保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その1)


エドマンド・バーク保守主義VSマルクス/エンゲルス共産党宣言・共産主義の諸原理

 正統の哲学・『エドマンド・バーク保守主義』による、

 虚偽・妄説の『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理論的破壊宣言(PartⅠ)banner_22.gif←できればクリックお願いします。


読者の皆さん、新年明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします

 今回のブログ内容は、極めて重厚で、非常に内容豊富です。バーク保守主義理論であの『共産党宣言』完膚なきまで破壊したつもりです。

 このブログは、共産主義(社会主義)の本質とその虚構・妄想を暴き、「共産主義(社会主義)理論の論駁バイブル」として作成したつもりです。

 ぜひ、一読願いたい。ただ、かなりの長文なので、暇な時間を利用してゆっくりと読んで頂きたい。

 さて、有名な文句、「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、11頁)に始まり、「プロレタリアは、かれらの鎖のほかに、この革命において失うべきものを、なにももたない。かれらは、ひとつの世界を獲得するのだ。すべての国のプロレタリアよ、団結せよ!」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、6768頁)で締め括る、カール・マルクス/フリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』は、共産主義者の「バイブル」であろう。

 しかし、私が熟読した限りでは、このような著作は、「高校一年生レベルの歴史知識があれば書ける虚言・虚妄の作文」なみの陳腐な「革命煽動書」にしか読めない。すくなくとも、「理論」とは到底言い難い。

 もし、ソ連が崩壊した現在でも、この書を共産革命の、そしてそれによって到来する共産社会の「バイブル」として、しっかりと片時なく握りしめて「座右の書」にしている日本国民が仮にもいるとすれば、彼はすでに日本国民ではないし、彼の、智恵と智力は同書と同レベルの高校一年生レベル以下でストップしているのであろう。

 このような虚言・妄想の書が、ロシア革命を煽動し、レーニンにソ連を樹立させ、レーニンやスターリンらは自国民を総計6,600万人殺戮したのであるから、この『共産党宣言』が、少なくとも我が日本国において、未来永劫、実戦されぬようにバーク保守主義理論で「完全封印」し、「死滅」させなければならない。エンゲルスの『共産主義の諸原理』についても全く同様である。


さて、最初に確認せねばならない事実は、この『共産党宣言』が冒頭から「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」などという明白な「虚偽」で始まっていることである。

 なぜなら、

 第一に「すべての社会の歴史は・・・」の「すべての社会の」とは、いったいどこのことを言っているのか、全く意味不明である。

 この『共産党宣言・共産主義の諸原理』で定義されている『プロレタリアートがブルジョワジーの支配する現存の社会状況を打倒し、生産諸力を共同化(国有化)し、私的所有の禁止された階級のない社会を目指すことを意味する「階級闘争」(以下、「階級闘争」とはこの意味で用いる。)』なるものが歴史事実として挙げられているのは、フランスなど、欧州の僅か数カ国であるこれをもって「すべての社会」と言うのは全くの虚偽である小学生でも首をかしげる、根拠薄弱な虚構である

 逆に、この冒頭文に反する国家の歴史事実を挙げれば、いくらでもある

 英国では少なくとも、1689223日の『権利の章典』、正式名称『臣民の権利及び自由を宣言し、王位継承を定める法律』以降、今日に至るまで、立憲君主制・議会における貴族院/庶民院の二院制・世襲の貴族階級が存続しているという厳然たる歴史事実は存在するが、「階級闘争」の歴史など存在しない

 また、米国について言えば、1775年~1781年の独立戦争は、北米の英国植民地の「英国人」が英国本土の「英国人」に対して対等な権利を求めて独立しようとした戦争であり、「階級闘争」には当たらない1789年の建国以来の米国は、立憲主義が確立しており「階級闘争」が入る隙間など僅かもない。女性への参政権附与運動や黒人の公民権運動などの歴史はあるが、これらはいずれも“法の下の平等”を要求する運動であって「階級闘争」ではない

 振り返って我が国の歴史を見ると、日本国の歴史においては、7世紀には聖徳太子が603年に『冠位十二階』(=徳・仁・礼・信・義・智の六つの徳に紫・青・赤・黄・白・黒の色を当てはめ各色の濃淡で6×2=12の朝廷での地位を定めたもの)を制定し、604年に『十七条憲法』を制定し、12世紀までは公家政治が続いた。この間約600年間「階級闘争」など皆無である。

 なお聖徳太子の『十七条憲法』については私のブログ「米国保守主義の父」アレクサンダー・ハミルトンの哲学と米国憲法(其の10)で詳述しているので参照願いたい。

 11世紀頃から武士勢力(敢えて言えば「武士階級」であるが、本来、日本の歴史に「階級」という言葉が適切であるとは思えないが、以下「階級」という言葉を敢えて使う)が成長し、皇族/貴族(=公家)の血筋を引く者を棟梁に担ぎ、大きな勢力を築くようになった。

 その中でも目立ったのが「源」「平」姓の棟梁が率いる「源氏(=清和天皇を祖とする)」と「平家(=桓武天皇を祖とする)」であった。

 12世紀に平安時代の摂関政治(公家政治)から武家政治へ移行したが、武士階級が公家階級を打倒して武家政治に移行したのではないし、武家政治に移行しても武家の棟梁は「天皇」の子孫であり、以後、武家政治は、「天皇」から「征夷大将軍や関白太政大臣の位」を授与されて「武家に統治を委任される形式」をとったのである。故に、全く「階級闘争」などではない

 15世紀に入ると、土一揆、山城国一揆、徳政一揆、一向一揆などの「一揆」が頻発するが、これらは武士(公家)階級による厳しい年貢の取り立てへの農民階級の「抗議の行動」であり、「階級闘争」ではない

 つまり、農民階級である百姓たちが武士階級や公家階級を打倒して農民階級の支配する世界を築こうとしたのではない。また、このような「一揆」の発生について、当時の興福寺の僧であった尋尊は「天下の土民が公権力に反抗するのは日本始まって以来である」と嘆いたそうである。

 16世紀の戦国時代も同様で、戦国大名同士の戦いはあくまで「武士階級内での領地争奪と天下平定のための戦い」であり、「階級闘争」ではない。「下克上」も武士階級内での争いであり「階級闘争」ではない

 17世紀の江戸時代は、飢饉時などの厳しい年貢の取り立てに抗議する「農民一揆」は散発した

 しかし1603年~1867年までの江戸時代約260年間は「士農工商」の「身分階級」が制定されたが、階級全体としては極めて繁栄した稀有の時代であり、階級闘争の「か」の字も見当たらない。つまり、例えば「士農工商」が「商工農士」に入れ替わった事例など皆無である。

 逆に、「身分階級を厳格に制定したにもかかわらず階級融和の時代であった」といっても差し障りないくらいである。それは江戸時代全体を通しての「文化の繁栄」をみれば一目瞭然である。階級闘争が常習化する社会には、万が一にも華やかな文化の繁栄はない

 さらに、明治維新をもって「革命」と見る学者も多いが、その本質は「王制復古」であり、起源は江戸末期の「尊王攘夷運動」にある

 つまり、平安時代まで日本国の統治者あった、万世一系の「天皇」に「統治権(1889年の明治憲法制定以降は立憲君主としての統治権)」を返還(=大政奉還)しただけのことであり、「革命」でも「階級闘争」でも何でもない

 しかも、明治維新の担い手は、当時の日本国の総人口の「約6%にすぎない武士階級」の中の「下級武士」であり、戊辰戦争も武士階級内の戦いであって「階級闘争」ではない

 そして明治以降も、「殖産興業」、「富国強兵」を目標に産業が近代化されたが、「文明開化」と呼ばれるほどの繁栄を遂げたのであり、「階級闘争」を唱え、運動した者もいたが、実現には至らなかった

 また、公家華族・大名華族の「華族制度」を定め華族階級と平民階級に分離したが、大東亜戦争終戦まで「華族制度」は維持されていた。「華族制度」は1946年の日本国憲法の公布により正式に廃止されたが、それ以後、今日まで自由主義経済国である日本国で「階級闘争」が実現したであろうか答えは「No」である

 つまり、結論的には、文明国家としての日本国の全歴史を通じて現在まで、『共産党宣言・共産主義の諸原理』で定義される「階級闘争」の歴史など皆無であったと言える。つまり、「階級闘争」による「現状社会の転覆の成功の歴史」など一度も起こっていない

 「成功」しない「階級闘争」など「歴史」とは言わないそれは、「歴史」の中の微弱な「運動」にすぎず「歴史」を代表する事象ではい

 ただし、唯一日本国の歴史の中で共産革命を起こそうと企てた「歴史」がある。それこそが、1937年7月7日~1945815日までの「大東亜戦争」そのものである

 この大東亜戦争(特に1941128日からの対英米戦争突入)とは、近衛文麿という純度100%の共産主義者(=大東亜戦争中三期にわたり総理大臣に就任)とその周辺が主導した「コミンテルン32年テーゼ(=マルクス・レーニン主義)」の革命的祖国敗北主義(※1)に基づく日本国(あわよくばアジア)の共産化のための戦争であった

 しかし、この日本史上最悪の国賊的行為は、250万人以上の日本国民の尊い命の犠牲を生んだ上、失敗に終わった。それは、原子爆弾を開発した自由主義国の米国が、共産主義国のソ連よりも先に日本国を占領したことによる

 慌てたソ連のスターリンは終戦直前の194588日に「日ソ中立条約」を一方的に破棄して日本に宣戦布告して満州・朝鮮・樺太を占領し、1945816日には米国のトルーマン大統領ソ連軍の北海道占領を要求した1945818日にトルーマンが拒否したため断念し(=恐らくスターリンは米国の原子爆弾に恐怖したのであろう)、194593日に北方領土を占領したのである。これが「大東亜戦争の真実」である。

 以上の英国・米国・日本国の歴史を観察するだけでも、「すべての社会の歴史は」というのは全くの虚偽・捏造である

 第二に、すべての社会の歴史は「階級闘争の歴史である」と言い切るならば、「階級闘争」による「支配階級と被支配階級の交替(=革命の成功)の繰り返しとそれに伴う、社会形態の変革の成功の繰り返しという歴史事実」が、古代から現在まで時系列的に継続していなければならない。そうでなければ「階級闘争の歴史である」とは決して言えないこのような歴史は、1789年のフランス革命から1875年の第三共和国憲法制定までの約90年間のフランスにおいて「制限君主制」→「共和制」→「独裁者制」というサイクルを二度も繰り返した歴史に見られる程度である。

 つまり「階級闘争の歴史である」というデマゴギーでマルクス/エンゲルスが企図しているのは、「プロレタリアートは共産革命を成し遂げるまで、この『共産党宣言』発表以降、全未来の歴史を通じて階級闘争を続けなければならない」という、過去の歴史捏造による煽動かつ命令にすぎない

 しかし、このようなデマゴギーを全く理解できずに、日本国の歴史を次のようなタイトル(=目次)で記述している中学校の歴史教科書がある。


次の部分は、八木秀次 高崎経済大学助教授 著(編/新しい歴史教科書をつくる会)『国民の思想』(産経新聞社、平成17年、90頁)からの抜粋である。

 「例えば、ある歴史教科書のタイトルは次の通りだ。

 『国司をうったえる人々――貴族の政治』(平安時代)

 『地頭をうったえる農民』(鎌倉時代)

 『新政府をうったえる』(室町時代)

 『立ち上がる農民――戦国の世』(戦国時代)

 『たたかう一向一揆――信長・秀吉の天下統一』(安土桃山時代)

 『百姓一揆の高まり――生活を切り開く民衆の抵抗』(江戸時代)

 『農民や士族の抵抗――高まる政府への不満』(明治時代)

 『高まる民衆運動――民衆と政党政治』(大正時代)

  括弧内は私が補ったものであるが、階級闘争史観で記述されている。戦国時代は、戦国大名の群雄割拠が話題の中心になるのかと思えば、そうではない。農民が立ち上がることがメインになっている。信長・秀吉の時代は一向一揆がメインである。いずれにせよ、どの時代も農民、百姓、民衆が権力に対して『うったえる』、『立ち上がる』、『たたかう』、『抵抗する』というストーリーになっている。・・・日本の歴史を『階級闘争の歴史』であるとしたのが、前記の記述なのである」(以上抜粋部


確かに、これらのタイトルは、明らかに歴史曲解の悪質な記述であり修正させる必要がある。しかし、このタイトルでさえ、上述した『共産党宣言・共産主義の諸原理』で定義されている『プロレタリアートがブルジョワジーの支配する現存の社会状況を打倒し、生産諸力を共同化(国有化)し、私的所有の禁止された階級のない社会を目指すことを意味する「階級闘争」』なるものではない。

 敢えて言うならば、これらのタイトルは「階級闘争」史観ではなく、単なる農民、士族、民衆等の「抵抗運動」史観にすぎない。

 この歴史教科書の執筆者も八木秀次 高崎経済大学助教授も『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理解不足ではないか。

 前述のとおり、日本国の歴史において、共産主義者の企図する「階級闘争」の下地を作り、実践しようとしたのは「コミンテルン32年テーゼに基づいて行われた、大東亜戦争の8年間」においてのみである

 であるから、この大東亜戦争を正当化してしまうと、その保守主義者は論理が自家撞着してしまい、共産主義擁護者となる

 エドマンド・バーク保守主義とは、真正保守主義=真正自由主義=伝統主義であるから、ドイツ・ナチズムイタリア・ファシズムソ連共産主義と同盟を結び、国家総動員法大政翼賛会によって日本国が全体主義国家の仲間入りをして自由主義国家の英国/米国等と戦ったという現実において、「大東亜戦争は、それが侵略戦争と定義されるか自存自衛戦争と定義されるかに関わらず、決して正当化されるものではない」という立場をとる


(※1)コミンテルン32年テーゼとマルクス・レーニン主義の概説

「コミンテルン」とは、ソ連共産党国際部(=革命輸出部)のことを意味し、日本共産党の正式名称は「コミンテルン日本支部」である。

虚妄の共産党宣言_image001.png

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  次回、保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その2)へつづく。


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