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保守主義の哲学---ホイッグ主義の蘇生による社会主義の撃退が日本救国の道である(8)

―――――エドマンド・バーク保守主義―――――

―――――保守主義哲学の神髄―――――

 18世紀 英国の“ホイッグ主義”の系譜――バークマコーレーグラッドストーンアクトン卿ハミルトントクヴィルハイエクらの思想を正統継承する者こそ真正自由主義者真正保守主義者である

――ホイッグ主義蘇生による社会主義撃退日本救国の道である(8)――

 さて、出生率低下高齢化社会という双子の人口問題を抱えている日本国にとって、まず必要なことは、最小ではあるが最重要である“”や“家族”という単位社会を弱体化してきた根本原因除去あるいは修繕修復し、“”や“家族”の結合力強化増強する方向性を打ち出すことであり、その根本原因とは、“”と“家族”という制度破壊の目的で戦後、改悪された「現民法」の諸規定である。

 社民党党首の福島瑞穂民主党社会主義者非国会議員である千葉景子法相らが立法を進める、夫婦別姓法案目的とは、戦後改悪された「現民法」にさえ、わずかに存在している”と“家族”の結合力残滓的規定までもさらに取り払おうとする、徹底したマルクス主義悪魔的家族解体政策である。

 このような政策は、現在の日本国において必要な“”と“家族”の結合力強化増強政策とは全く逆さまベクトル指し示す政策であり、真正の日本国民断固として拒否の態度を示すべきである。

 なお、「選択的」夫婦(親子)別姓法案と「選択的」をつけるのは、以下に示すとおり、社会主義者国民騙しである。

―――福島瑞穂『結婚と家族』、岩波新書、171172頁(ここから)―――

 「から「

 第五に、(「選択的」夫婦別姓の場合には)戸籍はどうなるだろうか。

 まず、別姓のカップルも一つの戸籍にするという考え方がある。

 ・・・しかし、戸籍は、今まで(=現民法・戸籍法下では)「(=)」を編製原理としてきた。同一の「(=)」の場合に(は)、一つの戸籍に(して)、「(=)」が違えば別の戸籍としてきたのである。戸籍は、現実家族共同体とは離れた抽象的な概念として存在してきたといえる

 (→〔=ブログ作成者〕の意見:“家族”として一緒に暮らしていても「仲よしクラブ」のような親和感親近感持てないのに、氏が同じというだけで機械的同一の戸籍の中に閉じ込められてきたという類の意味であり、長幼という道徳内包する“家族”と平等主義的横の繋がりしかない「仲よしクラブ」とを同等視並列視する、極めて低レベル幼稚思想根底にある)。

 (本文の続き→

 だとすれば、別姓(=別氏)のカップルを同一の戸籍の中に入れるのは、できないことになる。

 次に考えられるのは、同姓(=同氏)を選択した夫婦については夫婦同一の戸籍別姓(=別氏)を選択した夫婦には夫婦別べつの戸籍にするというものである

 (→〔=ブログ作成者〕の意見:「選択的」夫婦別姓とわざわざ「選択的」を付するのであれば、この「選択的」な考え方が一般国民常識であろうが、福島瑞穂の以下の結論は、社会主義者ゆえに非常識となる)。

 (本文続き→

 つまり、夫婦別姓は、結婚の時から、それぞれが「戸籍筆頭者」になるのである。それぞれが「戸籍筆頭者になることは、序列なくし、男女平等すすめることになる(?)

 (→〔=ブログ作成者〕の意見社会主義者〈特にマルクス主義者〉のいう、夫婦間の「序列」というのは、「階級的序列」のことであり、プルジョワプロレタリアつまり、男性ブルジョワジー女性プロレタリアートの意味である。

 が、そもそも夫婦関係をそのような「階級的序列」で捉えるのは、教条的なマルクス主義者のみであって、真正の、あるいはごく一般日本国民は、そのようには考えないし発想すらしない。

 ちなみに、〔=ブログ作成者〕の言う“家族”の長幼の”とは、“尊敬”と“愛情”、あるいは“厳しさ”と“慈しみ”などの感情情念によって必然的に生じる 道徳的な上下秩序”という意味であって、人為的な「階級的序列」とは似て非なる概念であることは理解頂けるであろう。

 すなわち、仮に「夫婦間男女平等」なる概念が存在すると百歩譲っても、それは“夫婦家族円満”の概念でしかあり得ず、「戸籍筆頭者であるか否か」と“夫婦家族円満”とは全く無関係であるから「戸籍筆頭者であるか否か」と「夫婦間男女平等夫婦家族円満」は全く無関係である)。

 (本文続き→

 そして、別姓(=別氏)の夫婦から子どもが生まれた場合は、父の姓(=氏)を称するときは、父の戸籍に、母の姓を称するときは母の戸籍に載せる

 (→淡々と形式論を述べているが、両親ともに大好きである息子や娘

 「僕はお父さんの姓〈=氏〉であるけれど、なぜお母さんの姓〈=氏〉と違うのだろう?」とか、

 逆に「私はお母さんの姓〈=氏〉であるけれど、なぜお父さんの姓〈=氏〉と違うのだろう?」とか、

 「お父さんとお母さんが同じ姓の友達が多いのに、なぜ私は、・・・?」

 という矛盾に悩むのではないだろうか、というような子ども気持ち感情についての心遣い配慮一切述べない

 ちなみに、同書の159頁では「別姓の夫婦が増えていけば、〈子どもの〉慣れの問題」の一言で片づけている。唯物主義マルクス主義者が、真正の日本国民とは全く異なる転倒した思考回路で事象を捉えることがよく解るであろう)。

 (本文続き→

 ・・・最後に、(戸籍法の)改正をわかりやすく徹底して個人籍にすることも考えられる。

 もちろん「家制度をなくし個人主義を確立するためには、「ではなく、「籍の方がふさわしい男女平等個人の尊厳の立場からは、(戸籍法の)改正により、(別姓夫婦同姓夫婦徹底して)「個人籍にするべきだろう。

 (→〔=ブログ作成者〕の意見社会主義とは、経済的自由”の放棄隷属体制のことであり、これに対峙して経済的自由”・政治的自由”・個人的自由”を尊重する主義の“個人主義”である。ゆえに、社会主義者福島瑞穂がここで用いている「個人主義」は、“”や“家族”の結合された集団に対置された「個人主義であり、単に集団に属すること集団のルールに従うこと嫌う利己主義」や「自己中心主義」の意味であり、ハイエクのいう「偽りの個人主義」である。

 社会主義集産主義的統制経済の下では、個人すべての自由を失うため、集産主義体制下において、男女平等個人の尊厳などは万が一にも達成されることはあり得ない

 存在し得るのは、「国家隷属する奴隷としての男女平等」と「全体に埋没して顔の見えない個人」だけである。

 社会主義者共産主義者などの集産主義者が、演説討論著作の中で用いる「自由」とは、“自由ゼロの「自由」、あるいは“自由”のない自由」つまり、「隷属隷従」の意味しかない

 ただし、彼らの演説討論著作の中では、当然のことながら、自由に「 」“ ”などは付いていないから、聞く者読む者聞き分け読み解く必要があるのである。

 ところが、多くの日本国民は、このような事実も知らないし、知っていても判別する能力がないから、「何かおかしい」と気づかない。そして、彼らの表面的な甘言鵜呑みにして騙され、後になって後悔するのである)

―――福島瑞穂『結婚と家族』、岩波新書、171172頁(ここまで)―――

 →〔=ブログ作成者〕の解説社会主義者である福島瑞穂の上記の詐欺的結論を聞けば、社会主義者思考病的なまでの異常性は明白であろう。

 『「選択的」夫婦(親子)別姓法案』であるから、民法上は「選択的別姓にしておきながら、戸籍法上どちらを選択した場合でも強制的」にすべての夫婦を「個籍個人籍にするのが望ましいと言っているのである。

 つまり、『「選択的」夫婦(親子)別姓法案』の真の目的は、「別姓」ではなく、「個籍個人籍」にすることであり、教条的なマルクス主義の「家族本質的解体イデオロギーであることが理解できるであろう。

 日本国民は、表面上の『「選択的」夫婦(親子)別姓法案』に騙されて妥協し、「自分は同姓を選択するので関係ない」などと安心していると「民法の改正に伴い必要になる」という論法で、司法官僚がどさくさに紛れて、知らぬ間に「戸籍法」を改悪して『強制的」夫婦(親子)別籍法案』にすり替えてしまったことに驚愕しても「時既に遅く後悔先に立たず」ということになりかねない。

 ゆえに、〔=ブログ作成者〕は、法案提出に先んじて日本国民に真実を伝え、警鐘を鳴らしているのである。

 “”と“家族”とは、大多数の日本国民にとって唯一無二の安息休息の場である。

 従って、“”と“家族”と“戸籍”などに対する破壊行為は、日本国民の凄まじい怒りの念を伴って、消費税の増税などとは比較にならぬ程強烈に次期総選挙結果反映されるだろうことを「すべての政党すべての政治家」に予告しておく。

20100823ブログ掲載】

 保守主義の哲学---ホイッグ主義の蘇生による社会主義の撃退が日本救国の道である(9)へ続く



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テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

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