保守主義の哲学---“自由の価値”の再考

 読者の皆さん、及びこのブログへ初めて来訪の皆さんへ。

 
 いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙なブログをお読み頂き、感謝するとともに深く御礼申し上げます。

 
 さて今回は、多くの日本国民が、“それ”について日頃忘れがちであり、“それ”について「当たり前に存在するもの」としてほとんど興味も持たず、さらに暗愚な少数者においては、“それ”が社会にあらゆる弱者を生み出す原因であるから、人間は平等でなければならないなどと、全く論理転倒させた恐るべき幼稚な勘違いをしているかもしれない、“自由”の価値について再考して頂きたいため、ノーベル経済学賞受賞者であり、世界が認める
20世紀最大自由主義の政治哲学者であるFA・ハイエクの“自由の価値”に関する論文を紹介したいと思う。

 
 今回のブログは、ハイエク論文からの部分引用のみで構成し、〔=ブログ作成者〕の解説は、ハイエクの原文における( )内の補足説明のみとする。また、原文における〔 〕内はハイエク自身による注釈である。

 
 若干長い引用であるが、自由主義社会生きる国民にとって、“自由の価値”を再考できる、重要かつ有益かつ簡単明瞭な内容であるのでこの機会にぜひ最後まで読んで頂きたいと思う

 
 ―――
FA・ハイエク『隷属への道』、春秋社、130133頁(ここから)―――

 
 (自由競争に対する最も一般的な反対論の一つが、競争は「盲目的」だという主張であることは、意義深い。

 
 この「盲目的」ということは、古代人が正義の神に与えていた属性だ(→つまり正義の属性が競争である)ということを思い出すのは、ここでの問題にとって無関係なことではない。

 
 競争正義は、他のことにおいてはほとんど共通するものを持たないが、両者とも地位や貧富などによって人を差別しない(→左翼人は短絡的に「そんなわけがない!」などと絶叫せずに最後まで読め!)、という賞賛すべき点を共通して持っている。

 
 誰が幸運な人となり誰が災厄をこうむるかは、前もって分からない(=未知である結果が出てはじめて分かる)ということ、(競争の結果としての)報償と(正義の審判としての)は、それぞれの人間の長所・欠点を誰かが判断して与えるではなく各自の能力と運にゆだねられているということ―――これらのことは、前に述べた、法律はあらかじめ誰の利益になり誰の損になるかを計算して制定してはならない(→立法行為は目的独立型の“正しい行動のルールの体系”=“”を遵守して行わなければならない)ということと同様重要である。

 
 このような(自由主義社会の)不確実性は、非情とも言えるが真実なもの→現実的に消滅しえないもの)である。

 
 ・・・(われわれに)迫られる選択は、(誰が何を手に入れるか少数の人間(→例えば社会主義・共産主義政党の党員)の意志(=命令)が決定する体制(→全体主義体制)か、それとも(個人の報酬は、少なくともある部分当人の能力と企業家精神(=自助努力)によって、またある部分予測できない諸般の条件によって決まるような体制(→自由主義体制)か、という二者択一

 
 (→バーク、トクヴィル、ハミルトン、ハイエクが証明済みであり、二者の中間はない。自由を意識せずに放置すれば、必ず人間は安易に平等主義に走り出し、気が付けば全体主義化する。ヒトラー誕生直前のワイマール憲法下のドイツが典型的事例)

 
 なのである。

 
 この(②における)予測できない条件に左右されるということは、ある意味できわめて重要である。

 
 なぜなら、自由企業の体制は、必然的に私有財産と〔必ずしも同じ重要性ではないかもしれないが〕相続財産立脚しているため、それらが創り出す機会には差があり(→例えば裕福な家に生まれるか、貧しい家に生まれるかで、得られる機会に差異があるというようなこと)、あらかじめ機会の不平等が存在するから

 
 (→要するに、機会の不平等が存在しうるということこそ、「予測できない偶発的な条件」が、貧者を努力によって大富豪に大逆転させるために必要不可欠な条件・要素となるのである。

 
 
読者の皆さんは、この「予測できない偶発的条件が全くない社会が、貧者生まれてしまうと努力しても一生貧者でしかあり得ない暗黒の社会であることは、常識的に解るであろう)。

 もちろん、このような機会の不平等は解消されていくべきだということは正しい

 
 ただし、持って生まれた差異を完全に解消するなどということを目指すべきではないし、また、不平等をなくすために、誰もがチャンスを実現していこうとする時(に)、それに依存できる(→どうしてもそれに依存せねばならないところの)、自由社会非人格的な制度

 
 (→自由な文明社会が漸次的進化をする時に生じる自生的自由秩序のこと。この自由秩序は文明社会が進化するときに自生的に生じ、自然成長する非人格的秩序であって、人間が意図的設計する設計主義的制度ではない

 
 
破壊されるようなことがあってはならない

 
 また、(不平等をなくすために)何が正しく望ましいかについての誰かの見解が、他者に押し付けられるようなことがあってもならない

 
 (→例えば、国家の計画主義者が決定した唯一の計画正しいものとして、すべての国民に平等に押し付ける平等主義間違いであるということ)。

 
 確かに競争社会では、貧しい人に開かれている機会は、富裕な人それ(=機会)よりきわめて限られている

 
 しかし、それでも彼ら(=貧しい人)が、(自由主義とは)異なった形態の社会(=社会主義や共産主義などの全体主義社会)で(=において)もっと多くの物質的安楽を意のままにしている人(=全体主義社会の人民より自由であることは変わらず真実である。

 
 もちろん、競争のもとでは、貧乏な状態から人生を始めた人が富豪になる可能性は、遺産を相続した人がそうなる(=富豪になる)可能性よりはるかに少ないことも事実である。

 
 だが、その(=富豪になる)可能性は充分存在するし、より重要なことは、競争体制(=自由主義体制)こそ、権力者の好意(→権力者が党員やその家族などだけに差別的・優先的に与える恣意的な便宜など)によってではなくひとえに自分の努力や運によってそれを可能にさせ、また誰かがそれ(=自分の努力や運=個人的自由)を妨害しようとすることを禁じる(ことができる唯一の体制だということである。

 
 ・・・このような形で(→生産手段としてのあらゆる私有財産を国有化するような形で)国家へと委託された(政府権力が、単に財産の保有者を人々(=国民個人)から国家へと写したにすぎないと信じるのは誤っている(→私有財産の国有化とは、そのような単純なことでは済まない)。

 
 そこで(=私有財産を国有化し政府に委託した時)生まれる権力は、新たに創り出された権力(であり)、競争社会(=自由主義社会)では誰も所有することがない権力なのである。

 
 (自由社会私有財産制の下で)財産多くの民間所有者分割されているかぎり、独立して活動するそれら所有者が、人々の所得や地位を決定する権力を独占して持つことはありえない(→例えば、所得や地位について、政府権力や特定集団などの決定に国民が隷従する必要がない)。

 
 もっといい条件を提示してくれる(別の)人があれば、人はそちらへ雇用を求めることができる(=選択する自由がある)からである。

 
 今日の世代が忘れ去ってしまっていること
は、私有財産制は、財産を所有する者だけでなくそれ(=財産)を持たぬ者にとっても最も重要な自由の保障であるということである。

 
 つまり、生産手段の管理が独立活動をする多数の人々に分割されているからこそ、誰も人々の運命を左右する完全な権力を持ち得ないし、人々はそれぞれ自分がどうやっていくかを決定することができる

 
 もし、あらゆる生産手段一つの手ゆだねられるとするならば―――それが「社会全体といった名目であろうが、あるいは独裁者であろうが―――、その管理権行使する者は、人々に対して完全な独裁権力を振るうことになろう

 
 たとえば、ある人種的ないし宗教的小集団に属している人(
A)がいて、)はまったく財産を持っていなかったが、同じ集団の仲間が財産を持ち(→仲間が財産を持っていたおかげで)、(=A)を雇うことができたとする。

 
 その時の(=
A)は、私有財産完全に撤廃(=国有化あるいは公有化)され社会全体の財産の名目的な共同保有者となった場合の(=A自身と比べて、ずっと自由であることを誰が疑うだろうか

 
 また、私の隣人として、あるいは私の雇い主としてある億万長者
B)がいた時、(=隣人あるいは雇用主としての億万長者Bが私に及ぼす権力は、一番下っ端の官吏(=行政官僚)だけれど(も)国家の強制権力を担っていて、(官吏の)自由裁量権によって、私が生活し仕事をする許可を与えたり(→許認可権を握り)、その方法(→許認可の詳細な条件)を決定できるような者(=官吏)が持つ権力に比べれば、(隣人あるいは雇用主としての億万長者Bの権力は)、はるかに小さいものであることを誰が疑うであろうか

 
 さらに言えば、(たとえ)裕福な者が力を持つ社会で(あって)も、すでに力を獲得した者だけが(独占的に)裕福になれる(と計画されている、あるいは人為的に設計されている社会に比べれば、まだましだということを、誰が否定するだろうか

 
 ―――
FA・ハイエク『隷属への道』、春秋社、130133頁(ここまで)―――

 
 最後に一言だけ。

 
 私
〔=ブログ作成者〕は『ハイエク全集』、春秋社とは、全巻に通底する“ハイエク哲学”の主要点さえ完全に理解してしまえば、社会主義者や共産主義者がどのような虚偽やプロパガンダで国民を騙そうと試みても、概ね、かれらの言動の正義不正義判別ができるようになる最良の教科書ではないかと思う程度に深淵な智恵が盛り込まれている偉大な著作群であると思う。

 
 ただし、ハイエク全集を全編を通して読むにはコークバークヒュームトクヴィルなどの真正保守主義に関する基礎的な理解が前提である。

 
 そして“真正保守主義”の哲学の概略を正確に把握する唯一の方法は、日本国においては、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作群をジャンル別に体系的に読むしか方法がないというのが事実である。

 
 私
〔=ブログ作成者〕は、読者の皆さん、特に若い方
2030around40日本国民)には「真正の保守自由主義とは何か」、「日本国民の存在意義とは何か」などを知っていただくために、最低限の教養として、次に掲げる図書はすべて読んで頂きたいと願うものである。

 
 ○
中川八洋『民主党大不況』、清流出版(=日本国病の正確な実態把握 

 
 ○
同『女性天皇は皇室廃絶』、徳間書店(=正しい天皇制の理解 

 
 ○
同『山本五十六の大罪』、弓立社(=大東亜戦争の真実を知り、語るためには避けて通れない著作

 
 ○
FA・ハイエク『隷属への道』、春秋社(=自由主義と全体主義の理解

 
 ○
エドマンド・バーク『フランス革命の省察』、みすず書房(=欧米の真正保守〈自由〉主義のバイブル 

 
 ○
A・ハミルトンら『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫(米国憲法思想の理解 


【平成
221224日掲載】


エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)


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ジャンル : 政治・経済

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