保守主義の哲学---(号外版)「死刑制度廃止論」に関する私的考察について(1)

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―(号外版)「死刑制度廃止論」に関する私的考察について(1)

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 さて、「NHKクローズアップ現代」が本日830日(月)1930より「死刑 あなたは知っていますか仮題)」という題目で、死刑制度について放送予定のようである。

 当番組の内容の概要は、「NHKクローズアップ現代」のホームページによれば、以下のとおり。

 ――――――――――

 『人間の命奪う究極の刑罰、死刑。その刑場が27日、初めてマスメディアに公開された。

 「国民的議論を喚起したい」と千葉法相が決めたものだ。

 世論調査では国民の8割以上が支持する死刑制度だがその実像を知る人は少ない

 長年、国が死刑執行や死刑囚の情報を秘密にしてきたからだ。

 しかし、裁判員制度で市民も死刑の判断を求められるようになり、「知らないでは済まされない時代になっている。刑場公開を機に関係者を取材、その実像に迫る』

 ――――――――――

 最初に〔=ブログ作成者〕から、この番組内容について一言述べておきたい。

 第一に、死刑場マスメディアに公開したのも、「国民的議論を喚起する」のに先行して自らが立会の下で死刑を執行した」のも、社会主義者で自称「死刑廃止論者」である民間人千葉景子法相であることを、視聴者は決して忘れてはいけない

 第二に、「人間の命奪う究極の刑罰、死刑」というが、そもそも他者を殺害した殺人犯を「人間である」と前提した「人権擁護理論」が論理的に正しいのか否かから考察する必要があろう。

 なぜなら、例えば殺人犯自身の死刑判決」に先行して単数あるいは複数他者を、多くの場合「残虐非道な仕方」で殺害しているという事実が存在するからである。

 そのように考えると、先行して殺人犯した殺人犯刑罰の在り方犯行後に「裁判員制度」の下での裁判員(=一般国民が議論するという構図と、今回の千葉景子やり口全く同じ構図ではないか。

 なぜなら、千葉景子は、先行して死刑執行」をしておいて、執行後に「死刑の在り方について国民的議論喚起したい」と絶叫しているからである。

 大多数の日本国民千葉景子の行動が精神的正常とは言えないということを認めるのではないだろうか

 このような法相の「死刑制度在り方に関する議論喚起」に飛び付いたのが本日のNHKクローズアップ現代特集なのであろうが、真正の日本国民は、いつもの司会者がどのように議事進行し、個人的なコメントを発して世論誘導するのかに注目されたい

 第三に、「死刑執行死刑囚情報秘密にしてきた」というが、国がそのような残酷な情報を事件関係者以外一般国民公開する義務などそもそもあるのだろうか?また、一般国民(→死刑廃止論者からなる人権擁護団体関係者などを除く)は本当に、そのような情報を求めているのであろうか〔=ブログ作成者〕には極めて疑問である。

 第四に、「裁判員制度で市民も死刑の判断を求められるようになり、『知らないでは済まされない時代」と言いながら、NHK死刑制度の在り方について考える番組を放送するのであるから、隠喩的に裁判員人間の命奪う究極の刑罰死刑(→上記のNHK番組概要冒頭文そのままの引用)判決絶対に出すな人間でない!と裁判員恫喝しているのと同じことではないのか?

 「死刑の在り方についての議論」というより、「裁判員恫喝による実質的な死刑廃止」という結論押し付け番組ではないのか?

 と問われれば、NHKどうのように回答するのであろうか

 さて、前置きはこの程度にして、本題に入ろう。

 そもそも人権(=生命権生存権)の絶対的尊重根拠として「死刑制度死刑廃止論」の論理的正当性が導かれるのか?という大問題を考察してみることとする。

 この問題を簡潔に表現すれば次のように言えよう。

 「死刑」は、本当に殺人犯に対する人権侵害に当たるのか?@あるいは「死刑」は人権侵害である、と言える正当な根拠持ちうるのか

 という「死刑廃止論」に関する、率直かつ根本的な疑問である。

 いわゆる人権擁護派と呼ばれる人々は、「生存権生命権」という人権(=人間の権利)を絶対視する人々であるから、どんな悪逆な殺人犯であっても「生存権生命権」という絶対的人権所有しているのであるから、国家による死刑制度による死刑も、その殺人犯の「生存権生命権」の簒奪行為であって許されない、という立場である。これが「死刑廃止論」の論理である。

 しかし、正常な思考ができる人ならば、この人権擁護派死刑廃止論者論理は「明確に指摘できないが何かおかしい」と直観するはずである。

 それは正確に表現すれば、殺された被害者の側は「すでに死んでいる」という理由で、彼女)の「生存権生命権」を完全に無視されるのに、殺した側殺人犯は同じ「生存権生命権」という絶対的人権によって生命を擁護されるという「大矛盾」に感づくからである。

 しかし、日本の「人権派弁護士のみならず、国際的人権擁護団体アムネスティインターナショナル」も同じで、凶悪な殺人犯に対する死刑すら「基本的人権の侵害」と考える

 つまり、彼らの主張は次のとおり。

 「基本的人権の中核はそれが不可侵であるということである。人がもっとも残虐な犯罪をしたとしても、基本的人権奪い去ることはできない人権は、すべて善なる者に与えられるのと同様に、すべての悪なる者にも与えられる。これが、人権我々すべて護る理由なのである」(アムネスティインターナショナル『死刑と人権――国家が殺す時』、成文堂、10頁)。

 しかし、あくまで〔=ブログ作成者〕の論理においては、上記の論理は実は論理破綻していると思われる。

 つまり、〔=ブログ作成者〕の論理では、「生命権生存権」の絶対性という「人権の概念理由にして、殺人犯死刑制度および死刑人権侵害人権簒奪該当しないという結論になる。

 まず、「人権の定義」が重要なのだが、多くの人権擁護派死刑廃止論者聖典として崇める1789年の「フランス人権宣言 4」では以下のように規定している。

 ――――――――――

 ○ フランス人権宣言

 第4条(自由の定義・権利行使の限界)

 「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれら同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない」

 ――――――――――

 このフランス人権宣言の主旨を逸脱しないように、人権(=人間の権利)を以下のとおり定義すれば、死刑肯定派死刑反対派も異論はないであろう。

 「人権とは、すべての人間生まれながらにして持つ自由および諸権利(→当然、生存権生命権を含む)であり、その自由および諸権利は、社会の他のあらゆる(=いかなる構成員(=人間)によっても侵害されることがあってはならない権利、あるいは、奪われることがあってはならない権利である」

 もし、この「人権の定義」に「異論」があるならば、ぜひその「異論」を教えて頂きたい。

 さてここで、ある人間A殺人犯B殺害された(=生存権を奪われた)場合、人間A生存権奪った殺人犯Bとはいったい「何もの」なのか?

 という原点から考えることにする。

 なぜなら、殺人犯B人間Aを殺害し、人間A既に死者(=亡骸)となっているのだから、殺人犯Bのみを「人間である」と前提して、殺人犯の死刑や死刑制度に関する論理を展開するのは、前提から論理矛盾だからである。

 (イ)殺人犯Bが「人間」であると断定した場合

 この場合、被害者である人間A殺人犯である人間Bに人権(=生存権・生命権)を簒奪されたのであるから、上記の「人権の定義」の後半部の「その自由および諸権利は、社会の他のいかなる構成員(=人間)によっても奪われることがあってはならない権利」という「人権の定義」に例外(=人間A)を認めるの同義であろう。

 つまり、「殺人犯人間である」と断定することは、上記の「人権の定義」と相互矛盾する。

 この矛盾に対して、人権擁護派死刑反対派が、上記の「人権の定義」は「すべてのあらゆる人間によって絶対遵守されるべきもの」あるいは「すべてのあらゆる人間に対して例外なく適用されるべきもの」であり「例外一切認められない」として上記の「人権の定義」の変更不可能固執するならば、上記の「人権の定義」は変更できないという結果から、当初の仮定を変更し、「人間A人権(=生存権)を奪った殺人犯Bは、人間の容姿をしているが、決して人間ではない動物や物などの何かである」と断定せざるをえない

 その場合、結論は次のとおりとなる。

 結論(イ)殺人犯Bは「決して人間ではない動物や物などの何か」であるから、そもそも「人間の権利」である「人権」など所有していない(→つまり論理的に殺人犯は、殺人を犯した後は人権を持ち得ないということになる)のであるから、殺人犯に対する死刑制度および死刑は「人権」を簒奪することにはならない

 ゆえに、この場合殺人犯の「死刑」および「死刑制度」について「人権の侵害である」、「人権の簒奪である」などと批判するのは虚偽となる。

 ここで、人権擁護派死刑廃止論者殺人犯Bを「人間ではない動物やものなどの何か」などと考えるのは「人権侵害だ!」などと絶叫しないでいただきたい。

 なぜなら、殺人犯Bこそが、先に人間Aを、人権を持ちえない人間でないもの死人死体)にしたのであるから、である。

20100830ブログ掲載】

  保守主義の哲学---(号外版)「死刑制度廃止論」に関する私的考察について(2)へ続く



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