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保守主義の哲学シリーズⅢ-7-①‐‐‐「保守主義の父」エドマンド・バーク(その7:第2章⑤-1)


(バーク保守主義:その3-⑤―1

第2章バーク「偏見(=古きものへの尊敬の念)」の哲学

「理性の完成(完全)主義」の否定・「人間の意思(知力)=神託」主義の排撃

 第六節 「神の意志」「神慮」「神の摂理」「神の法」について(その1) 


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 私のブログを読んでくれている皆さん今晩は。そして、ありがとう。

 これから、バーク保守主義(その3-⑤―1~3-⑤―1)の4回に渡り、バーク保守主義の根底にある「神の意志」「神慮」「神の摂理」「神の法」とは何かという問題について日本神話『古事記』の内容を踏まえながら探求したいと思う。

 『古事記』や『日本書紀』と聞いて、「右翼だ!危ない!大東亜共栄圏の根拠になった書物だ!スローガン現人神、八紘一宇・・・」などと大きな勘違いをして、大騒ぎする人間は、ほぼ100%『古事記』や『日本書紀』を読んだことが無いはずである。

 あるいは、読んだことがあっても読解力ゼロで、神話の意味するところが全く理解できなかった人である。

 また、『古事記』や『日本書紀』の「日本神話」を読まずして、祖国日本を語ることなどできない

 ましてや『古事記』や『日本書紀』の「日本神話」を読んで、日本国の神々および我々の祖先に畏怖・畏敬の念を感じないならば、日本国民として恥じるべきである

 さらに、自分が保守主義者を語るならば、日本国の始原/起源を語る『古事記』や『日本書紀』は必ず読まなければならない義務がある。なぜなら、それらを知らずして、「己が何を保守すべきか」など解るわけがないからである

 今回から4回に渡って『古事記』に見る日本の「神々の意志(神慮)」「神々の摂理」をバーク保守主義の観点から眺めながら、簡単に概略説明する。

 古典が読めなくても、古語が解らなくても『古事記』を読んだことがなくても、『古事記』に興味が無かった人でも理解でき、興味が湧くようにかなり工夫したつもりなので、肩の力を抜いて、必ずこの第1回から第四回までは、どうか最後まで全部読んでもらうことを期待する。


 

  バークの保守哲学は、「神の意志」「神慮」「神の摂理」「神の法」“法”(コモン・ロー)」⇒「法の支配」⇒「立憲主義」等の概念が支柱となる。

 そこから、バークの真正の社会契約とは「神の意志(過去・現在・未来のすべての英国民)との契約」とする。

 であるから、国家という文明社会における、バークの「真正の社会契約」では、現在の世代(今生きている)の国民のみに契約変更の権限はなく、社会(=文明国家)を改変する条項が無い逆に社会の改造はしません、社会の保守(修理・修繕・補強・改良)しかしないという契約条項しかない(真正の社会契約 第一条)

 また、国家という文明社会の現世代過去の世代との「世襲(相続)=繋がり」よって存在する両親から生まれ育てられた恩義と文明(過去の世代からの繋がり)の恩恵に対して道徳上の義務を負う(真正の社会契約 第二条)のであって、過去の世代が築いてきた国家という文明社会を勝手に改変・改造・革新したりする「人間の意志」の行使という権利はない

 義務と権利は相克するから、バークの「真正の社会契約」に「人間の意志」が入る隙間はなく、あるのは「人間の義務」のみである。

 つまり要約すれば、現世代に存在する文明社会である国家とは、「神の意志」と「過去の世代」が保守してきた契約の延長上にあり、「神の意志と現世代の間」および、「過去の世代と現世代の間」にはいずれの場合も「契約履行の義務」しかないということである

 それを傲慢にも「現世代の人間の意思」のみによって、神及び過去の世代との契約を一方的に破棄し、文明社会である国家の制度を改革・改造・革新するのは、「文明社会である国家の破壊行為」にすぎない

 特に現代日本人は、「国家の制度を改変(改革)すれば、必ず国家の現状が改善し、自分たちの未来は明るくなる」などという迷信・妄想から急々に目覚めるべきである。

 過去の世界の歴史を振り返れば、そのような国家改善の例は皆無であり、逆に悲惨な「暗黒の新生社会(監獄)」への転落しかない。

 鳩山民主党は、その「暗黒の新生社会(監獄)」への扉つまり、「パンドラの箱」を全開にしようとしている。民主党の本質は非常に危険な極左政党であり、鳩山政権は早期退陣に追い込まねばならない


  ここで、話を戻してバーク哲学の支柱である「神の意志」「神慮」「神の摂理」「神の法」⇒「“法”(コモン・ロー)」⇒「法の支配」⇒「立憲主義」等の概念について考えてみたい。

 現代人は、科学技術の進歩を目の当たりにして当然のごとく生活しているため、数学や物理学や化学などの合理性つまり、「合理主義」でしか物事を思考できない傾向にある。つまり、理性に合ったものしか信じようとしない。

 よって、“”などという概念を持ち出すと、その途端“思考停止”する人間が多い。特に「唯物論」「無神論」のマルクス主義者などはその典型である

 しかし、古代の人間はそうではなかった

 例えばバーク曰く、

 「確かに社会とは一種の契約です。・・・とは言え、国家はもっと別の尊敬を以て眺められるべきものです。というのもそれ(=国家)は、一時の、朽ち去る性質をもった、低次元の動物的生存に役立つだけの物資(=物質の取引)についての組合ではないからです。

 それ(=国家)は、(物質ではない)すべての学問についての組合、すべての技芸についての組合であり、すべての美徳とすべての完全さについての組合なのです。

 そうした組合の目的は多くの世代を重ねてもなお達成不可能な以上、国家は、現に生存している者の間の組合たるに留まらず(=現在、存在している世代の人間同士の契約だけでなく)既に逝った者(=過去の祖先)、はたまた将来、生を享けるべき者(未来の子孫)の間の組合(=過去・現在・未来に繋がる永遠の組合契約)となります

 個別的国家各々の個別的契約は、永遠の社会における大原初契約(=神と、過去・現在・未来すべての人間との間の契約)――物質的自然(=物質)と道徳的自然(=人間)を各々定められた位置に保つ不可侵の宣誓(=神の言葉)が裁可(=裁決し許可)する確定済みの取り決めに則って、低次の自然(=物質的自然=物質)と高次のそれ(=道徳的自然=人間)とを繋ぎ、かつは可視(=物質的な人間世界)と不可視の世界(=神の世界)を結びつける(人間と神との間の)契約――の一条項にすぎません

 この法(=人間と神との間の契約)は、上なる者――無限に上なるもの(=神)――に対する義務のため、自らの意志をその法に服従させなければならない存在(=人間)の意志のごときに従属するものではありません(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房123頁)

 つまりバークは、文明社会と発展していった近代国家の制度も“神”と「古代人」との間で交わされた『大原初契約』の延長上にありその契約はある特定の世代(時代)の「人間の意志」で勝手に変更したり破棄したりできないと言っているのである。

 また、宗教(キリスト教)による「国家聖別」論においても、次のように述べている。

 バーク曰く、

 「先ず最初に我が(=英国の)教会制度についてお話しするのをお許しください。これ(=教会制度)こそは、数ある我が偏見中第一のものであり、しかも理性を欠いた偏見ではなく、内に深遠宏大な叡智を内包している偏見なのです

 ・・・それ(=教会制度)は我々(=英国民)の精神の中では最初にあり、また、最後にも、中程にもあるもの=教会制度はそれが始まって以来、常に英国民の精神の中にあるもの)なのです。

 というのも、自分達が現在所有しているあの宗教体系(=キリスト教)に根拠を求めることによって、我々は、人類が初期に感受して以来何時に変わらず引き継がれてきた感覚に即して行為し続けることになるからです。

 この感覚(=「偏見」)は、賢明な建築家にも似て、国家という壮大な建物を打ち立てましたが、・・・この建物(=国家)があらゆる欺瞞、暴力、不正、専制などの不純さから浄められた聖なる神殿として瀆聖と破壊から守られるよう、国家組織及びその内部で職務を行う人々すべて(=つまり、国家・国王・国民)を荘厳かつ永遠に聖別=国家はキリスト教によって、不純さから浄められた聖なる神殿であり、世俗的な建造物ではないと区別しました」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房117頁)

 ところで、バークは英国人であり、英国教はキリスト教である現在、世界におけるキリスト教の信者数は20億人を超えているという。

 キリスト教の「神」とは、父なる神と子なる神(キリスト)と聖霊なる神の「三位一体」であり、「三位一体」の一神教である。ここで、聖霊とは、目に見えないが神自身と同じ性格をもつ人格的な存在であって、ギリシャ語では、風や息と同じ語で表現される。神と人とを繋ぐとりなし手であって、人間が内面から刷新されることによって「善良な行い」を聖霊のみちびきによって行うことができるようになるという。

 キリスト教の教義は、アダムとイヴの堕罪以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして罪に陥っている存在であるが(原罪または陥罪)、(神にして)人であるイエス・キリストの死はこれを贖い、イエスをキリストと信じるものは罪の赦しを得て永遠の生命に入る、という信仰がキリスト教の根幹をなしている

 なお、キリスト教の正統教義を最も簡潔に述べているものが信条(信経)であり、もっとも重要なものとして、以下のニカイア・コンスタンティノポリス信条381年に成立)がある。

保守主義の父バーク ブログ用 その2_image004.png

 主として、欧州・米国においては、宗派はカトリック・プロテスタント等、数多くあり、教義も相違はあるようだが、古代に誕生したキリスト教の“神”を古代人から引き継ぎ広めることによって、高度に科学技術の進歩した現在でも世界で20億人の信者がキリスト教の“神”を信仰している

 つまり、「不可視で非合理」的な “神”20億人が心の底から信じているのである。 

 なぜだろうか

 翻って、現在の日本国で、“神”や“仏”を信じている国民はどれほどいるのだろうか。 

 そもそも、日本国民でありながら、日本の神々が“いかなる神々”であるのかを知っている人間はどれほどいるのだろうか

 そして、日本の“神々の教え”を知っている日本国民はどれほどいるのであろうか 

 そして、日本の“神々”とキリスト教の“神”は全く異質なもので、共通点は無いのであろうか

 このような疑問を解かずして、英国生まれのバーク保守主義を日本国民に理解してもらうのは若干無理があるだろうと思い立ち、私は、日本国固有の神々を調べるため、『古事記』の神話及び「神社神道」を探究した

 するとその中には、キリスト教に勝るとも劣らない“神々の意志(神慮)”“神々の摂理”が存在するのを発見したので、以下に紹介する。

 “日本の神々”についての私の感想を一言でいえば、『古事記』あるいは『日本書紀』の「神話の世界」を読まずして、あるいは知らずして、「自分は日本国のことを知っている」とか「自分は日本国に住んでいる」とか「自分は真正の日本人である」などとは口が裂けても言えないであろう、ということである 


 最初に、『古事記神代の巻=日本神話』についての外国人研究者の感嘆の声を掲げる。

 ポーランド・ワルシャワ大学名誉教授であるコタンスキ博士曰く、

 「『古事記神代の巻=日本神話』に書かれた大宇宙の真理、これを超えるものは地球上にまだ現れていない」

 英国の歴史家A・J・トインビーは、昭和41年に伊勢神宮に参詣し、「すべての宗教の根底に横たわる統一を確認した」と記帳している。

 また、トインビー曰く、

 十二、三歳頃までに自分たちの神話を教えられていない民族は例外なしに滅んでいる

 『社会契約論』を著作したルソーが死去した後の世のユダヤ人のモルデカイ・モーゼは、「自分がルソーと同時代に生きていたならば、『ルソーよ、書きかけの「社会契約論」など直ちに破り捨て、東洋の偉大な君主国・日本へ馳せ参ぜよ』と言っただろう」と記している。

 重ねてモーゼは「天皇制はユダヤ思想の理想であった。地球上にユダヤ民族の理想が実現した。一般のヨーロッパ人はこのようなすばらしいものをつくることはできないであろう。われわれユダヤ民族も残念ながら未だつくっていない」(『日本人に謝りたい』、日新報道)とも記している。

 


(バーク保守主義次回その3-⑤-2へ続く)


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テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

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