保守主義Series-7--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;“名誉革命と権利の章典”

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。


 さて、今回
Series 7は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“名誉革命権利の章典の真の意義ついて、バークの主張を拾い上げた。


 目も当てられないほどに傲慢かつ無能に加え、国民騙しを続ける卑怯首相菅直人の率いる民主党政権醜態晒し続ける間に、エドマンドバークの『フランス革命の省察』における最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知しておくことがいずれ、民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに破壊的打撃与えるであろうことを
〔=ブログ作成者〕は確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させる所存である。


 なお、
邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部を〔=ブログ作成者〕が更訂して理解しやすくしたものである。なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。


 ―――――


 
The second claims of the Revolution Society is “a right of cashiering their governors for misconduct.”


 Perhaps the apprehensions our ancestors entertained of forming such a precedent as that “of cashiering for misconduct,” was the cause that the declaration of the act which implied the abdication of King James, was, if it had any fault, rather too guarded, and too circumstantial.*1


 But all this guard, and all this accumulation of circumstances, serves to show the spirit of caution which predominated in the national councils, in a situation in which men irritated by oppression, and elevated by a triumph over it, are apt to abandon themselves to violent and extreme courses: it shows the anxiety of the great men who influenced the conduct of affairs at that great event, to make the Revolution a parent of settlement, and not a nursery of future revolutions.14)


 
14) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.24-25.(『フランス革命の省察』、みすず書房、3536頁に対応)


 
*1 “That King James the second, having endeavoured to subvert the constitution of the kingdom, by breaking the original contract between king and people, and by the of Jesuits, and other wicked persons, having violated the fundamental laws, and having withdrawn himself out of the kingdom, hath abdicated the government, and the throne is thereby vacant.”


 
革命協会の第二の主張(→第一の主張は「選挙こそ王位に対する唯一の合法的資格なり」あるいは「民衆による選挙だけが唯一合法的な権力の源泉なり」というもの)は、「失政の故を以て彼らの統治者を追放する権利」です。


 ところが、どうやら英国の祖先は、「失政の故を以て追放する」などという先例を作ることに危惧の念を抱いていたらしく、権利の章典は――その法が、ジェームズ(二世)王の退位を意味していたのですが、もしその法に何らかの欠点ありとすれば――(英国民が、ジェームズ二世王を「失政の故を以て」追放するのではないということを明確に示すために)余りにも慎重かつ、詳細に過ぎる程になってしまったのです
*1


 しかし、こうした(権利の章典における)慎重さや詳細さの集積はすべて、当時の英国民の諸会議


 ――圧政によって苛立ち、その圧政に対するたった一つの勝利で意気高揚し、我を忘れて粗暴で極端な方向に流れそうになっていたという状況の下にあった諸会議――


 を支配していた慎重の精神をよく示しています。それはまた、あの偉大な事件に際して事の処理に力を振った人々が、名誉革命をして、将来の諸革命の温床ではなく、(王位の)安定の母たらしめようとした配慮を示しています。


 
*1「ジェームズ二世王は、王と人民との間の原始契約(original contract)の破棄によって英国憲法の転覆を企て、またイエズス会修道士其の他の邪悪な人物の勧めによって法の基本原理を侵犯し、かつ自ら国外へ逃亡し、統治権を放棄した。従ってここに王座は空位である」


 
Key words and phrases


 
It shows the anxiety of the great men who influenced the conduct of affairs at that great event, to make the Revolution a parent of settlement, and not a nursery of future revolutions.


 ―――――


 
No government could stand a moment, if it could be blown down with anything so loose and indefinite as an opinion of “misconduct.”


 They who led at the Revolution, grounded the virtual abdication of King James upon no such light and uncertain principle.


 They charged him with nothing less than a design, confirmed by a multitude of illegal overt acts, to subvert the Protestant church and state, and their fundamental, unquestionable laws and liberties: they charged him with having broken the original contract between king and people.


 This was more than misconduct. A grave and overruling necessity obliged them to take the step they took, and took with infinite reluctance, as under that most rigorous of all laws.


 Their trust for the future preservation of the constitution was not in future revolutions.


 The grand policy of all their regulations was to render it almost impracticable for any future sovereign to compel the states of kingdom to have again recourse to those violent remedies.


 They left the crown what, in the eye and estimation of law, it had ever been, perfectly irresponsible.


 In order to lighten the crown still further, they aggravated responsibility on ministers of states.


 By the statute of 1st of King William, sess. 2d , called “the act for declaring the rights and liberties of the subject, and for settling the succession to the crown,” they enacted, that the ministers should serve the crown on terms of that declaration.


 They secured soon after the frequent meetings of parliament, by which the whole government would be under the constant inspection and active control of the popular representative and of the magnates of the kingdom.


 In the next great constitutional act, that of the 12th and 13th of King William, for the further limitation of the crown, and better securing the rights and liberties of the subject, they provided, “that no pardon under the great seal of England should be pleadable to an impeachment by the commons in parliament.”


 The rule laid down for government in the Declaration of Right, the constant inspection of parliament, the practical claim of impeachment, they thought infinitely a better security not only for their constitutional liberty, but against the vices of administration, than the reservation of a right so difficult in the practice, so uncertain in the issue, and often so mischievous in the consequences, as that of “cashiering their governors.”15)


 
15) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.25-26.(『フランス革命の省察』、みすず書房、3637頁に対応)


 
仮にも「失政」についての意見などといった、杜撰で曖昧なもので統治が吹き倒されてしまうとするならば、そもそも如何なる統治も一瞬たりとも存立し得ないでしょう。


 名誉革命を指導した人々(=英国議会両院)は、ジェームズ(二世)王の事実上の退位の根拠をそのような軽々しく不明確な原理には求めませんでした。


 彼らがジェームズ二世王を追求した理由は、国王がプロテスタント教会と国家、及び英国民の疑う余地無き基本法と(その下にある)自由を転覆しようと企図したことに他なりません。


 その企図は、数多くの違法で明白な行為によって確認されていたのです。


 そして彼らは王に対して王と人民との間の原始契約(
original contract)の破棄の責を問いました。


 このことは、失政という言葉で片付けられる問題ではありませんでした。重大かつ異議を許さぬ必要があったため、彼らが(名誉革命で)取ったような手段に訴えざるを得なかったのです。


 あらゆる法のうち最も厳格な法(=コモン・ローを含む英国法に基づく王位の世襲継承法)の下にあるかのごとく、限りなく不本意ながら、彼らはそうした手段に訴えたのです。


 彼らは将来における英国憲法の保持を将来の革命に委ねようとはしませんでした。王国の政府(議会)をして再びそのような(=名誉革命のような)荒治療に頼らねばならなくさせる事態など、将来の如何なる主権者にとっても殆ど不可能にする、というのが彼らの行なったすべての規制の大方針でした。


 英国議会は、英国法に遵った見地から、王位を(→「当の国王」ではなく、“王位”を)これまで在ってきたままに、完全に責任の外に置きました。


 彼らはまた、王位をより一層軽いものにするため、国務大臣達に職責を加重しました。


 「臣民(
the subject)の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」(=通称「権利の章典」、1689年)と呼ばれるウィリアム王治世第1年第2議会の法令によって、大臣達がこの宣言の条項に従って国王に仕えるべき旨を定めました。


 その後間もなく、彼らは英国議会の頻繁な開会を確保しましたが、そのことによって、政府全体が民衆の代表者及び王国の有力者たちによる不断の監視と実際的統御の下に置かれることになったのです。


 英国憲法上のその次の偉大な法律即ち、ウィリアム王治世第
12年及び13年の「王位をさらに限定し臣民の権利と自由をよりよく保障するための法律」(=通称「王位継承法」、1701年)において、「英国の国璽を以てする特赦(=英国王による特赦)は、英国議会下院議員(=英国民)による弾劾に対する抗弁とするべきではない」と規定しました。


 「統治者の追放」などといった、実行困難で、論点も不明確で、またしばしば極めて有害な結果をもたらしがちな権利を留保するよりも、権利の章典の中に置かれた政府関係の規則や、議会による不断の監視や、実際上の弾劾要求などの方が、英国民の憲法上の自由のためにも、時の政権による悪政に対抗するためにも遥かに有効な安全保障になる、と彼らは考えたのです。


 
Key words and phrases


 
They who led at the Revolution, grounded the virtual abdication of King James upon no such light and uncertain principle. They charged him with nothing less than a design, confirmed by a multitude of illegal overt acts, to subvert the Protestant church and state, and their fundamental, unquestionable laws and liberties: they charged him with having broken the original contract between king and people.


 
Their trust for the future preservation of the constitution was not in future revolutions. The grand policy of all their regulations was to render it almost impracticable for any future sovereign to compel the states of kingdom to have again recourse to those violent remedies.


 the act for declaring the rights and liberties of the subject, and for settling the succession to the crown


 act, that of the 12th and 13th of King William, for the further limitation of the crown, and better securing the rights and liberties of the subject
 

 ※ 権利章典の英語原文のリンク先アドレスに誤りがありましたので修正致しました。ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした(平成23年8月6日修正)。

 ―――――


 
〔=ブログ作成者〕の意見


 エドマンド
バーク曰く、


 「
それはまた、あの偉大な事件に際して事の処理に力を振った人々が、名誉革命をして将来の諸革命の温床ではなく、(王位の)安定の母たらしめようとした配慮を示しています」


 「
彼らは将来における英国憲法の保持将来の革命委ねようとはしませんでした。王国の政府(議会)をして再びそのような(=名誉革命のような)荒治療に頼らねばならなくさせる事態など、将来の如何なる主権者にとっても殆ど不可能にする、というのが彼らの行なったすべての規制の大方針でした


 これが、エドマンドバークが説いて止まない
1688年の“名誉革命”と1689年の“権利の章典”の真の意義真像である。


 日本の憲法学者法律専門家には、


 「ピューリタン清教徒革命
1642年~1649年に国王処刑、1649年~1658年クロムウェル独裁、1660年王政復古)」、


 “
1688名誉革命1689年“権利の章典”の制定


 「フランス革命人権宣言(ジャコバン党独裁、反革命派自国民数十万人虐殺、
1789年~)」、


 “米国独立戦争革命
1776年~1783年→1788米国憲法発効1789米国建国”、


 「ロシア革命
1917年~、レーニン/スターリンらロシア共産党一党独裁、自国民大殺戮)」


 ・・・等々の全く異質歴史的事件を「市民革命」として十把一絡げにして説明してしまう愚鈍者がいるようであるが、そのような者は、学者専門家名乗るお粗末すぎるであろう。


 日本国憲法の条文解釈専門家としての憲法学者ではなく、真の法学者を目指す大学法学部の若き学生諸君は、自分がプロの法学者法曹家になりたいと思うならば、“最低限度”、以下の図書は読むべきであろう。


 中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書(英米法、明治憲法、日本国憲法の概観)


 エドマンド・バーク『フランス革命の省察』、みすず書房


 
FAハイエク『ハイエク全集』、春秋社すべて


 
HamiltonMadisonJay, The Federalist Papers、『ザ・フェデラリスト』、福村出版など


 
Edward Coke, The 1st – 4th part of the institutes of the laws of England.


 
William Blackstone, On the Laws and Constitution of England.


【平成
2381日掲載】


エドマンド
バーク保守主義者(神戸発)  

    
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テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

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