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保守主義の哲学シリーズⅡ-12‐‐「米国保守主義の父」アレクサンダー・ハミルトンの哲学と米国憲法


「米国保守主義の父」アレクサンダー・ハミルトンの哲学と米国憲法(其の12)

 

 ここで、話をハミルトンの国防論に戻す。

 上記に述べたとおり、ハミルトンは、“戦争の放棄”政策を「政策上の奇妙かつ愚か」なものと断じている。

 日本国民が“戦争の放棄”政策と聞けば、すぐに「憲法第九条」が頭に浮かぶはずである。

 ところで、この憲法第九条について西部 邁 氏は鋭い視線で解釈をし、その重大なる欠陥を指摘されているので紹介する。

 次に紹介する記述は、西部 邁 編/新しい歴史教科書をつくる会国民の道徳』(産経新聞社、平成12)から、一部抜粋し、私が内容を捕捉したものである。

 文章中の( )書き部分が、西部氏が言わんとするところを私がかみ砕いて補足説明した部分である。

日本国憲法

 

 第二章 戦争の放棄

 

 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

  2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 西部氏曰く、

 『日本国憲法の第九条で言えば、第一項に書かれている「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文をどう受け止めるかということである。

 これについてすら、日本では、どんな戦争も放棄することだと誤解されてきたが、この「国際紛争を解決する手段としての戦争」というのはいうまでもなく1928年のパリ不戦条約(正式名「戦争抛棄ニ関スル条約(※1))の用語法である。

 そこでは、インターナショナル・ディスピュート(国際紛争)を解決するための手段としての戦争は侵略戦争であり、他方、「自国の安全を守る手段としての戦争」が自衛戦争だというふうに区別されていた。

 最近では、その第九条第一項は(パリ不戦条約の定義での)侵略戦争(=例えば、A国とN国が紛争状態にあって、その解決をN国がA国への戦争《=先制武力攻撃》という手段に訴えるのが、パリ不戦条約の定義でのN国によるA国への侵略戦争となる。)禁止という規定だと解釈されておりそれ自体は、不当な侵略(=紛争状態にあったAN国間におけるN国のA国への侵略《先制武力攻撃》が第三者の国際社会から見ても正当とは言えない場合)が多かった事を考えると、一応は結構なことのようにみえる

 しかし、(侵略の定義を変えて)侵略とは(単に)自分(の側)から武力を発動することだとするならば、その規定(=第九条第一項の規定=パリ不戦条約の定義での侵略戦争の放棄と限定する規定)すら、きれい事にすぎないと見なければならない。(=なぜなら、第九条第一項の規定であるパリ不戦条約の定義から外れる侵略<例えば、紛争状態になかったND国間で、N国が突然D国に武力を発動する《先制武力攻撃する》場合などは、第九条第一項の対象外となってしまうからである。可能な抜け穴になってしまう。)

 つまり、(単に自分の側から武力を発動することだとする定義の)侵略の(場合には、紛争状態になかったN国のD国に対する侵略は憲法第九条第一項の規定では可能となってしまい、その時には)正当性が問われなければならないということである

 (もし、)その正当性(N国のD国に対する侵略=先制攻撃の正当性)について国際世論を説得できるのなら、個別的自衛であれ、集団的自衛であれ、国際警察活動であれ、国家間の秩序を維持したり回復したりするための先制武力攻撃つまり侵略を(N国は)してもよいということになる

 しかし、歴史上の経験からいって、国際秩序を口実にして得手勝手な侵略(=先制武力攻撃)を行ったり、特定国家の個別利益にもとづく侵略に名分を与えるために国際警察活動を利用したりする場合(=侵略《先制武力攻撃》が国際世論の支持を得て巧妙に正当化されてしまう場合)が極めて多い。

 したがって、侵略戦争は禁止するという(第九条第一項の)規定に逆らうのは大変に難しい。(=したがって、憲法第九条第一項の抜け穴をくぐることは大変危険な行為である。)

 「国際警察あるいは集団安全保障としての十分の理由がない限り」侵略《先制武力攻撃》は禁止する、というくらいの警戒が必要なのであろう

 現憲法の第九条が異常なのは、その第二項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という文言にある。

 芦田均修正条項として「前項の目的を達するため」という限定が付されたのだが、そのときの当事者たちの思い込みを別とすると、その文章の意味は真に恐るべきものと言わざるを得ない。

 第一項侵略戦争はしないと決めたのであるから、その第二項の意味は(前項=)侵略戦争をしないという目的のための(=目的を達成するための)戦力不保持と交戦権否認ということになってしまう(=この文章を単純に裏返せば、次のような恐ろしい意味となる。侵略戦争をしないという目的以外の戦力保持と交戦権は認められる。=侵略戦争をする、あるいは自衛戦争をするという目的のための戦力保持と交戦権は認められる。)

 自衛のための戦力も自衛のための交戦もありうるのであるから(=事実、日本国政府は、この第九条第二項の芦田修正条項に基づいて、自衛隊の戦力も自衛のための交戦権も認めているのであるから、認めようと思えば、侵略戦争という目的のための戦力保持と交戦権を認められることになってしまうのである。)、「日本人には、自衛と侵略の区別がつかない」もしくは「日本人は自衛を口実にして侵略をやる」というようにしか解釈できない

 つまり、日本人は阿呆か野蛮かのいずれかである、と言っているのが第九条の第二項だということである

 このように単純な日本語の文章の意味をすら押さえないできたのだから、「平和」という魔語の前で戦後日本人の精神が麻痺したのだとしか思いようがない。

 この限定(芦田修正条項)は逆の形に、つまり「前項の目的に反するような」となるべきである。(=と書かれなくてはならなかった。)

 以上のとおり、西部氏が指摘されるように、憲法第九条は戦争放棄の条文と言われながら、実際の文言は極めて、言語学的に論理矛盾の部分が多い。

 憲法という国家の最高法規の中でも最重要の位置を占めるべき「国防」に関する条文が「政府の解釈」次第で運用が極端にコロコロ変化するようでは、「いざ鎌倉」という時に果たして大丈夫なのであろうか。

 いずれにしても、憲法第九条を含めた憲法改正の時期はとっくに来ていると言わざるを得ないであろう


(※1)戰爭放棄ニ關スル條約

 朕樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ昭和三年八月二十七日巴里ニ於テ帝國全權委員ガ關係各國全權委員ト共ニ署名調印シ且第一條中ノ字句ニ關シ昭和四年六月二十七日附ヲ以テ帝國政府ガ宣言スル所アリタル戰爭放棄ニ關スル條約ヲ右帝國政府ノ宣言ヲ存シテ批准シ茲ニ右帝國政府ノ宣言ト共ニ之ヲ公布セシム

 御名御璽

 昭和四年七月二十五日

 閣總理大臣

 濱 口 雄 幸  外 務 大 臣

 男爵幣原喜重

 條約第一號

  獨逸(=ドイツ)國大統領、亞米利加合衆國大統領、白耳義(=ベルギー)國皇帝陛下、佛蘭西(=フランス)共和國大統領、「グレート、ブリテン」「アイルランド」及「グレート、ブリテン」海外領土皇帝印度皇帝陛下、伊太利國皇帝陛下、日本國皇帝陛下、波蘭(=ポーランド)共和國大統領、「チェッコスロヴァキア」共和國大統領ハ

 人類ノ祉ヲ進スベキ其ノ嚴肅ナル責務ヲ深ク感銘シ

 其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ關係ヲ永久ナラシメンガ爲國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ率直ニ抛棄スベキ時機ノ到來セルコトヲ確信シ

 其ノ相互關係ニ於ケル一切ノ變更ハ平和的手段ニ依リテノミ之ヲ求ムベク又平和的ニシテ秩序アル手續ノ結果タルベキコト及今後戰爭ニ訴ヘテ國家ノ利ヲ進セントスル署名國ハ本條約ノ供與スル利ヲ拒否セラルベキモノナルコトヲ確信シ

 其ノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ國ガ此ノ人道的努力ニ參加シ且本條約ノ實施後速ニ加入スルコトニ依リテ其ノ人民ヲシテ本條約ノ規定スル恩澤ニ浴セシメ、以テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ノ共同抛棄ニ世界ノ文明國ヲ結合センコトヲ希望シ玆ニ條約ヲ締結スルコトニ決シ之ガ爲左ノ如ク其ノ全權委員ヲ任命セリ

 


ハミルトン保守主義は、一旦ここで終了し、次回からは、エドマンド・バーク保守主義について語る。なお、ハミルトン哲学及び『ザ・フェデラリスト(米国憲法思想)』については、折に触れて解説していく。

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テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

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