保守主義の父――エドマンド・バークの保守主義

Ⅰ 保守主義の父――エドマンド・バークの保守主義

①「剣を抜く」騎士道

 保守主義とは、高貴な自由と美しき倫理・道徳の満ちる社会を目的として、自国の歴史・伝統・慣習を保守する精神である。

 また、保守主義は、自由と道徳を圧搾し尽くす、全体主義イデオロギーを排撃し殲滅せんとする、戦闘的なイデオロギーである。単なる机上 の理論ではなく、「剣を抜く哲学」である。

 1789年にフランスで革命が起こった時、暴民に囲まれてヴェルサイユ宮殿からパリに連行されるマリーアント・ワネット王妃の恐怖と悲しみを思い、義に馳せて「剣を抜け!」と訴える、戦闘的な荒ぶる魂なくしては保守主義とは言えない。

  バーク曰く、「私が皇太子妃であらせられたフランス皇后にヴェルサイユ宮殿にて拝謁したのは今から十六、七年前のことでした。・・・・生命に満ち、光輝に照り歓喜の奏でるなかの、明けの明星のごとく・・・・地平線よりほんの少しほど浮いているかのようにお座りになっておられました。・・・・名誉と騎士道の国にあって、王妃にこのような災いがふりかかるのを生きて見ることになろうとは夢にも思いませんでした。王妃へのこのような侮辱をもっての脅迫に対して、一万もの剣が抜かれて閃くものと思っていました。しかし、騎士道の時代は今や過ぎ去ったのです。・・・・ヨーロッパの栄光は永遠に潰え去ったのです。」

 他者のために自らの生命を捨てる覚悟で義を貫く勇者の倫理こそ、高貴な自由と美徳にあふれた社会の根幹をなすものである。バークが騎士道を持ち出すのは文学的修辞でなく、封建時代の騎士道の精神に、真正の保守主義の原点を洞察するからである。

  1791年、バークはフランスに対する戦争を英国民に激越に訴えた。この時、「保守主義の父」バークは、剣を抜く騎士道をもって保守主義の精神だと定義したのである。保守主義とは、全体主義との戦争をためらわない、闘うイデオロギーである。バークが革命フランスに対する干渉戦争を決断せよと、と英国政府に迫った理由は二つある。

  第一の理由は、アナーキーに陥った国家を放置することの危険性ゆえである。

  バーク曰く、「(革命フランスの)近隣諸国は、自国の安全を図るという動機において権力の行使(干渉戦争)に踏み切るかもしれない。いかなる国も、ヨーロッパの中央部に無政府主義(アナーキズム)を原理とする国家──現実には、暗殺、強奪、反乱、詐欺、徒党、抑圧、不敬神を宣伝する武装した狂信者の集団──が存在するのを安全とは考えない」

 第二の理由は、フランス民衆に正気を取り戻させるためには、もはや近隣諸国の軍事力によって、フランスを制圧するしかない、とバークは主張する。ナチズムの狂妄からドイツ民族が正気を取り戻したのは19455月の、連合国に対する敗北の瞬間であった。このナチ・ドイツ全体主義への治療方法を、バークはそれより、百五十四年も前の1791年、革命フランスに適用すべきだと主張したのである。

  バーク曰く、フランスの狂った民衆は、自らを将軍、預言者、国王、皇帝などと妄想しつつ、他の狂人と同じく、飢えと渇き、寒さと監禁、監獄の鎖と鞭を奇跡的なまで耐えている。・・・・これらの狂気の人々を正常にすることはもはや絶対に不可能である。この矯正には、他の狂人を取り扱うときと同様、力で屈服させることがまず必要である。・・・・これらの人々に対する力(=軍事力)は、外部(=英国、プロイセン、オーストリアの外国)からもたらされねばならない」

  英国の首相ピットと英国政府が、やっとフランスに宣戦布告したのは179321日であった。1791年にバークが対革命フランス戦争を英国政府に訴えてから宣戦布告までの間に、革命フランスでは、1792年の王政廃止、17929月の「大虐殺」、179211月のオーストリア領ネーデルランド(ベルギー)占領、17931月のルイ十六世処刑が行われた。また、179310月にはマリー・アント・ワネット王妃が処刑された。予見力の「天才バーク」と「凡人英国政府」のギャップは、甚だしいものであった。また、革命フランス国内におけるジャコバン党ロベスピエールの処刑(17947月)と同10月の総裁政府の樹立を見たピット首相は、これをもって革命フランスは変化すると考えて、対仏講和を求めて交渉を開始した(同年12月)。しかし、講和交渉は簡単ではなかった。バークは講和に反対し戦争を続行せよと訴えたのである。講和反対のバークの主たる理由は要約すれば次の二つ。

  第一の理由は、(理神論あるいは無神論の)布教宣伝を旨としマホメット的な宗教国家の敵対性は、当方が屈服するまで永劫に続く以上、和平そのものが成立しないこと。

 第二の理由は、革命フランスの宗教的ドグマがヨーロッパ世界のキリスト教と“法”の共同体を破壊する異物である以上、「講和」という「共存」の選択肢そのものが許容されえないからであった。

  バーク曰く、「革命フランスがつくった共和国は、ヨーロッパ共同社会の基盤であるキリスト教と根本的に異なるもので、国王虐殺の制度、ジャコバン主義の制度、無神論(理神論)の制度、の三つを基盤とする政治体である」

  バークを継承する英国のウィンストン・チャーチルマーガレット・サッチャーは、前者はレーニンの共産ロシア(ソ連)ヒトラーのナチスドイツに対して、後者はサダム・フセインのイラクに対して、戦争をすべきだと英国民と世界に呼びかけた。これこそが、バークに始まる保守主義という騎士道哲学の神髄である。保守主義とは、このように輝くほどに詩的で美しい「行動」する哲学である。自らの生命を“自由”のために棄てる高貴なる義務の精神が先導する、“真正の自由のイデオロギー”である。第一次世界大戦中にレーニンが、圧政と貧困のおぞましき全体主義(共産主義)国家を1917年のロシアに打ち建てた時、英国の主導のもとレーニン政権を打倒すべく英仏日米の四カ国の連合軍はソ連に侵攻した。歴史学的には「シベリア出兵」と呼ばれる。日本が参戦した1918年の革命干渉戦争は、英国の保守主義の哲学に呼応した軍事行動であった。19908月のイラクのクウェート侵攻に対するクウェート解放戦争(湾岸戦争)もその発案者はちょうど米国のアスペン(コロラド州)を訪問中のM・サッチャー首相であった。サッチャーはブッシュ米大統領に「侵略者は決して容認されてはならない。私たちは1930年代に多くの犠牲を払って、このことを学んだはずだ」と進言した。米国がそれを直ちに支持して四十万人の大軍を派兵した。

  日本も一兆三千億円の戦争資金を提供したが、「資金提供」のみで、「行動」しない日本の貢献は世界から無視され、嘲笑の的となったことを我々は日本国の「大恥」として忘れてはなるまい。

 また、M・サッチャー首相がバーク直系の真正の保守主義者としてフランス革命全否定する思想『サッチャー回顧録』から拾っておく。

 サッチャー曰く、 「フランス革命を世界で最初に批判した偉大な洞察力の、『保守主義の父』エドマンド・バークをイデオロギーの師として仰ぐ英国の保守主義者である私には、1789年革命の諸事件は政治における永久の幻想でしかない。偶然ではなく弱さや滑稽をもって追放や大量殺人や戦争に奔走するに至ったフランス革命は、自惚れた哲学者(ルソーなどの啓蒙哲学者)たちによって考案された抽象的な概念を旗印として、伝統的な秩序──多くの欠点があったことは確かであっても──を倒そうとしたユートピアの企てであった。しかも多くの革命の方法において、より悲惨であった1917年のボルシェビキ革命の先鞭をつけることになった」

 1917年にロシアにレーニンの共産政権が誕生した時のW・チャーチルの怒りは、軍事的に共産政権を打倒せよ!との燃えるような決意の演説に、よくあらわれている。英国の『イヴニング・ニューズ』紙(1920728日付)に、チャーチルは「東方(ロシア)の毒禍」と題してエッセーを書いている。

 チャーチル曰く、「ヨーロッパの東には、疲弊して大混乱している巨大なロシアがある。傷ついたロシアであるが、毒されたロシアであり、伝染病にかかったロシアであり、ペスト菌におかされたロシアである。しかもこのロシアは銃剣や砲で攻撃する軍事力だけでなく、・・・・諸外国の健康と魂すらも破壊する政治ドクトリン(共産イデオロギー)をもっている。・・・・レーニン新政権の世界共産化は、平和の形でも戦争の形でも達成できる。しかも共産主義者のいう平和とは、変形した戦争である。軍事力で勝利できないときには、宣伝をもって転覆をはかる」

 共産ロシアのことを、世界に健康と魂を破壊する黴菌をばらまく病原体だと喝破するチャーチルの共産政権打倒のための戦争決意の精神は、百三十年前のバークを彷彿とさせる。  また、伝統や慣習を憎悪して破壊し、自由を圧搾し、道徳を敵視するドグマを「正義」と信仰する「神」なき宗教の全体主義イデオロギーは、フランス革命で生まれ、マルクス・レーニン主義として完成したが、このマルクス・レーニン主義から生まれた分派であるドイツ・ナチズムという全体主義も忘れてはならないだろう。バーク騎士道を復活するチャーチルはナチズムとの闘いにも戦争を訴えた偉大な保守主義者であった。

 198911月の東欧解放に至る道は、チャーチルの「鉄のカーテン」演説から三十五年を経た、1981年のR・レーガン米国大統領の誕生を待たねばならなかった。レーガンは就任と同時に「対ソ・封じ込め」の強硬路線をとり、また、ソ連に軍拡競争を強いてその経済を破綻させる政策を実行した。これが功を奏して、ソ連は退却を決意する。東欧解放はこの退却の一つであった。ゴルバチョフペレストロイカはソ連体制を維持するためのものであり、ペレストロイカがソ連崩壊をもたらしたのではない。あくまでもレーガンのSDI1983年)決定や同年の中距離弾道ミサイル(パーシングⅡ、トマホーク)の欧州配備の“剣(軍事力)”がソ連を後退させ、崩壊させたのである。レーガンは米国きってのバーク保守主義者であった。E・バークA・ハミルトン(合衆国憲建国の祖の一人)の再来であった。

 ②「偏見」と「国家聖別」

 近代とは、人間の傲岸な思い上がりが跋扈する時代であった。この「思い上がりの哲学」は、「われ思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」のデカルトの『方法序説』(1637年)から始まり、人間の智力への無限の過信が一大潮流になっていく。大規模な文明社会を人間は自らの智力を用いて設計できるという「思い上がりの哲学」について、F・ハイエク(ノーベル経済学賞受賞かつ政治哲学者)は、「設計主義的合理主義」と名付けた。この人間の智力への過信は過去を軽蔑し否定し未来に無限の発展を想定する未来主義をも派生的に成長させた。この未来主義が、ヘーゲルコントマルクススペンサーらによって、さらに進歩主義」の教理へと転化した。

 バーク保守主義が戦った思想戦の一つはこの「設計主義的合理主義」に対してであった。文明社会を人間の智力が設計できないのは、人間の智力がとてつもなく浅薄で、ほとんど無知に近い事実において、明白である。このことは、計画(設計)経済と計画(設計)政治を、ソ連において殺戮と恐怖化で「実験」したレーニン/スターリンの失敗がすでに証明済みである。が、バークは、実験前にその正否を予見していたのである。

 デカルト流「設計主義的合理主義」は人間の智力の幾何学的な完璧性を「妄想」するから、この智力から生まれた人間の意志も完璧性があるという、「意志神格化」という第二の妄想を発生させる。ルソー『社会契約論』における「一般意思」とは、ルソー自身が絶対神の神託のようなものと説明したように、「意志神格化」の妄想が最も精緻に理論化されたものであったバーク「神の手」「神の摂理」「神の意志(神慮)」を哲学の中核に据えたが、意識しているかどうかはともかく、それは「意志神格化」に対する全面戦争のための“神秘で美しき武器”となった。

 「人間の意志」を神格化する未開・野蛮な「妄想」を現実の社会に適用すれば、文明社会は確実に解体され、破壊される。文明の社会は、「人間の意志」による政治から「法による政治」を実現することで、文明の社会となった。しかし、二十世紀に入ってもなお、フランクフルト学派の社会学や『純粋法学』のケルゼンの人定法主義など、未開・野蛮な「意志神格化」への妄想は根強い。「人間の意志」を「神慮」で粉砕しようとするバーク哲学の方が、自由の原理たる「法の支配」が「法=神慮」の論理から発展したように、われわれの自由と倫理・道徳をより美しく、より確実にする。

  ● 国王への畏敬、聖職者への崇敬

 バークが「偏見の哲学」を展開したのは、無神論を奉じて国王や貴族や政治家や聖職者への尊敬を喪失した革命フランスを、人格喪失の精神の腐敗と見抜き、自由の原理への破壊行為だと喝破し、この危機から英国を救おうとしたからだった。バークは、この革命フランスの新思想とは逆の正しく健全な精神が「偏見」で形成されていることを洞察する。

 バーク曰く、われわれは神を恐れます。畏敬の眼で王を見上げます。議会に対しては愛着の、判事たちに対しては服従の、聖職者に対しては崇敬の、貴族に対しては尊敬の眼を上げます。・・・・そのように心を動かされるのが自然だからです。それ以外の感情は嘘偽りであって、・・・・」

「われわれ(英国民)は一般に教わったものではない感情の持ち主であって、われわれの古い偏見を誰も捨てるどころか大いに慈しんでいます

 すなわち、バークの「偏見」とは、このように、神への畏怖、聖職者への崇敬、貴族に対する尊敬、判事たちへの服従、・・・・の「感情」のことを指す。日本で使われる“偏見”が意味するところの“客観的な根拠のないのに、特定の個人・集団に対して抱く非好意的な意見や判断、またそれに伴う感情”とは全く異なる概念であることに注意して「偏見」を理解しなければならない。  この「偏見」にバークは文明の人間が欠いては健全に生きていけない、二つの機能を発見している。第一は、「偏見」にこそ「潜在する深遠な知恵」が宿っていること。第二は、「偏見」によって、精神の腐敗と、道徳の損傷と、道理に適った自由からの逸脱が防止されること。第一の点について、僅かな智力しかない人間の理性は、「偏見」という服を何枚も着重ねて初めて、漲るほど豊かな智恵を得て、美徳ある文明を創る真正の智力へと大きく成長する。「偏見」なき理性とは、智力の貧困となる。「偏見」ある理性のみが智力の豊穣を手にする。王に対して畏敬する「偏見」なくして王政の是非を論じるルソー的「裸の理性」の王制論は、智力の貧困から、妄説となる。

  日本で言えば、天皇・皇后両陛下に対して畏敬の感情が湧く「偏見」のない、「裸の理性」だけの天皇制有用論や無用論や女系天皇論は、「裸の理性」が生み出した「貧困な智力」による「稚拙な判断」に過ぎず、必然的に謬説となる。

 さらに言えば、そのような謬説を唱え、国民に「天皇制廃止」までも煽動する、学識者や知識人やマスコミは、そもそも立憲君主国の日本国民としての「資質」と「自覚」と「智力」に欠ける人間であり、「正常な日本国民」とは言い難い。

 日本国憲法第一条「①天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、②この地位は主権の存する日本国民の総意に基づくとは自己矛盾(それ自体憲法違反)の条文である。特に後半②部分は決定的な憲法違反の条文、憲法に書いてはならない条文である。

 なぜなら、日本国憲法を制定した時点から日本国は「立憲主義」の国家となった。つまり、立憲主義とは、いかなる権力も憲法によって制限されるということである。

 このことにおいて、立憲主義国としての憲法第一条は上記①の部分までは立憲主義となんら矛盾しない。「象徴天皇制」とはまさに権力を憲法に制限された「立憲主義の天皇制」だからである。

 ところが第一条後半の②の部分に関しては、「主権」という概念を持ち出したことによって「立憲主義」と矛盾する。なぜなら、「主権」とは「何物にも(憲法にさえも)制限されない無限の絶対権力のことだからである。

 とすれば、憲法第一条は、「主権」が「憲法(立憲主義)」に明記されていること自体において憲法違反の条文である。つまり、日本国に「憲法」が存在し、「立憲主義」を遵守する国家である以上、「立憲君主である天皇の地位(=合憲)」を「主権の存する日本国民の総意に基づいて決定することができる(=違憲)」とすること自体が「完全に不可能」なのである。

 だから例えば、天皇(皇室)の伝統的制度を定める「皇室典範」の改正議論などを数名の国民からなる有識者会議とやらですること自体、「立憲政治」の何たるかも、「主権」など天皇にも国民にもどこにも存在しない(あるとすれば憲法主権のみ)ことも理解できない、「貧困な智力」による「稚拙な判断」だといっているのである。

 第二点の、「偏見」と道徳・自由との関係については、バークは次のように述べている。  バーク曰く 「(神への畏怖、王への畏敬、という偏見)以外の感情は嘘偽りであって、精神を腐敗させ、主要な道徳を損ない、道徳にかなった自由からわれわれを逸脱させます」 「偏見は」人間の美徳を習慣化します。・・・・正しい偏見を通じて、人の義務(=美徳)はその人の本性の一部となるのです」

 「偏見」という感情こそは道徳を支えるものであって、「偏見」なしに美徳は存在しえない。そう、バークは指摘する。「偏見」という感情を人間から除去すれば人間は道徳を排除して不道徳化、つまり背徳に陥ってしまう。このことは、「偏見」という感情を全面排除することを論じたルソーやマルクスが、道徳を全面否定したことでもわかるだろう。王制や既存宗教や貴族制を支える「偏見」を「裸の理性」において否定し排除したレーニンのロシア革命が、無道徳国家となった現実も、バークの「偏見」論の正しさを力強く証明している。 なお、現代の日本社会において、道徳腐敗による様々な事件や社会現象が発生していることは、マスメディアのニュースやお昼のワイドショーで国民皆承知のはずである。にもかかわらず、政治家・官僚・教育者・マスメディアの誰一人とて、教育現場で児童・学生に道徳を教えるいわゆる「徳育」の必要性を唱えようとしないのは一体なぜか?。答えは簡単明瞭ある。教育現場(日教組)・左翼学会・左翼マスメディア・左翼政治屋、左翼官僚など多くの人間が、ソ連の崩壊で失敗に終わった、社会主義あるいは共産主義のユートピア(マルクス主義=無神論・唯物論=無道徳)を未だに羨望しているからであり、また、天皇制を廃止したいと考えているからである。このように天皇制を廃すること(=日本の国家象徴を撤廃すること)で日本を国家の枠を超えた地球市民のユートピアに改造(=改革、改革の大合唱で国家の制度を上から改革し尽くしていくことは目に見えない無色透明の革命であるがそれは、れっきとした、赤色共産革命である)したい人間にとって、道徳(バークの「偏見」)邪魔だからである。隠れマルクス・レーニン主義者とは、いわゆる、国民の表面上目に見えない、気付かないうちに日本を社会主義化・共産主義化しいうとしている、ルソーやマルクス主義者である。これこそが、日本の左翼思想の核心であり、道徳教育を行わない理由である。無神論・唯物論を基礎とする、マルクス・レーニン主義にとって「道徳」は不要・邪魔者である。

 「設計主義的合理主義」という悪の思想汚染から「偏見」を防衛することは、政治に関する智恵を温存し道徳と自由を擁護することである。すなわち、「偏見」という正しい思想を防衛する問題は、二百年以上昔の英国でおきた、過ぎ去った問題ではない。革命フランスをソフトに緩やかに暴力を使わずに政治改革の嵐で再現しつつある二十一世紀の日本が直面している問題である。バークの「神の意志(神慮)」哲学は、人間の道徳を向上させる社会を擁護する、世界無比の哲学である。美徳ある人格形成の原理は、「神の意志」が支配する自生的な文明社会(=国家)においてのみ存在し生命を得る。このことをバークは発見したのである。すなわち、美徳ある人間を育むのは文明社会のみができる特有の機能である。ルソー的「社会契約」では、人間が特性における人格向上を図ることなど全く不可能である。「社会契約」とは、無道徳と背徳の社会である。このことは、レーニンスターリンの「実験」で、今や周知の真理である。

  バーク曰く、「美徳によって完成されるべきわれわれの本性を与え給う神はまた、この完成に必要な手段も欲したのです。この故に、神は国家を欲したのです」

  国家という文明社会が「神の意志」で自生的な制度として発展してきたとすれば、この自生的文明社会は、「神の意志」と各世代の国民との間の、永遠に繰り返されてきた「真正の契約社会」と言いうる。ルソー的に「人間の意志」による、人間同士の「悪の契約社会」であれば、独裁者であれ多数の人民であれ、「人間の意志」によって勝手に改変できるが、契約の当事者の一方が「神の意志」である「正しい契約社会」の我々の文明社会(=国家)は、聖なるものとして畏敬されなければならない。その改変はおのずから自制されなければならない。また、この契約のもう一方の当事者である国民は、現在のある特定の世代の国民ではなく、過去の祖先や未来に生まれてくる子孫という国民も含むから、現在の世代の国民のみに契約変更の権限はない。この点から、「真正の契約社会」の契約には、社会を改変する条項がない。逆に社会の改造はしません、社会の保守しかしません、という契約条項しかない。社会の改変をしない、これこそが、「真正の契約社会」である文明社会の、「契約第一条」である。

  また、文明社会の現世代は全世代の両親から生まれ育てられた恩義とこの文明の恩義に対して道徳上の義務を負うのであるから(「契約第二条」)、意志の行使という権利はない。なぜなら、義務と意志(権利)は相克するから、この「真正の契約社会」には「人間の意志」が入る隙間はない。あるのは、「人間の義務」のみである。

  例えば、天皇機関説を唱えた美濃部達吉と帝国大学教授の直弟子で「天皇制廃止のマルクス主義者」宮沢俊義は、大東亜戦争中の1942年の著書『憲法略説』「天皇主権」論上杉真吉を超える「神勅主権」論を展開している。そして天皇を「神の子孫」とか「現人神」とまで言う。宮沢は言う、「(明治憲法第三条は)天皇が神の御裔として、現人神としてこれを統治し給ふとする民族的信念の法律的表現である。神皇正統記の著者が〈大日本は神国なり〉と書いた所以もここに存する」明治憲法起草者の伊藤博文井上毅も、天皇を「神の御裔」「現人神」などと述べたこともないし考えたことすらない。

 「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」という明治憲法第三条はヨーロッパ立憲君主国の憲法における君主の無答責を定めるごく平凡な表現の条項にすぎない。その文言はベルギー憲法などを模倣したもので、世界共通の普遍的表現である。日本固有のものではない。君主の無答責を定めるベルギーとスウェーデンの憲法の規定を、例としてあげる。

 ベルギー憲法 第六十三条「国王の一身は、侵すことはできない」

 スウェーデン憲法 第三条「国王の身体は神聖である」

 宮沢はまた、「神勅」とか「神孫」とか、「」という漢字を乱発する。そのような文言も字句も、明治憲法は一切用いていない。あるのは第三条の「神聖にして」の「」のみである。

 宮沢は言う、「(憲法一条は)皇孫降臨の神勅以来、天照大神の神孫この国に君臨し給ひ、長へにわが国土および人民を統治し給ふべきことの原理が確立し、それがわが統治体制の不動の根底を形成してゐる」

 このように、戦時中は宮沢流「神がかり解釈」でいったん明治憲法を歪曲した(このような言説によって当時の多くの若者がそれを信じ、天皇陛下万歳と叫んで「玉砕」し、「特攻」して亡くなっていった)。

 ところが、敗戦後に宮沢は自分が勝手に創造した解釈の明治憲法こそが「明治憲法の実像」だとすりかえて罵倒する。「虚像の明治憲法」を自分で創作してこれに罵倒を投げつける。が、宮沢の「明治憲法つぶし」の詭弁───いわゆる八月革命説GHQが明治憲法を廃止することがハーグ陸戦法規やポツダム宣言に違反することをかくしてあげる目的の詭弁)───は、戦後日本の左翼勢力の支持のもとに広く定着した。

 このような、欠陥憲法学者が戦後日本の憲法学の権威と崇められたのだから、日本にまともな憲法学などあったものではない。これについては、後述する。戦後日本の憲法学は嘘、嘘、嘘のデマゴーグである。

 先にも述べたが、日本の憲法学者は、「立憲主義」と「国民主権」は両立すると説く。こんなことは、バカでもわかる嘘である。「立憲主義」とは、あらゆる権力は、“法”の明文化である“憲法”によって制限される(“法の支配”を最重要とする)とするものであり、米国憲法はこれを採用している。対して「主権」とはあらゆるものに制限、拘束されない絶対権力のことである。明らかにこれらは二律背反であって、相互矛盾する。両立など決してできない。だから、米国憲法には「主権」という概念は一切存在しない。それなのに日本の憲法学者は「米国は主権在民である」という。

  NHKのドキュメンタリー番組「天皇機関説と天皇主権説」でも番組の冒頭から「1788年に主権在民の米国憲法が成立・・・・」で始まる虚偽を平気で流す。次に、1789年のフランス革命に触れて、「人民主権のフランス憲法が成立・・・」とこれまた、平気で嘘を言う。フランス革命という暴力革命で50万人の国民が殺戮されたのは、国民が憲法を平然と無視したからできたのではないか。「立憲主義」を放棄して「人民主権」だけが暴走したから大殺戮が実現したのである。フランス人権宣言の「自由、平等、博愛」などスローガンとしてのプロパガンダ文書で何の意味も持たなかった。その紙屑同然の「人権宣言」を日本の憲法学者はさも「聖書」のように崇め奉る。救いようのない「無知」「無教養」「頭脳貧困」「虚言癖」「人格障害」である。反論があるなら、いつでも承る。実際に一般の米国民に「国民主権」とは何かと聞いても、「何ですかそれは?」という回答が大多数である。

 すこし脱線したが、これこそ、バークのいう「真正の契約」を無視した、ルソー的な「人間の意志」による「悪の契約」と言わずして何であろうか。宮沢俊義に代表される上杉真吉小林直樹樋口陽一にせよ、これら東京(帝国)大学法学部教授陣は日本国、日本国民にとって害毒以外の何物でもない。極端に言えば、先の大戦の戦争責任は第一義的には確かに政府と帝国陸海軍にあるが、第二義的には政府の政策や軍部の行動の正当性を政治思想として国民にプロパガンダした宮沢俊吉や上杉真吉ら東大法学部に責任があると言って過言ではない。そして彼らこそA級戦犯として東京裁判で裁かれるべき人間であった。

 さて、『フランス革命の省察』で論じたバークの「神の意志」論は、英国の宗教(キリスト教)のもつ「国家聖別の感覚(=「偏見」)」論と一緒に展開されている。「国家聖別」もまた、ルソーの「社会契約」などの国家改造の革命教理とは、対極にある思想である。バーク保守主義が既存の古い宗教を保守する哲学である理由が鮮明となっている。

 バーク曰く、「制度としての教会、それはわれわれの偏見の第一番目のもので、・・・・深遠にして広い叡智をもっている偏見です。この制度としての教会という宗教システムによって、・・・・われわれは古代に持ちそれ以来一貫して今日に続いている人間の感覚(偏見)が、国家という壮大な建造物が、・・・・聖なる神殿として瀆聖と破壊から守られるように、この国家を荘厳かつ永遠に聖別したのです」

 バークの「国家聖別」論は、これからの日本国民が日本国を革命の破壊運動から守るためにも、拳々服膺すべきものである。現実に、日本では今、「政教分離」という“悪魔の教理”によって、宗教破壊が着実に実行されている。

  例えば、先の大東亜戦争で戦死した勇敢な戦士の英霊を靖国神社で追悼するのは、当然の国家儀式である。(全国にある護国神社と靖国神社とは、戦場で戦死した戦士の英霊を祀るための神社であることは国民皆ご存知であろう。)それなのに、「国立追悼墓地」なるものを建設してそこに英霊を祀るという議論がある。英霊を祀るのに、宗教性を帯びない施設や儀式があるのか。あるなら教えて欲しい。人間の魂を追悼し、鎮魂する儀式に何の宗教性も帯びない、無宗教のあるいは唯物論的な「国立追悼墓地」とはいったい何なのか。こんなことも分からない政治家というより人間は、政策云々の以前に、人間として、何らかの精神疾患者である。良い心療内科・精神病院を紹介する。

 なお、日本の憲法学者が政教分離を説明するとき、必ず「米国は政教分離の国である」とこれまた、子供でもわかる嘘をつく。アメリカ合衆国憲法は政治と宗教が関わりを持つことを一切禁じていない。憲法に規定しているのは「国教の樹立の禁止」「国民の信教の自由」のみである。「国教」とはイギリス国教会のように、その国の国民が信じるべきものとして国家が認め、法律によって保護などの特権を与えている宗教である。このような「国教の樹立」は「国民の信教の自由」に反するから、「国教の樹立を禁止している」のである。「国教の樹立の禁止」と「政教分離」とは全く異次元の事象であり、これを以て「米国が政教分離の国である」とは呆れかえって物も言えない。

 実際、米国大統領の就任宣誓式はキリスト教牧師の立会のもとでおこなわれるキリスト教の儀式である。テレビで誰もが、観ているだろう。また、米国の軍隊や病院には専属のキリスト教牧師がいるし、米国連邦議会の中にはキリスト教の礼拝堂があることを、まさか知らない憲法学者はいないであろう。何を以て、「米国は政教分離の国である」というのか、反論があれば教えて欲しい。なお、世界の自由主義先進国の憲法で、「政教分離」を唱えているのは、フランスと日本だけである。そしてフランス憲法もフランス革命の残滓が残っている程度である。

 ③「高貴なる自由」───「相続(世襲)の原理」

 ●「放縦の自由」と社会改造

 JS・ミルの『自由論』の「自由」は、日本では自由の定義として普及している。しかし、ミルの「自由」は、第一に英国を社会主義国家に改造する(=穏やかに革命する)手段としての「偽りの自由」である。一般通念上の“英国民の自由”という意味の「正しい自由」とは全く関係がない。ミルは「自由」を、「唯一の確実な永続的な(社会)改革の源泉」とみなした。

 ミルが「自由」に期待した第二の役割は、ハリエット(テイラー夫人)との同棲生活をその夫テイラーと同居しながらなす(現代日本風に言えば、不倫3Pとでも言うのか?)という、破廉恥で反・道徳的な自らの人生の選択(自己決定)に対する世間の非難や糾弾に抗して弁明するレトリックとしてであった。

 すなわち、『自由論』が史上初めて展開した「自己決定」という四文字の下での「自由」とは、次のように身勝手な論理であった。すなわち、他人の自由に迷惑をかけない限り、個人は自らの「主権者」であるから、何事にも「自己決定」できる「自由」があるというのである。

 このミルの自由論は実は、一人の妻と二人の夫の同居という前代未聞の不倫家族を弁明する理屈でもあった。

 「自由」に関するミルの第一目的、英国の社会主義への改造について考慮したい。

 ミルは、個人が「自由」に行動すれば、現在は社会全体を拘束して「人間の進歩への不断の障害物」となっている「慣習の軛からの解放」を促していくから、ついには慣習が粉砕され社会は改革され進歩する(=社会主義化する)、と考えた。多くの個人が一斉になす「行為」によって社会を改造する方法は、ドイツのフランクフルト学派以降の社会学の目的(狙い)と同一で、その先取り的な理論でもあった。

 ミルは、『自由論』のキー・ワードの一つとして、「個性」を、「自由」や「自己決定」とほぼ同義語的に用いている。「個性」が人間の幸福の要素であり、社会の慣習つぶしと社会の進歩の有効な手段と考えたからである。「慣習=悪」に対する「個性=善」の二項対置において、「慣習を打倒せよ!」「個性を尊重せよ!」と煽動するのである。

 ミルは言う、「他人の伝統や慣習が行為を規律するものとなっているところでは、・・・・実に個人と社会との進歩の最も重要な構成要素が欠けている

 「単に慣習であるがゆえに慣習に従うということは、人間独自の天賦である資質のいかなるものをも、自己の裡に育成したり発展させたりはしない」

 しかし、ミルのこの言説は全くの謬論であるなぜなら、慣習の枠組みに人生を委ねることと、自らの資質が向上することは、相互に何ら関係がない。コークバークも、ヒュームアダム・スミスも、その他多くの優れた人々は、伝統や慣習と共存し因習や権威に服従し、生まれ出たのである。

 「欲望と衝動」をも「個性の発展」だと是認して、「放縦の自由」を勧めるミルは、ルソー教徒である。「恩師」ベンサムと同じく、道徳否定論を継承した思想家であった。ミルは、「正しい自由」と「偽りの自由」の区別ができなかった。中世の「古き良き法」の「法の支配」のもとで初めて“自由”が擁護される原理を英国が発見したごとく、“自由”とは、伝統と慣習が大切に「相続」されている社会のみにおいて顕現される。“伝統と慣習に従う自由”は実存し機能するが、ミルの主張する「伝統・慣習から解放された自由」は、自らその淵源を絶って自壊する。このことは、フランス革命の「自由」が後者であったことで証明済みである。また、道徳と自由は、伝統と慣習の土壌から成長したものでコインの裏表である。若きトックヴィルが洞察したように、「道徳の支配なくして自由の支配をうちたてることはできない」。つまり、自由と道徳は不可分の関係にある。自由をスローガンにしながら道徳を否定する、ミルの倒錯した主張は。マルクスの『共産党宣言』と同じである。だから道徳を「ブルジョア思想」として排撃したレーニンの共産ロシアにおいて、自由もまた同時に一掃されたように、ミルの「自由」は必ずレーニンの「自由」と同じになる。ミル(1873年没)より約一世紀前のバーク1797年没)こそは、この道徳と自由の不可分性を、最も体系的に論じたのである。

 バーク曰く、「人間は、自らの欲望に道徳的な鎖を巻きつけて抑制しようとする精神に正確に比例して、文明の自由を手にすることができる」

 さて、日本国民の皆さん、現代日本の「自由」は、ミルの「自由」ですか、トックヴィルやバークの“自由”ですか?まさしく、ミルの「自由」ですよね。そして、その終着駅は「レーニンの自由」です。この意味でも日本は「人権教育」など放棄して「道徳教育(徳育)」を教育現場に取り入れるべきです。手遅れになる前に・・・・。

  ●自由と道徳

 バークは、ミル的な「放縦の自由」「背徳の自由」を、峻厳に「規律(秩序)ある自由」「美徳ある自由」と区別した。自由だからといって一緒にすることを絶対に反対した。トックヴィルが、自由を道徳から切断するフランス啓蒙思想人権だの、主権だの平等だの、人間の権利ばかりを主張して、人間としての道徳義務を完全無視する害毒極まる思想)に抗して、フランス思想界にあって例外的に「美徳ある自由」を主張したのは、おそらく彼がバークを尊敬するバーク系列の由緒正しき保守主義者だったからであろう。バークはこの自由の峻別をとりわけ『フランス革命の省察』において明快に展開した。

 バーク曰く、「“智恵を欠いた自由”とはいったい何でしょうか。“美徳なき自由”とはいったい何でしょうか。それらは考えられるすべての害悪の中で最大の害悪です。悪徳です。狂気です」

 「“美徳ある自由”を知るものにとって、(革命フランスの革命家の脳のない頭で)この“美徳ある自由”が汚されるのを見るのは耐えられません」

 「美徳なき自由」つまり、「背徳の自由」や少なくとも「無道徳の自由」をもって、「最大の害悪」「愚行」「悪徳」「狂気」とみなすのは、「偽りの自由」の本質をバークは正しく把握していたからである。 

 日本の女子中・高校生の“売春”「援助交際」という奇妙な四文字(今では「援交」の二文字))でカムフラージュされているが、この「売春する自由」が自由の名に値するのか、それとも「悪徳」や「愚行」と分類した方が適切なのか、と自問すれば、上記のバークの峻別こそ真理であろう。「だれにも迷惑をかけていない」「だれの自由も害していない」という根拠において「援助交際」の売春を「自由」であると正当化に使われたJS・ミルの『自由論』がいかに狂った謬論であるかは、このような「自由」が「愚行」で「悪徳」で「狂気」であることで明白である。

 一部の現代日本人に警告する。「援助交際という売春を平然と行う日本女性」、「道徳を無視した不倫行為に走るアダルトチルドレン」、「社員旅行や職員旅行と称して中国や東南アジアに買春旅行に行く恥知らずの日本人男性」諸君へ。あなた方はコインの裏表である「自由と道徳」の後者の「道徳」を放棄して、前者の「背徳の自由」のみを追求しているが、「道徳」を放棄することが何を意味するのかご存知か。人間の人間たる所以は「道徳」義務を常に肩に背負っていることである。それを放棄して投げ捨てることは、あなた方が人間たる所以を失うことである。つまり、あなた方は、その時点で「人間」であることを棄て、単なる「野生動物」となるのである。「野生動物」に「人間の権利(人権)」など、そもそも存在しないから、逆説的であるが、背徳の自由に走った結果、「自由の権利」を失うのである。 結局、あなた方はコインの両面(コイン自体)を失うことになり、将来、いつの日か、その代償は強烈な脅威となってあなた方の「野生動物」人生に襲いかかるであろうことを覚悟しておくべきである。まともにあの世に行けないであろう。合掌。

 さて、バークはこのように自由の本質を最も正しく把握するばかりか、コモン・ロー法律家のコークと同様に、自由は「法の支配」において達成できる、と正確に理解していた。  

 バーク曰く、コーク卿からブラックストーンに至る、このコーク卿に従う(過去百五十年間の)偉大な法律家のその精励によって、英国における自由の血統は明らかなのです」 そればかりか、バークは、「法の支配」とはこの“法”を各世代が相続することを前提とする以上、「法の支配」という憲法原理を堅持して相続していくことが、“法”と不可分である自由が確実に相続されることになる、とも理解していた。しかも、バークが「コークヘイルブラックストーン」と連なるコモン・ロー法律家よりも天才的であるのは、「相続の原理」において自由を擁護するのは、単に自由の擁護にとどまらないことを洞察したからである。「相続の原理」で相続されるときに、自由が「高貴な自由」、すなわち最高の「正しい自由」に昇華することをバークは発見したのである。

 バーク曰く、「・・・・われわれの理性(=智力)によってつくられたものの誤り易さと脆弱性とを補強するために、英国民の自由を相続財産として考えることから・・・・利点を取り出したのです」

 「相続の原理に立脚していれば、)列聖化された祖先の眼前にいるかのように常に振舞うから、・・・・われわれの自由が高貴な自由となるのです」

 「正しい自由」が棲息できるのは、ミルの謬説とは逆で、伝統と慣習を温存している自由社会のみである。が、この「正しい自由」をさらに一段と高い「高貴な自由」へと磨くとすれば、「相続(世襲)の原理」において擁護した自由を、絶えず「相続(世襲)の原理」でとらえ直して、慈しみ大切にすることである。これが、バークの「自由の哲学」の核心である。次回は哲人?狂人?ルソーの『社会契約論』を掲載します。

  なお、「エドマンド・バーク保守主義」とバーク的観点からの「日本国憲法の問題点」および、いわゆる“東京裁判史観・自虐史観”とは異なる、バーク保守主義的観点からの「大東亜戦争観」を一気に知りたい人は、次の私のホームページへジャンプしてもらっても結構です。驚くような面白い話満載です。ぜひ一度ご来場ください。リンク先:http://www.geocities.jp/burke_revival/index.htm 

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