載】

 保守主義の哲学---ホイッグ主義の蘇生による社会主義の撃退が日本救国の道である(6)へ続く



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