保守主義の哲学---ホイッグ主義の蘇生による社会主義の撃退が日本救国の道である(11)

―――――エドマンド・バーク保守主義―――――

―――――保守主義哲学の神髄―――――

 18世紀 英国の“ホイッグ主義”の系譜――バークマコーレーグラッドストーンアクトン卿ハミルトントクヴィルハイエクらの思想を正統継承する者こそ真正自由主義者真正保守主義者である

ホイッグ主義蘇生による社会主義撃退日本救国の道である(11)

―――A・ハミルトン/J・ジェイ/J・マディソン『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫、213217頁(ここから)―――

 しかし、私(=J・マディソン)としては、この非難(→立法・行政・司法の各部門は明確に分離されていなければいけないという政治上の公理をこの米国憲法草案は破っているという憲法草案反対派の非難のこと)が当を得ていないこと、またそれが論拠とする公理そのものが全く誤解されており誤って適用されていることを、万人に明らかにすることができるものと考えている。

 この権力分立という重要な問題を正しく理解するためには、自由を保持するにあたって、三つの重要な権力部門が明確に分離されていることが必要であるということが、真に意味するものは何であるかを検討することが適当であろう。

 この権力分立の問題について常に参照され利用される権威としては、かの高名なモンテスキューがいる。

 ・・・まず、モンテスキューが、権力分立制をもって何を意味していたかを確かめる必要があろう。

 ・・・モンテスキューは、イギリス国制を、政治的自由をはかる基準、彼自身の表現を使えば、政治的自由うつす鏡とみなし、イギリス固有の制度特有のいくつかの原理を、一般的な基本的真理として論じてきたように思われる。

 したがってこの件に関する彼の真意を誤解することのないように、この権力分立の公理が引きだされた源であるイギリス国制そのものを検討してみることにしたい。

 イギリス国制を一瞥しただけでも、立法・行政・司法の各部門が、決して完全に明確に分離されているのではないことを認めざるをえない。

 たとえば、行政首長である国王は、立法部不可欠な一部を構成している。

 彼(=国王)のみが、外国との条約を締結する大権所有しているが、条約は、一度締結されれば、一定の制約の下にではあるが、立法部の制定した法律としての効力をもつことになる。

 司法部の成員はすべて国王によって任命され、議会両院要請があれば、国王によって解任される。

 さらに国王がその意見を求める場合には、司法部の成員は、国王の憲法上の諮問機関の一部を構成することになる。

 他面、立法部一院上院〕も、行政首長〔である国王〕に対する憲法上の諮問機関を構成し、しかも弾劾裁判に関しては司法権を専有し、その他の件すべてに関して、上訴審としての管轄権を与えられている。

 判事は、立法上の投票権は認められていないが、しばしば議会の審議に出席し参加することが認められている限りでは、立法部とも関係をもっている。

 これらの事実は、いずれもモンテスキューも参考にしたにちがいないが、これらの事実からしても、はっきりと推察されるように、モンテスキュー

 「立法権と行政権とが同一人あるいは同一の機関に集中されている時には、自由は存在しえない」とか、あるいは

「裁判権が立法権や行政権から分離していない時には、自由は存在しえない」

 とか語る時(=モンテスキュー)は、これらの各部門が他の部門の行為につき部分的にも代行機関であったり、いささかなりとも抑制権をもつべきではないこと意味したのではなかった

 モンテスキュー真に言おうとしたことは、彼自身の言葉から察せられるように、また、彼の眼にした英国の国制という事例によって決定的に示されているように、ある部門の全権力が、他の部門の全権力所有するもの(=あるいは機関)と同じ手によって行使される場合には、自由なる憲法の基本原理は覆される、ということ以上に出ないのである。

 たとえば、彼が検討したイギリス国制の場合について言えば、もし唯一の行政首長たる国王が、立法権のすべてを把握したり、司法権の最高執行権を所有していたならば、あるいは、立法機関全体最高の司法権を所有したり、最高の行政権を所有していたならば、この言葉(=権力が分立していないということ)がそのまま当てはまっていたことになろう。

 しかし、こうした完全な権力集中イギリス国制の欠陥の中にはなかった(=英国国制は明確な権力分立制であった)のである。

 全行政権を掌握している国王も、どの法律に対しても拒否権を行使することはできても、彼(=国王)自身が法律を制定することはできないのである。

 また、(国王は)裁判を行なうもの任命することはできても、自分自身で裁判を行なうことはできない

 判事は、(国王の行政権である判事任命権の)執行という幹から出た枝ではあるが、行政権を行使することはできず、また、立法議会から助言を求められることはあっても、みずから立法権を行使することはできない

 立法部は、両院の合同行為によって判事をその職から解任することができ、また一院上院〕は、最終審としての司法権を所有してはいるが、立法部全体司法行為を行なうことはできない(=立法権全体司法権全体掌握してはならないということ)。

 さらに、両院のうち一院下院〕は最高行政機関内閣〕を形成(=英国議院内閣制)し、他の一院上院〕は〔その出席議員の〕三分の一の弾劾により、行政部あらゆる官吏審理し、有罪を宣告することができるが、(内閣を除き)立法部全体としては、いかなる行政権も行使することはできない。

 モンテスキュー権力分立の公理をたてる際その論拠としたいくつかの理由があるが、その理由も、彼の真に意味したところさらによく示している

 たとえば、彼は次のごとく述べている。

 「立法権と行政権とが同一人あるいは同一の機関に集中されている時には、自由は存在しえない。というのは(=理由は)、同一の君主ないし元老院が、専制的な法律を制定、(かつ)それを専制的な仕方で執行するという恐れが生じうるからである」

 また、「裁判権と立法権とが結びつくと臣民の生命と自由とは恣意的な支配にさらされることになろう。というのは(=理由は)、その場合、裁判官が同時に立法者となるからである。

 もし裁判権に行政権が結びつくと、裁判官は圧制者のような暴力をもって行動するかもしれない」とも言っている。

 〔 〕内:訳者の補足、( )内:〔=ブログ作成者〕の補足。

―――A・ハミルトン/J・ジェイ/J・マディソン『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫、213217頁(ここまで)―――

 →〔=ブログ作成者〕の解説:繰り返すが、日本国国制は明確な『三権分立制』である

 読者の皆さん、「議院内閣制」と「権力分立制三権分立制)」について完璧に理解して頂けただろうか?

 なお、上記の英国国制とは“英国法英国憲法”であることは言うまでもなかろう。

20100829ブログ掲載】

  保守主義の哲学---ホイッグ主義の蘇生による社会主義の撃退が日本救国の道である(12)へ続く



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