保守主義の哲学---侵略行為と自衛行為を区別しない抽象語「戦争」ってなんだろうか?

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 【新聞記事から】



 閣議決定で大江健三郎さんら会見 「平和憲法ひっくり返した」

 (神戸新聞NEXT 2014/7/1 21:46

 →http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201407/0007105206.shtml



  
■■■■■



 集団的自衛権行使容認に反対する憲法学者や作家による「
戦争をさせない1000人委員会」のメンバーが1日、国会近くの星陵会館で記者会見し、作家の大江健三郎さんが「(政府の決定は)日本の平和憲法をひっくり返した」と批判した。



 大江さんは「私は憲法が定める平和主義と民主主義を一番大切に思っているが、安倍首相は戦後日本を悪い時代と考え、憲法を大切なものと考えていない」と指摘した。



 作家の落合恵子さんも「集団的自衛権の行使容認で国民の命を守ると言うが、日本が戦争して敵国と見なされれば、国民の命を危機にさらすことになる」と強調した。



 ■■■■■



 「戦争をさせない」、「日本が戦争をして」あるいは「戦争ができる国」等々。



 集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対する左翼・極左運動家、職業革命家がこぞって発する、このお決まりの修飾語を欠いた単独フレーズ「戦争」であるが、国際法(学)・国際政治(学)・世界史の教訓等々にあまりにも無知で、度を越えた幼稚思想である。



 例えば、「戦争の放棄に関する条約(
Kellogg-Briand Pact 1928」では侵略戦争を「国家の政策の手段としての戦争(war as an instrument of national policy)」と定義して自衛戦争と明確に区別している。



 このことは条文自体だけでなく、
1928428日の米国国際法学会におけるケロッグの講演内容からも明らかである。



 また、国連憲章においては、



 冒頭で「二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争

war, which twice in our lifetime has brought untold sorrow to mankind)」として修飾語を付して「歴史事実としての2度の世界大戦」の意味で用いられている。



 それ以外の国連憲章の条文では、「戦争」ではなく、一貫して次のような用語を使用し、侵略行為と自衛行為を明確に区別している。



 いくつか例を挙げておく。



 【
1条1



 「平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊



 (
threats to the peace, and for the suppression of acts of aggression or other breaches of the peace



 【
24

 「4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない



All Members shall refrain in their international relations from the threat or use 
of force against the territorial integrity or political independence of any state,
or in any other manner inconsistent with the Purposes of the United Nations.
)」



 【
6章 紛争の平和的解決CHAPTER VI: PACIFIC SETTLEMENT OF DISPUTES)】



 【
33

 1.いかなる紛争でも継続が国際の平和及び安全の維持を危うくする虞のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない。



 
2.安全保障理事会は、必要と認めるときは、当事者に対して、その紛争を前記の手段によって解決するように要請する。



 (
The parties to any dispute, the continuance of which is likely to endanger the maintenance of international peace and security, shall, first of all, seek a solution by negotiation, enquiry, mediation, conciliation, arbitration, judicial settlement, resort to regional agencies or arrangements, or other peaceful means of their own choice.



 
2.The Security Council shall, when it deems necessary, call upon the parties to settle their dispute by such means.



 【
7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動



 
CHAPTER VII: ACTION WITH RESPECT TO THREATS TO THE PEACE, BREACHES OF THE PEACE, AND ACTS OF AGGRESSION)】



 【
51



 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

 この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」



 (
Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.



 要するに、侵略行為と(個別的であれ、集団的であれ)自衛権の行使との間に明確な一線を引かず意図的に混同した「戦争(
war)」という曖昧言語を振り回す共産主義者・社会主義者らこそ、最も危険な「自由と平和の真なる敵」なのだ、と良識ある日本国民は、正確に理解する必要があるだろう。



 最後に、今から約
220年も昔の議論であるが、「自衛(防衛)」に関する、米国建国の父らの憲法議論の一部を『ザ・フェデラリスト』、第41篇から引用しておこう。



 
【ザ・フェデラリスト、第41編】



  J・マディソン
曰く、



 「外国からの危険に対する保障は、政治社会の根本目的の一つである。



 これはアメリカ連邦の正当に認められた不可欠の目的である。



 この目的を達成するために必要な権限は、連邦議会に有効に与えられなければならない。



 ・・・攻撃してくる側の兵力を制限できないものが、どのような妥当性をもって、防衛に必要な兵力を制限できるだろうか。



 もし、連邦憲法が、すべての外国の野心を抑え、その行動を拘束できるものであるなら、その場合にこそ、憲法は、連邦政府の自由裁量権を用心深く制限し、連邦の安全のための権力行使に制限を課してもよいだろう。



 同様に、我々が敵対するすべての国家の戦争準備と常備軍とを禁止できない限り、どうして平時におけるある程度の戦争準備を禁止しても安全であることができるだろうか。



 安全保障の手段は、(相手国等の)攻撃の手段と攻撃の危険(度)とによってのみ、計ることができるのである。



 安全保障の手段は、これからも長くこのルールによって決定されるだろうし、他の手段によることはないだろう。



 自己保存の衝動に、憲法の障壁で対抗(=反対)しようとしても無駄である。



 そうしようとするのは、無駄というよりも一層悪い。



 なぜなら、(自国の自己保存の衝動に対して憲法を)障壁としようとすることが、憲法そのものに(相手国等による自国の)権力簒奪〔の機会〕を植えつけることになるからであって、そのあらゆる(世界史的)前例は、不必要な多くの権力簒奪を繰り返す種をまくものであることを示している。



 もし、ある国が野心や復讐に備えて訓練された軍隊をつねに維持しておれば、その軍事行動の範囲にある限り、最も平和的な国家もこれに対応した準備をせざるを得ない。」



 (
出典:A.ハミルトン/J.ジェイ/J.マディソン『ザ・フェデラリスト』、福村出版、199200頁、&‘The Federalist Papers, HamiltonMadisonJay、(  )内私の補足、〔  〕は邦訳版訳者の補足。)


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