保守主義の哲学シリーズ(閑話休題2-③)‐‐‐文科省・日教組の学校教育の嘘「フランス革命の真実③」


 (バーク保守主義:閑話休題2)

日本国の学校教育の嘘「フランス革命の真実③」

日本国のみで神聖化される「フランス革命」と「人権宣言」(その③)


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 私は現在、

 ①バーク哲学の最も重要な原理である「世襲の原理」の解説作成および、

 ②マルクス/エンゲルスの『共産党宣言』の虚言・妄説の洗い出しと理論的殲滅(①②は年内公開予定)、

 及び、

 ③ジェンダー・フリー教育の実態と害毒、

 ④「性器・性交教育と売春教育の害毒」、

 ⑤デュルケームの「反道徳教育」、デューイの「個性重視教育の本質は社会主義化教育である」・JSミルの「自己決定論の誤謬」、

 ⑥「人権教育の禍毒」、

 ⑦「平和教育の真の狙い」等の戦後文部省教育の過誤の洗い出しを行っています。(③以降については年明け公開になると思います。)

 のような状況ですので、暇つぶしに興味ある方は、世界中の自由主義国の中で、日本国でのみ神聖化されている「フランス革命の真実」について、中川八洋 筑波大学名誉教授 正統の哲学 異端の思想』(徳間書店、1996年)及び同、『正統の憲法 バークの哲学』(中公叢書、2001年)から部分抜粋し、私が再編成したものを以下に示しますので、時間の余裕のある方は、気軽な読書のつもりで読んでください。

 なお、ここで「フランス革命の真実」を取り上げる理由は、エドマンド・バークは、フランス革命の凶悪な思想的害毒が英国に流入するのを防ぎ、英国の国体(立憲君主制)を守護するために戦った「真正の勇者」であるのに、日本国の教育界においては「フランス革命の思想的害毒」を逆さに転倒して神聖化し、重度の統合失調症(=精神分裂病)であった、ジャン=ジャック・ルソーらの「狂気の啓蒙哲学」ばかりを「正しい」と教育している異常な現状を読者の皆さんにを知ってもらうためである。


 

 ⑤ 盲目の陶酔──フランス革命讃美の研究者

 フランス革命の研究は、良識派と狂信派に二分される。

 狂信派は残虐にして野蛮なだけで自由の後退もしくは自由の圧搾をなしたこの革命をもって「フランス革命は、政治・社会・文化における一切の『近代的なもの』の偉大な源泉である。・・・・革命によって積弊と矛盾が一挙に破砕され、社会の躍進が保障された」と、逆さにする

 このような倒錯的な見解は、二十世紀における社会主義思想マルクス主義の猛威と密接に関連している。

 フランス革命について客観的な歴史学や政治哲学の分析をせず、表面的には学問の形式をとりながら、その実態はフランス革命を「聖化」して、その批判をタブー視化することがフランス革命の研究のほとんどである。

 その理由は、フランス革命が近代社会主義思想を誕生せしめたこととその母体であったからで、社会主義思想とは近代のうんだ擬似宗教のドグマであるとすれば、社会主義教の「信者」にとってフランス革命とその発祥の地パリはそれぞれ“聖なる秘蹟”であり、“聖地”である、からである。

 フランス革命の研究者の多くは、フランス革命に関する「神話」の再生産をなすのを仕事と心得ている。

 日本におけるフランス革命の研究者や論者も同様で、フランス革命を客観的に把握することを拒否するそのこと自体、彼らが「宗教的信仰」に立脚していることを示すものだが、その端的な証拠はフランス革命に批判的な海外の多くの著名な研究書や諸文献を紹介することすら自己検閲し、そのようなものがあたかも存在しないかのように一切無視していることでわかる。

 フランス革命の研究に関する、(マルクス主義的なドグマに基づかない)邦訳された代表的著作を挙げると次のようにあまりにも少ない。

 a)エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(1790年)

 b)トックヴィルの『旧体制とフランス革命』(1856年)

 c)イポリット・テーヌの『近代フランスの起源』(1885年)

 d)D・モルネの『フランス革命の知的起源』(1933年)

 e)J・タルモンの『フランス革命と全体主義デモクラシー』(1951年)

 などである。

 しかも、我が国の大学教育においてこれらすら紹介されることは皆無に等しい。また、その翻訳は大手出版社により排除されていて、とりわけバークとモルネを除く三人のそれについては、部数もほとんどなく一般に手にすることは困難な状況にある。

 ちなみに、狂信派の推奨するフランス革命の専門書は、

 イ)狂信的で過激な「ルソー教徒」であるジュール・ミシュレの『フランス革命史』(184753年)

 ロ)著者自身が革命煽動家のシェイエスになりきって、マルクス史観で書かれた、アルベール・ソブールの『フランス革命─178999』(1948年)

 ハ)アルベール・マチエの『フランス大革命』(192227年)

 である。

 ミシュレは「聖なる革命よ、あなたはどうしてそんなにくるのが遅かったか!・・・・」と革命を「聖化」し、ルソーを「神格化」し、人民を「絶対神」にすらなぞらえる。一言で言って尋常ではない。

 ミシュレは言う、

 「ルソーは、・・・・言った。・・・・一般意志、これこそ権利であり、理性である。・・・・それは、あなたたち(=人民)が神なのだ、というに等しい。・・・・神となろう!不可能は可能となり、容易となる。世界を転覆することは、些細なことである。一つの世界を創出するのだ」

 パリ大学のフランス革命史講座の教授であったソブールもまた、狂信的な「ルソー教徒」であり、同時にマルクス主義者(フランス共産党員)であって、しかも、「革命は労働の自由を宣言し、一切の個人的イニシアチブを自由に発揮させ、・・・・」とか「(フランス革命の)原理は単に政治的開放だけではなく、人間解放の実現を目指したものだった」などとマルクスの階級闘争の公式ドグマに従った革命讃美以外の視点はまったく皆無であり、冷静な学問(歴史学)とは無縁であった。

 ソブールは言う、

 「サン=キュロット(=フランス革命の都市民衆)の心理状態は、(このフランス革命時の)農民が資本主義的農業と農業個人主義の進展に直面して、生存を保障する農村共同体と共同体的諸権利を懸命に防衛していた心理状態と基本的にしばしば同じであった。・・・・歴史発展は・・・・弁証法的運動である」

 ソブールは、フランス革命は、計画経済(経済統制)と共同体(コミューン)を志向する民衆が、マルクス主義のあの「プロレタリアート」として成長し実権を把握することなく、さまざまな要因で弱体化した結果、一歩手前で共産(プロレタリアート)革命にならず、「ブルジョア革命」で終わったとみなし、このことを嘆いているだけなのである。

 同じくパリ大学のフランス革命史講座担当の教授であったマチエも同様で、その主著『フランス大革命』で「ヴァントーズの法律によって建設しようと夢見た金持ちも貧乏人もない平等主義の共和国は、彼ら(ロベスピエールとその一派)と共に死刑に処された」とか「(テルミドール反動は)ロベスピエールを殺したために、今後百年間にわたって民主共和国を殺したのである」と嘆くほどに、残忍な「殺人鬼」にすぎない狂人ロベスピエールを逆に「神」と礼讃する、いわば「ロベスピエール教」の狂った「信徒」の一人であった。

 マチエは1908年に「ロベスピエール研究協会」という名の学会まで創設した。

 その機関誌が『フランス革命史年報』であるマチエは(ソ連批判もしたが)マルクス主義の公式から一歩も離脱することはなかった。

 恐怖政治のギロチン(大量殺戮)を「必然」と正当化するマチエの学問は、人間性の全否定をなす狂気の宗教を狂信するものでしかなく、学問ではなかった。

 ミシュレはむろん、マチエにしてもソブールにしても、革命そのものが、流血そのものが、そして何よりも、その暴発のエネルギーが「啓蒙哲学」の崇拝であったそのことが、はたまた「民衆」が参加したことが、感激なのである。

 これがフランス革命の神話に陶酔する「信徒」たちの内面であって、ドグマへの狂気それ以外の何物でもない。彼らは、政治とは結果において評価すべきもの、という基本すらわきまえることもない。一片の冷静さにも欠如する。学者という立場のその実、布教宣伝活動に精を出す煽動家にすぎなかった。

 最後に、日本では一切無視されている、ブルクハルトオルテガあるいはアクトン卿など“世界的な哲学者”のフランス革命批判について、紹介しておく。

 ルソーやヴォルテールらを「デマゴーグ」とするオルテガの彼らに対する痛罵は辛辣である。

 オルテガ曰く、

 「デマゴーグのデマゴギーの本質は彼の精神のなかにある。つまり自分が操る思想に対するその無責任な態度にある・・・・、その思想とて彼自身の創造になるものでなく、真の創造者からの受け売りなのである。デマゴギーは知的退廃の一つの型」

 ブルクハルト曰く、

 「(ルソーのように)国家の建設に対して契約説を説くことは荒唐無稽である」

 「国家は(ルソーやヴォルテールのような)人々によって事実上暗くされた」@ とフランス革命とそれを導いた啓蒙学者の非を断じることをためらわない。

 そして、

 「(フランス革命)は専制主義を(相続し、かつ)実行したのであって、それは永劫にわたってあらゆる専制主義の手本となるだろう」と

 と、現代の言葉で言えば、全体主義の原型であるとみなしていた。

 ブルクハルトは、フランス革命をもって人類の不幸の開始と嘆息しつつ、断罪し続けた哲学者であった。

 同様に、アクトン卿曰く、

 「フランス革命を自由にとってかくも災害たらしめた最も深い原因はその平等論であった」

 と、「平等」のドグマが自由ゼロの隷従の社会をつくることを何度も明晰に指摘した。

 バークを筆頭とするこれらの真正保守主義者らは、自由を価値とし自由の源泉である社会秩序を自生的な歴史的産物と見るのに対して、

 ルソーを筆頭とする社会主義者らは社会秩序を人為的かつ強制的に理性でつくり自由ゼロの(貧困の)完全平等の体現こそ人間社会の絶対的理想だと考える。両者は天と地のごとく一切の共通項をもたない対極的なものである。


 

 保守主義の哲学シリーズ‐‐‐次回は、

 バーク哲学の神髄「世襲の原理」の解説

 または、

 マルクス/エンゲルス『共産党宣言』の虚言・妄言の洗い出しと「共産(マルクス)主義」理論の殲滅的論考

 のいずれかを紹介する予定である。


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