保守主義の哲学シリーズⅡ-2‐‐‐「米国保守主義の父」アレクサンダー・ハミルトンの哲学と米国憲法


「米国保守主義の父」アレクサンダー・ハミルトンの哲学と米国憲法(其の2)

日本政府の政策の「倫理性」、「道徳性」

860兆円という巨大な借金を支払い能力の限度をとっくに通り超えて子孫に押し付け自分の老後だけ安泰であれば、後は野となれ山となれ的な社会保障政策」「福祉国家政策」とはいったい何なのか。

社会保障政策の問題の本質は、「少子高齢化とそれに伴う財源の問題である。世界各国において、これが社会保障政策の根本問題(特に後者)である

であるのに、民主党は、まるで、社会保険庁の年金記録改ざん問題(消えた年金記録問題)が「社会保障政策」の根本問題かのようにかすりかえてしまった見方によっては、これこそ、国民を騙す不道徳行為である

確かに社会保険庁職員の職務怠慢と国民への詐欺的行為は、道徳的義務の完全放棄であり、許すべからざる犯罪であり、関係職員の懲戒免職や国民への手当としての消えた年金記録の発掘作業は重要であるのは認める

しかしながら、仮に全国民の年金記録が2~3年かけて復元されたとしても、問題の本質である「少子高齢化とそれに伴う財源不足」等の問題が解決されなければ、「復元された年金記録」に基づいて「年金を支給するにも、お金そのものがない」し、民主党の公約である「月額7万円の最低補償年金も支給できない」これでは、年金記録の復元の努力も税金も水の泡である

だから、民主党はマニフェストで「消えた年金問題及び最低補償年金」について国民に説明するのと併せて「財源としての消費税増税等860兆円の国の借金の処理」についても説明すべき責任があるのに、触れない言わない見ないふりをする

信じがたいほどの不倫理、不道徳の無責任政策である

それなのに国民は愚かにも、年金問題の表層だけを見て、本質を見ず民主党を支持した。

だから私は民主党など信用しないし、大嫌いだし、日本の害悪そのものだと確信している。

年金問題の本質を考える時、ヨーロッパの「福祉国家先進国」の過去から現在に至る経緯や現状を観察すれば、私の見解としては、日本は「福祉国家政策」を大胆に見直すのが賢明であると考える

英国では、1945労働党が導入した「ゆりかごから墓場まで」といわれる福祉国家政策と石炭・鉄道・通信などの基幹産業の国有化政策によって、英国の経済活力は失われ1970年代には「英国病」、「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほど経済状況が悪化した

1979年に、保守党の自称バーク保守主義者であるマーガレット・サッチャーが首相になると、サッチャーは「小さな政府」を目標とし、規制緩和税制改革福祉制度の圧縮、国有化された基幹産業の民営化及び教育改革を断行し、一時的には失業率が増加したが、1980年代後半から経済は回復傾向を見せ始め、1990年代には、英国病の症状は改善された

そして、彼女は米国のバーク保守主義者であるレーガン大統領と協力して、ソビエト連邦を崩壊に追い込んだ

英国にとって、サッチャー首相の功績は非常に大きい

これは労働党、保守党を問わず、英国民のほぼすべてが認めるところである。

また、「福祉政策・最先進国」のスウェーデンは、1970年代から1990年代初期までは、文字どおり「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる社会福祉先進国であり、日本では真似することが出来ないほどに進んだシステムを持ち、設備の整った高齢者施設や身体障害者施設、さらにいろいろな障害を持つ者に対応した各種の社会構造設備が整備された。

バリアフリーについても、1975年に建設されたストックホルムの地下鉄路線には、建設当時から、エスカレーターとエレベーターは、全ての駅に設備された。高齢者一人当たりを介護する職員数も多く、入居者一人に対し、職員は1・8から2・0の割合であった。介護にもゆとりがあり、老人の生活テンポに合わせた介護がなされるなど、職員もゆったりとした介護をしていた。

国民は、「高齢になれば全て国が面倒をみてくれる。子供たちの世話になる必要はない」。さらに「高齢者と子供は国が面倒みるから、男女共に働いて、税金をおさめよう」と教育された。

しかし、世界経済の悪化の影響を大きく受けて、1992年に「エーデル改革」と呼ばれる、福祉歳出削減改革を実施せざるを得なくなり(福祉政策を圧縮せざるを得なくなり)、この法律制定後、スウェーデン各地の自治体は我先にと施設や介護の民営化を推進し、歳出の節約に努めた

自治体から施設や介護を引き受けた民間福祉企業は、利益を求めるようになり、多くの介護職員の人員整理を行ったため、職員不足が深刻となり、職員一人当たりの担当入居者数が多くなった

この結果、施設によっては、1週間に1回どころか、1ヶ月に1度も外出したことのない老人が増加しひどいケースでは、20人の入居者に対して1人の職人で対応しているという事例もあった

また、介護職員が入居者に暴力をふるうような事件も起こっている。

また、ある一戸建て介護施設では、数日間、入居している老人から職員に何の連絡がないにもかかわらず、職員の誰もそれを気にせず、放っていたが、その老人はベッドから落ちたまま、怪我による出血と水分不足から、一人床の上で死亡したという例もあった。

これが、現実のスウェーデン高齢者福祉の一面である

このスウェーデンの社会福祉の現状は、「新潮45」20056月号『凋落した福祉国家スウェーデンの惨状』からの抜粋である。

 

この論文から日本国民が学ぶ教訓は、

①スウェーデンの福祉政策は、現在では既に「福祉国家のモデル」ではあり得ないこと。つまり、日本国の今後の福祉政策のモデルとして「スウェーデン・モデル」を持ち出すのは危険であり、正論でないこと。

②福祉を国家に依存する度合いが大きければ大きいほど、その国家が何らかの緊急事態(世界的経済危機など)に陥った時、福祉政策は一瞬にして国家の手から放棄され、高齢者たちは手痛い仕打ちを受ける可能性が極めて大である、ということであり、「国民の福祉」は極力、「若いうちから、国民自身の手のうちで計画せよ、過剰に国家に頼りすぎるな」ということである。

 

国家が860兆円もの借金を抱えたうえ、消費税増税(福祉財源)にも言及せずに民主党はどうやって福祉政策を実施していくのだろうか。われわれは、民主党に福祉政策を託して本当に大丈夫なのだろうか。

それに対し、何の説明もない。民主党とは、呆れるばかりの無責任政党である

地方交付税を喰い散らかす地方分権」を神聖視する狂気

現代の社会において、国民の生活を直撃する社会・経済問題は、金融をはじめ、新型インフルエンザ、食品の安全問題、食糧・資源問題、環境問題、大規模災害対策であれ、すべて国レベルにおいて一括して解決するしかない

“くらし”の根幹は、水道やゴミや警察(治安)や消防などを除けば、「地方」にはその権限は存在しえない。世界がどんどん狭くなっている以上、地方の行政を独自に存在させることの方が、逆に行政コストを巨大につりあげる

“地方行政を極力簡素にし、残りの大部分は国が責任をもって行政すること”こそ、国民のための二十一世紀の正しい行政と言える

つまり、“地方の大リストラ”+“国の責任行政”、これこそが今日本がとるべき行政改革の正道である。

日本で巻き起こっている「地方分権論」は、世の中の現実に逆行する「転倒理論」である。

この意味で、財源や権限の地方への移譲の方が時代と世界各国の現実に逆行している。

そもそも、国と都道府県と市町村の行政の関係は、もっと一体化すべき二重、三重行政を一元化して無駄を省くべき)であって、それなくして行政の効率化は進まないし、行政のコストの削減も望むべくもない。

民間の子会社は親会社との関係において決して平等でないのと同じく(=親会社が権限や財源を子会社に譲るということなどあり得ないし、親会社が許さないのが常識だろう)、地方が国との関係において上下関係のある方が正常である

それ以外の統治機構などいかなる国家にも存在しない

地方分権推進委員会は、「国と地方が対等の権限と財源をもつ」という、常軌を逸した国が世界百九十ヶ国の中に一ヶ国でも存在するなら、その国名を挙げ、国民に分かりやすく説明する説明責任があるのではないか。

また、法律や政令の制定権は、憲法第四十一条により「唯一の立法機関である国会=(国)にしかなく地方は、この法律及び政令に基づく条例しか定められないであるのに、どうやって「国と地方が対等」であり得るのだろうか

地方分権推進委員会は、しかし、「対等」だと主張する。

とすれば、彼らは地方を、法律制定権をもつ統治機構にすることを企図しているとしか考えられない。

これは、地方を日本国から独立させること(=「国家解体」)に他ならない少なくともそのような騒動を起こすことを狙っていることになる。

昨今の橋本徹大阪府知事国の行政府批判連発の騒動などは、彼ら、地方分権推進委員会(構成員の過半数がマルクス・レーニン主義者)の企図にすっぽりとはまってしまっている典型例である。

彼は「弁護士」でありながら、中学生でもわかる憲法第四十一条も解らず「道州制」を唱えているのか?

「権限の移譲」を含めた道州制導入のためには、必然的に「憲法改正」が前提となることが、解っていないのか?

もし解っているならば、「憲法改正」が必然的に第9条等の他の条項の改正を伴うため、そんなに早急に「道州制」が実現するわけがないのは自明であろう。

とすれば、橋本知事の国の行政府批判(改憲無しに今できる権限移譲、道州制)とは、財源移譲のみに限定される

それは、端的に言えば、大阪府が過去数十年にわたり、大阪府自身の責任でつくってきた、倒産寸前の府の財政赤字を立て直すために、地方税と地方交付税だけでは足りないので、「国税の一部をよこせ」と言って、国に対して自らの責任を転嫁しているだけではないのか。

国の直轄事業負担金の支払いにしても、淀川水系のダム建設計画にしても、当時の大阪府の知事が国と契約書または協定書を交わして「合意」したものであって、国と府の間にどんな、経緯ややり取りがあろうとも、最終的には過去の大阪府(知事)自身の「意思決定」の結果なのであって、それに伴う府の予算執行は、「大阪府自身の責任」であり、「国の責任」ではない

それをあたかも大阪府の財政赤字を「国だけが悪人で大阪府は被害者だ」という雰囲気を世論に巻き起こすようなことはやめていただきたい

彼は本当に弁護士なのか?「契約や協定」の責任の所在も判断できないのか?

これも不倫理・不道徳・無責任の極みである。

こんな馬鹿げた言い分が、エスカレートしていき、全国へ飛び火していくとすれば、まさに「地方分権推進委員会」の思うつぼ、“平成の応仁の乱”状態になっていくだろう。

地方分権推進委員会」が「国・地方紛争処理委員会」という全く不必要で危険な行政組織を新しく新設したのは(地方自治法第二百五十条第七項)、この最たる証左であろう。

さらに付け加えると、日本における、神話というより事実を転倒させた巨大な嘘は、「3割自治」などという言葉があるように、地方がもっと財源をもってよい、地方がもっと自主的に課税し自主的に支出を決定してもよい、という世界のいずこにも存在しない“狂気の地方行政論”において顕著である。

道楽息子を、親は無限に甘やかして欲しいだけ“小遣い”を与えるべきだという、その家族の解体を狙った悪魔の囁きの国家版が、日本の「地方行政論」の正体である。

以上のことは、「地方自治」の母国である英国を参考にすればすぐわかる。

英国は日本と違って地方税というものは一つしかなかった。伝統的に地方が自主財源を持つことは可能な限り制限されたからである。この地方税を「レイト(Rate」といい、土地・建物等に対する課税であった。日本で言う、固定資産税、家屋税に当たる

サッチャー首相は、税制改革を行い、「地方税のサービス料金化」と「税制の中央集権化」を行い、今日の英国には地方税というものは、「カウンシルタックス(財産税的な自治体税のこと)」と「レイト(非住居用資産にかかるレイト)」の二種類”しかないしかもそれらは中央政府の監督下にある

しかし、日本では地方税は、直接税のみでも次のごとく、何十もある。

都道府県民税、事業税、特別所得税、自動車税、鉱区税、狩猟者税、狩猟免許税、市町村民税、固定資産税、自転車荷車税、鉱産税、特別土地保有税、目的税(自動車取得税、軽油取引税、入湯税を除く。)、国税付加税、特別地税、地租、家屋税、営業税、段別税、電柱税、漁業権税、軌道税、電話加入権税、電話税、雑種税(一部)、段別割、個別割、家屋割、扇風機税、屠蓄税、犬税、使用人税、舟税、自転車税、荷車税、金庫税

日本の「地方」の課税自主権は、世界の常識において、天文学的に無制限である日本の地方は、“世界一の道楽息子”である

これだけの地方自主財源を持ちながら、それでも足らずの財源を国からの地方交付税で補い、さらに、事業補助金制度で国から多額の補助金を受けているにも関わらず、多額の借金を抱えるに至り、財政再建対策に懸命になるあまり、住民への必要な公共サービスを削減している」のが現在の“地方の実態”である。

このような地方に「地方分権」で「権限」や「財源」を移譲したからといって、地方は健全な財政運営を執行できる能力があるのだろうか。

現状をみる限り、“全く無い”どころか、“ますます借金を膨らませるだろう”としか予見できない。

日本が第一にすべきは、地方の自主財政を徹底的にリストラすることである。次に、国の管轄下におくことである。例えば、都道府県民税や市町村民税は廃止して所得税に一本化するのは当然であろう。

英国では、「地方」の歳入に占める自主財源率はほぼ15%以下である。日本流に言えば、「1.5割自治」である。つまり、歳入の85%は中央政府からの助成金である。そして歳出のベースで見ると、19934年度で、地方の歳出は国全体(「地方」+「中央」)の歳出の28.7である。

一方、日本は、歳入における地方の自主財源率は、地方分権推進委員会が(1995年の)発足時に参照したであろう1993年度の決算ベースで見ると、37.8である。「約4割自治」である。地方の自主財源率は、英国の2倍以上もある

さらに歳出ベースで見ると、「地方」の歳出は国全体(「地方」+「中央」)の歳出の何と65.6に当たる。

家計に例えると、「道楽息子の“小遣い”が所得の3分の2におよび、親は残りの3分の1でやり繰りしている、さらに銀行に息子も親も返しきれないほどの膨大な借金を抱えている、信じがたい家族」、これが日本国の真実の姿である。

マルクス・レーニン主義者である共産党系の活動家と全共闘の活動家が2/3以上を占めていた男女共同参画審議会」が日本の伝統、慣習、制度などの“日本の法”を破壊する目的で成立させた「男女共同参画社会基本法は、その第四条それら“日本の法”の全面破壊を定め、第十四条で地方に対してこの国の定める「男女共同参画社会基本計画」に従って、地方も国と同様に“日本の法”を全面破壊せよと命令型で強制している。

 

 このような「極悪法」は即刻廃止すべきである。

 このような法律に強制されなくとも男女共同参画社会などは国民の力で充分達成できる全く不必要な法律である

以上のような日本の実状のほんの一部を見ただけでも、日本の政治家、政府の政策、マスメディア等の「倫理性」「道徳性」の欠如状況がいかに惨憺たるものか、そしていわゆる、国民の世論」と言われているものが、事実を詳細に調べれば、「歴史の経験や他国の現実から、如何にかけ離れた思い込みに過ぎないことが多いか」ということが解っていただけただろうか?


  

 話をハミルトン哲学に戻す。

  

 “美徳に満ちる自由社会”の米国をアメリカ国民に教導したハミルトン哲学は、「ワシントンの告別の辞」に最も優れて表現されている。

  

  ハミルトン曰く、

  「美徳もしくは道徳性は、民選政府に欠いてはならない源泉である、とは全くの真理である

  そして、この美徳という華を国家社会の中で咲かせてくれる土壌が宗教であることを知るハミルトンは、この「告別の辞」においても、目的である美徳のための手段としての宗教の重要性を強調している。

  

ハミルトン曰く、

  

政治的繁栄に導くすべての気質と習慣のなかでも、宗教と道徳こそは欠くことのできない支柱である

  

国民的道徳が宗教的原理を排除しても維持できるとは、頭で考えても、経験からしても、思えない

宗教を弾圧すれば、道徳が消えることは、1917年のレーニンの共産革命以降の、ロシアの暗黒の74年史で、われわれは知っている。既成宗教の存在と信仰の自由の擁護は、倫理・道徳の擁護にとっても、不可欠な最低条件である


●世界が拒絶する「政教分離」

政治(国家、政府)と宗教の分離」などという、フランスにおける1789年の不可解で奇怪な政治教理(ドグマ)は、フランス革命を巨大な炎となってつつみ、それを凄惨な殺戮の「宗教内戦」へと牽引した。このように「政教分離」は血塗られた出生をもつ。 

このようなものを近代の憲法原理だと考える国は、あえてあげるとすれば、小声でつぶやく程度のフランス一ヶ国を除けば、日本だけしかない。それ以外の世界の百九十ヶ国においては全く存在しない。妄理の最たるものだからである。

  

ところが、米国が、このフランスとともに、数少ない「政教分離」の国であるとの謬説を唱える憲法学者が日本に多い。

現実には、米国憲法のどこにも「政教分離」などは存在しない。

しかも、それは修正第一条だという。

米国憲法 修正第一条

「連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない」

  

つまり、修正第一条には「国教の樹立の禁止」と「信教の自由の保障としか明記していない

つまり、日本の憲法学者は「国教の樹立の禁止」をフランス革命で生まれた「政教分離」と言葉をすりかえているのである

国教とはその国の国民が信じるべきものとして、国家が認め、法律によって保護などの特権を与えている宗教(=信教の自由を侵害する)

➡「国教樹立の禁止信教の自由の保障」➡「国家の非宗教化」を意味しない。つまり、国家が特定の宗教の関わりを持っても、国家がその宗教を国教として国民に法律などで強制しない限り、なんら問題はないということであって「政教分離ではない。(つまり、国家が特定の宗教(キリスト教等)と関わりを持とうと、国教化して国民に強制せず、国民の信教の自由を認めるならば、「合憲」である。国家と宗教を分離せよ、などとは一言も言っていない。)

米国の現実政治を見ても、米国大統領の就任式キリスト教牧師の立会の下で行われるキリスト教の儀式である。テレビで誰もが、観ているだろう。

また、米国の教会軍隊裁判所には専属牧師(チャプレン)がいるし、米国連邦議会はキリスト教の礼拝堂がある

そして、すべてのドル紙幣にも「我等は神を信ず(In God We Trust)」と印刷されていることを、まさか知らない憲法学者はいないであろう。

また、2009825日、エドワード・ケネディー上院議員が死去し、829日、葬儀がボストン市内の「教会」で行われ「オバマ大統領」以下クリントン、ブッシュ、カーターなど「歴代大統領」や「現職」および過去の「上院議員ら」も参列し棺は夕刻、ワシントン郊外のアーリントン国立墓地に搬送され、暗殺された実兄ジョン・F・ケネディ大統領のそばに埋葬された。

このように、国葬や戦没者の追悼式典もすべてキリスト教式でとり行われている

これらに現実を見て、どこの、何を以て、「米国は政教分離の国である」というのか、反論が一つでもあればご教授いただきたい

フランスの場合

(フランス憲法第一条)

「フランスは、不可分のライックな(=国家は非宗教化されて=宗教から中立して)、民主的かつ社会的な共和国である」

➡「国家は非宗教化されている」=国家と宗教の関わりを否定している。=「政教分離」である。

 “国家の宗教的中立化が今のフランスの「政教分離」であり、その内容は全四十四カ条からなる1905年の「政教分離法」において明示されている。

  

以上のことから、日本の憲法に「政教分離」条項が必要であるという主張とは、世界的には例外中の例外である、フランスの「政教分離法」を日本国憲法上の規定とすべきである、という主張である。

しかし、もし、そう主張するならば何故そうしなければならないのかの理由が必要である。だが、四文字スローガン「政教分離」を鉦や太鼓で喧伝する、日本の憲法学者のその教科書のどこにも、この理由について書かれていない。

  

  輸入すべき憲法思想はなぜ、フランスの「政教分離」であって、米国の「国教樹立の禁止」ではいけないのかこれも説明がない

もし、戦前の「国家神道」が昭和天皇を「神格化」し、「神格化された天皇」への崇拝が大東亜戦争の惨劇を招いた、とおっしゃりたいなら、逆に尋ねたいが、開戦直前まで、対英米戦争に反対された「神であるはずの」昭和天皇の聖慮、つまり憲法学者のいう「神の意思」嘲り笑うように無視して強引に戦争に踏み切ったのは誰であったか?

 

それは、帝国政府東条英機近衛文麿米内光政帝国陸海軍永野修身山本五十六黒島亀人瀬島龍三石川信吾松岡洋右白鳥敏夫大島浩外務省伊藤述史尾形昭二杉原荒太、その他では、朝日新聞昭和研究会臣民の代表者たちの側ではなかったのか。

 

天皇陛下を「現人神」と国民に徹底教育しておきながら、その張本人たる帝国政府・陸海軍が「現人神」の意思を無視して戦争に踏み切るそして、開戦から大敗北までの原因は「国家神道」による「天皇の神格化(現人神)にある」というような、本末転倒・支離滅裂で精神欠陥的な日本の憲法学者の論理が「政教分離」のそもそもの趣旨であるというなら、「この国の憲法学者は馬鹿しかいない」という証左である。

国際的に例外中の例外たるフランスの特殊ケース、しかもフランスも振り返りたくない1789年革命段階の「政教分離(=キリスト教潰し)」をもって、普遍的に近代憲法の原理だと強弁している憲法学の教科書とは、明らかに、真っ赤な嘘をついている。これほどの嘘をつかなければならないのは、日本の憲法学者が本心を隠しているからである。

  

日本の憲法学者の約九割はマルクス・レーニン主義の信者か少なくともそのシンパであると言われているから、「宗教は熱狂的な信仰を生み、その団体は結束力ある中間組織となる」と考え、あるいは「特に神社神道の復興は、皇室神道=天皇尊崇の強化となり、天皇制の廃止の『コミンテルン32年テーゼ』に逆行する」と考え、宗教(特に神道がターゲット)の絶滅が絶対的真理であると信仰している。

いわゆる無神論もしくは理神論(=無神論の分派、人間の理性を神とする邪教)者である。

そして、フランスの「政教分離」は、1789年の革命とともに発生したが、それは、ヴォルテール系の無神論や、ルソーとロベスピエール系の理神論の立場から、実態的には国教の状態であったキリスト教(カトリック)絶滅の論理としてつくられた。「政教分離」は、既成宗教を根こそぎ破壊する「革命の教理」であった。

だから、日本における「政教分離」の運動は、この革命フランスと同じく、日本土着で日本の伝統(伝統の中の伝統は皇室・天皇)と慣習と不可分の関係にある神道(神社神道、皇室神道)を主としてターゲットとする神道絶滅の反宗教運動が、「政教分離」の名の下に正当化されている

これまでに訴訟となった案件の実態を観察するとそれが真実であることがすぐわかる。

津市地鎮祭事件国鉄南延岡駅神棚事件箕面市忠魂碑・慰霊祭事件自衛官護国神社合祀事件八街町民葬補助犬支出等事件愛媛県知事玉串料等奉納事件鹿児島県知事大嘗祭参列事件、・・・・はすべて、あらゆる宗教のうちの「神道のみ」に関わっていることが解るであろう。

そしてこれらの訴訟を起こすのは、ほぼ100%近く、「共産主義イデオロギーの市 民団体」や「マルクス・レーニン主義者の弁護士や学者達」である。仏教系・キリスト教がらみの訴訟は皆無に等しい

伝統破壊(=天皇制廃止)を主義とするマルキストやコミュニストである憲法学者にとって神道(神社神道、皇室神道)以外の仏教やキリスト教はどうでもよいのである。


ハミルトン保守主義は、次回Ⅱ-3へ続く


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