保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その2)


エドマンド・バーク保守主義VSマルクス/エンゲルス共産党宣言・共産主義の諸原理

 正統の哲学・『エドマンド・バーク保守主義』による、

 虚偽・妄説の『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理論的破壊宣言(PartⅡ)banner_22.gif←できればクリックお願いします。


読者の皆さん、新年明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします

 さて、『共産党宣言』の冒頭の一行の虚構にこれ以上こだわっていても仕方がないので、無視して次へ進む

 ここで、『共産主義の諸原理』(=質疑応答形式となっている)から、諸原理のいくつかを抜粋する。

 「第一問 共産主義とはなにか?

   共産主義とは、プロレタリアートの解放の、諸条件にかんする学説である。

  第二問 プロレタリアートとは何か?

   プロレタリアートとは、ただかれらの労働の販売だけから、そしてどんな資本の利潤からでもなく、かれらの生計を引き出している、社会の階級であるその幸不幸、その生死、その全存在は、労働に対する需要に、したがって好況不況の交替、制御できない競争の変動に、依存する。プロレタリアート、あるいはプロレタリアの階級は、一言でいえば、十九世紀の労働する階級である。

  第三問 では、プロレタリアートは、いつもいたのではないか。

  答 そうだ。貧乏な、労働する階級は、いつもいた。・・・しかし、いまいったような状態でくらしていた、そういう貧乏人、そういう労働者(=労働の販売だけから、かれらの生計を引き出し、その幸不幸、その生死、その全存在が、労働に対する需要に、したがって好況不況の交替、制御できない競争の変動に、依存する労働者)は、すなわちプロレタリアートは、いつもいたのではない。競争がいつも自由で制御できないものであったのではないのと、まさに同じである(プロレタリアートは十九世紀の資本主義社会における大工業の発展とその自由競争によって発生したのである

  第四問 どのようにしてプロレタリアートは成立したか

  答 プロレタリアートは、産業革命によって成立した。・・・この産業革命は、蒸気機関、さまざまな紡績機、力織機、その他一連の機械装置全体の発明によって、引き起こされた。・・・こうしてこれらの機械は、工業を全部、大資本家の手に引きわたし、労働者のわずかな財産(道具、織機等々)を全く無価値にした。それで、資本家はまもなく、すべてを手中におさめ、労働者にはなにものこらなかった。・・・こうしていまやわれわれは、文明諸国では、・・・ほとんどすべての労働部門で手工業と工場制手工業が大工業に駆逐されてしまっている、というところに到達した。・・・そのために、・・・以前の労働者の状態はまったく変化し、しだいに他のすべてをのみこむ、ふたつのあたらしい階級が、つくりだされた。

 Ⅰ大資本家の階級、・・・必要な原料と手段(機械、工場)を、ほとんど排他的に所有している。これがブルジョワ階級すなわちブルジョワジーである

 Ⅱまったくの無所有者の階級、これは、自分たちの生計維持に必要な生活資料(=生活物資)をえるためには、自分たちの労働をブルジョワジーに売ることに頼っているこの階級をプロレタリア階級すなわちプロレタリアートと呼ぶ。」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、136139頁)


まず、ここまで(第一問~第四問まで)の質疑応答を読んで、読者の皆さんは「歴史の事実の記述」と見るだろうか。

 少なくとも私は、「歴史フィクションの羅列」であり「事実隠蔽文書」としか見ない。以下にそれを説明する。

 () まず、『共産党宣言・共産主義の諸原理』を通読して感じるのは、その文体の異様さである。それは、ほとんどの文章の主語が「物質や人間の階級やその他の抽象的概念」であるということである。例えば、「これまでのすべての社会の歴史は・・・」、「「プロレタリアート(=労働者階級・無所有者の階級)は・・・」、「競争が・・・」、「この産業革命は・・・引き起こされた」、「こうしてこれらの機械は・・・無価値にした」等々である。共産主義は、ヘーゲルの「弁証法」やフォイエルバッハの「唯物論」を吸収しているので、このような文体になるのであるが、読者の皆さんは、ここに共産主義者が人間を騙し欺く「トリック」を多々隠していることを知らねばならない。

 ()  第二問プロレタリアートとは、ただかれらの労働の販売だけから、そしてどんな資本の利潤からでもなく、かれらの生計を引き出している、社会の階級であるその幸不幸、その生死、その全存在は、労働に対する需要に、したがって好況不況の交替、制御できない競争の変動に、依存する。プロレタリアート、あるいはプロレタリアの階級は、一言でいえば、十九世紀の労働する階級である。」について。

 これを換言すれば、「十九世紀の労働者階級に属する労働者たちは、工場で雇用されて労働することによってのみ生計を立てており、そして彼らの所持する資本(=事業のもとでとなるお金)から利潤を得ることもない。労働者の幸不幸、生死、つまり生存・生活のすべては、工場の労働者の需要のみに依存している」となる。

 要するに「十九世紀の文明国の工業は、すべて大資本家に支配されて工場制度化し、大資本家以外の人間の労働形態は工場で雇われ労働する選択肢しかない」と人間を洗脳しているのである。これは、マルクス/エンゲルスら「共産主義者」らしい詐欺的暴論である

 なぜなら、その論理には、自由主義(資本主義)の文明社会においてのみ許容される、個々の人間が切磋琢磨することにより起業・開業等を成し遂げ、私有財産を増加させたり、社会的地位を向上させたりできるという「自由主義社会の根本価値・原理である“自由”」を恣意的かつ詐欺的に欠落させているからである。

 つまり、もっと極端に言えば、プロレタリアートとは「十九世紀の自由主義の文明社会に生まれた人間は、どんなに自由に努力・切磋琢磨しても一生、ブルジョワに生まれた人間はブルジョワであり、プロレタリアに生まれた人はプロレタリアであり、その身分階級は「階級闘争」による社会革命でしか成し遂げられない」と煽動するための“自由抹殺”の洗脳用語である。十九世紀の自由主義国である米国を見れば、この虚構は、目瞭然である

 ブルジョワ・ブルジョワジー、プロレタリア、プロレタリアートなるマルクス/エンゲルスの用語定義自体が全くのフィクションであり、彼らこそ、この悪辣な洗脳文書において、労働者から“職業選択の自由権”を「搾取」しているのである

 本来なら、この時点でブルジョアジーおよびプロレタリアートの虚構により、共産主義理論は、すでに論理破綻したから、これ以上『共産党宣言・共産主義の諸原理』を論駁する理由もないのだが、この悪辣な思想がマルクス・レーニン主義となり、レーニン/スターリンのソ連、ソ連支配下の東欧、毛沢東の中国共産党、ポル・ポトのカンボジア、金日成/正日等に引き継がれ、世界で総計約2億人の人間が殺戮される惨劇となった

 また、日本国史上最悪の共産主義者である近衛文麿内閣の主導による対英米戦争によって、日本国民250万人以上の生命が戦火に散ったのであるから、ここで論駁を止めるわけにはいかない

 これまで、共産主義者の直接・間接の関与によって悲惨な犠牲となった人間たちの魂を追悼するために、エドマンド・バーク保守主義者の剣によってマルクス/エンゲルス/レーニン/スターリンと共に『共産党宣言・共産主義の諸原理』を斬殺し、永遠に光を浴びることのない暗黒のブラックホールへ「放擲・下放」することを宣言する

 ()  第三問すなわちプロレタリアートは、いつもいたのではない。競争がいつも自由で制御できないものであったのではないのと、まさに同じである(プロレタリアートは十九世紀の資本主義社会における大工業の発展とその自由競争によって発生したのである)」について。

 これも()と同じで、自由主義(資本主義)の文明社会においてのみ許容される「自由主義社会の根本価値・原理である“自由”」によって、個々の人間はブルジョワだけでなくプロレタリアでも“法の下の平等”において、努力、切磋琢磨することにより起業・開業等を成し遂げ、私有財産を増加させたり、社会的地位を向上させたりできる事実恣意的に消し去っている

 なぜなら、大工業の資本家はもともと大資本家ではなかったことをマルクス/エンゲルスは『共産党宣言』の本文の中で明言しているからである。

 「封建社会の没落からうまれた近代市民社会(=資本主義社会・ブルジョワ社会)は、階級対立を廃棄しなかった。それは、あたらしい諸階級、抑圧のあたらしい諸条件、闘争のあたらしい諸形態をもって、ふるいそれらにおきかえたにすぎない。

 とはいえ、われわれの時代、ブルジョワジーの時代は、階級対立を単純化することによって、自己を特徴づけた。社会全体は、敵対する二大陣営に、相互に直接に対立する二大階級に、――ブルジョワジーとプロレタリアートに、ますます分裂していく

 中世の農奴のなかから、最初の諸都市の城外市民(=都市周辺に集まって手工業を営む準市民。市民より教養も身分も低いとされた)がでてきた。この城外市民層から、ブルジョワジーの最初の諸要素が発展した

 アメリカの発見、アフリカの周航は興隆するブルジョワジーにあたらしい領域をつくりだした。東インドと中国の市場、アメリカの植民地化、諸植民地との貿易、交換手段および商品一般の増大は、商業、開運、工業に、これまでしられなかった飛躍をあたえ、それによって、崩壊する封建社会の中の革命的要素=城外市民層=ブルジョワジー)に、急激な発展をあたえた。」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、1112頁)

 つまり、マルクス/エンゲルスは何とも素直に「中世の農奴のなかから、最初の諸都市の城外市民(=都市周辺に集まって手工業を営む準市民。市民より教養も身分も低いとされた)がでてきた。この城外市民層から、ブルジョワジーの最初の諸要素が発展した」認めているのである。

 つまり、自由主義(資本主義)社会では、“法の下の自由”が確立されている限り、自由に学問・勤労に努力・切磋琢磨できるため、「城外市民層」が「階級闘争」などに頼らずに「自己努力」で「ブルジョワジー」へと階級上昇したのである。

 この「自由主義の原理」を認めるのであれば、自由主義(資本主義)社会の国民は、個人の才能と努力の程度の差に応じて、必然的に「多階層型の階級層」が形成されるのであって、「われわれの時代、ブルジョワジーの時代は、階級対立を単純化することによって、自己を特徴づけた。社会全体は、敵対する二大陣営に、相互に直接に対立する二大階級に、――ブルジョワジーとプロレタリアートに、ますます分裂していく」などというのは全くの虚偽である。

 これが虚偽であるのは、十八世紀半ばに起こった産業革命後の英国の社会状況を見れば明白である。

 マルクス/エンゲルスの『共産党宣言・共産主義の諸原理』が出版された十九世紀半ば英国は“立憲君主制”であり、国王貴族階級庶民階級があり、庶民階級富裕層中間層貧困層最貧困層等に分れるとともに、農民層商人層職人層工場労働者層等に細かく分かれていたのであって、「エドマンド・バーク保守主義の唱える文明社会の“自然成長/自然発展”の経過をたどれば、英国社会が十九世紀半ば以降もブルジョワジーとプロレタリアートの二大階級のみに分裂したりすることは決してない

 また、「共産主義」が「進歩主義的な社会学」によって社会(国家)をモデル化して生み出されたイデオロギーであるとすれば、その進歩的社会学の「理論モデル」は、「現実社会の実態」と「理論モデル」の相関性が極めて低い欠陥モデル/虚構モデル」であり、故に、そこから生じた「共産主義イデオロギー」は必然的に「欠陥/虚構イデオロギー」と言わざるを得ない

 では、二十一世紀現在の英国はどうか。英国は、今日でも変わらず立憲君主制であり、貴族階級や貴族院などの封建遺制の薫りが残しながらも、国民は“自由”を謳歌する真正の自由主義社会(国家)である現代の日本国が手本とすべき国家の一つであろう

 なお、当然のことであるが、英国の庶民院(下院)が保守党と労働党の二大政党制である現実と英国社会がブルジョワジーとプロレタリアートの二大階級に分離しているという虚構とは異次元の話である。

 自由主義社会Cの階級(階層)が多数の階級(階層)、イメージしやすい例で言えば、ピラミッド型の階級(階層)になっていたとしても、下院が二大政党(A政党B政党)制をとることは何ら矛盾することではない

 二大政党のうちA政党比較的裕福層の利益を代表する政党であり、B政党比較的貧困層の利益を代表する政党であるかの違いだけのことである。

 しかし、A政党B政党とも自由主義社会C国の政党であるから、いずれも“自由(=当然、私的所有も自由)を根本原理とした政党となる傾向が強いのは当然であろう。

 ここに共産主義政党Dを割り込ませようとしても不可能である。

 C国の国民は“自由(=当然、私的所有も自由)”を前提とした社会で生活している(してきた)のであるから、デモクラシーに基づく普通選挙を行えば、「私的所有を禁止」する共産主義政党Dは確実に排除される。

 これは、十九世紀半ばの英国社会や他の欧州社会の自由主義国家おいても全く同様である

 だから、マルクス/エンゲルスは暴力革命による社会転覆の煽動書として『共産党宣言・共産主義の諸原理』を出版したのである。

 上記の単純化したC国の政治の原理から考えると、『共産党宣言・共産主義の諸原理』が国民を革命に煽動するためには、「虚偽・虚構の書」とならざるを得ないのは当然の帰結であることがわかるであろう。

 だから、マルクス/エンゲルスの『共産党宣言・共産主義の諸原理』は、「精神的に正常な人間が読めば読むほどに虚偽だらけ、論理矛盾だらけの内容しか見えないのである。

 ()  第四問プロレタリアートは、産業革命によって成立した。・・・この産業革命は、蒸気機関、さまざまな紡績機、力織機、その他連の機械装置全体の発明によって、引き起こされた

 ・・・こうしてこれらの機械は、工業を全部、大資本家の手に引きわたし、労働者のわずかな財産(道具、織機等々)を全く無価値にした。それで、資本家はまもなく、すべてを手中におさめ、労働者にはなにものこらなかった

 ・・・こうしていまやわれわれは、文明諸国では、・・・ほとんどすべての労働部門で手工業と工場制手工業が大工業に駆逐されてしまっている、というところに到達した。・・・そのために、・・・以前の労働者の状態はまったく変化し、しだいに他のすべてをのみこむ、ふたつのあたらしい階級が、つくりだされた。

 Ⅰ大資本家の階級、・・・必要な原料と手段(機械、工場)を、ほとんど排他的に所有している。これがブルジョワ階級すなわちブルジョワジーである

 Ⅱまったくの無所有者の階級、これは、自分たちの生計維持に必要な生活資料(=生活物資)をえるためには、自分たちの労働をブルジョワジーに売ることに頼っているこの階級をプロレタリア階級すなわちプロレタリアートと呼ぶ」について。

 ()で私が解説したとおり、この矛盾だらけ

 まず、「プロレタリアートは、産業革命によって成立した。・・・この産業革命は、蒸気機関、さまざまな紡績機、力織機、その他連の機械装置全体の発明によって、引き起こされた。・・・こうしてこれらの機械は、工業を全部、大資本家の手に引きわたし、労働者のわずかな財産(道具、織機等々)を全く無価値にした。それで、資本家はまもなく、すべてを手中におさめ、労働者にはなにものこらなかった」であるが、

 ()この産業革命は、蒸気機関、さまざまな紡績機、力織機、その他一連の機械装置全体の発明によって、引き起こされた」の一文を読んで、皆さんは何か違和感がないだろうか?

 それは、この文章に一連の機械装置を発明した「人間の存在」が記述されていないからである。

 つまり、この一文は、次の通り書くのが正しい「この産業革命は、(自由主義社会の“法の下の平等”において学問・勤勉に努力し、機械の発明に切磋琢磨した人々による)蒸気機関・・・一連の機械装置全体の発明によって、引き起こされた

 つまり、ここには一連の機械装置の発明に関わった多くの人々(技術者たち)が存在するのである。

 これらの発明された機械についての技術や知識や取り扱いについては、ブルジョアジー(工場主)にもプロレタリアート(工場労働者)にも理解できない。ましてや機械が故障した時の修理や機械の増産や新型機械の発注などは、この技術者群が存在しなくしては、工場経営は成り立たない。

 では、この技術者群は、ブルジョアジーか?プロレタリアートか?

 答は、工場主でも工場労働者でもない、まぎれもない「第3の階級に属する人々」である。

 このような技術者群の例は、工場の機械のみではなく、ありとあらゆる産業のあらゆる分野において必然的に生じてくる

 それが、経済波及効果というものである。産業革命の経済波及効果は、計測不能の規模であり、社会の全階級のGDP(=当時はこのような経済用語はなかったが)を巨大に引き上げたであろう。マルクス/エンゲルスの『共産党宣言・共産主義の諸原理』には、社会の経済発展が「工場主階級(ブルジョワジー)」も「工場労働者階級(プロレタリアート)」も「他の第3の階級」も含めた社会全体の富(付加価値の総量)を引き上げるという事実を全く欠落させて隠蔽し、その富のすべてが工場主階級(ブルジョワジー)のみに集中するという虚偽・虚構をもってプロレタリアートを騙し、欺いている。

 () ゆえに、「それで、資本家はまもなく、すべてを手中におさめ、労働者にはなにものこらなかった」と、社会を大資本家階級(ブルジョワ)と無所有の工場労働者階級(プロレタリアート)の2階級のみに恣意的に分離して、その階級対立の構図を軸にして、社会や社会の歴史までも説明しようとするなど、虚偽・虚構も甚だしい「詐欺的理論」である。

 このような理論は、この時点ですでに「理論」ではなく「空想」である。このような共産主義をして「科学的」と考える人間は既に精神に欠陥的部分があり、思考のレベルは高校1年生並みである。


次回、保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その3)へつづく。 


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