保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その8)


エドマンド・バーク保守主義VSマルクス/エンゲルス共産党宣言・共産主義の諸原理

 正統の哲学・『エドマンド・バーク保守主義』による、

 虚偽・妄説の『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理論的破壊宣言(PartⅧ) 

 banner_22.gif←できればクリックお願いします。


 次に進む。「たとえば、フランス革命は、ブルジョア的所有(=私的所有)のために、封建的所有(封建制度のもとで個人が自分で得た所有)を廃止した。(=フランス革命はブルジョワジーが、封建的な所有を廃止するために起こした革命である)」は全くの虚偽・虚構である。

 第一に1789年に発生したフランス革命はブルジョワジーが起こしたものではない。革命の主体は「フランス啓蒙哲学の狂信者たち」である。

 第二にフランス革命の主目的(=本質)は、キリスト教(カトリック)他すべての既存宗教の破壊と新宗教(理信教=無神論)国家の樹立であり、封建的所有の廃止(=封建社会の経済の転覆)は目的のための手段であった。

 つまり、フランス革命とは、ルソー(理神論)やヴォルテール(無神論)らのフランス啓蒙哲学の狂信者であるジャコバン党ロベスピエールらが哲学的思弁上の理神論国家を現実社会に樹立しようとした哲学的(精神的)暴動が目的であって、封建的所有の廃止(=封建社会の経済関係の転覆)はその手段であった。フランス革命については、私のブログ「フランス革命の真実その①~③」を参照されたい。

 次に、「共産主義特徴づけるものは、(自分で得た所有一般の廃止ではなくて、ブルジョワ的な私的所有の廃止である

 しかしながら、近代的ブルジョワ的な私的所有(と)は、階級対立にもとづく、すなわち一階級の他階級による搾取にもとづく生産物の産出と取得の(=少数者である一階級が、多数者からなる他階級から搾取して成立した生産物の産出と取得という)、最後のもっとも完成した(搾取の)表現である」について。ここでは、共産主義の「私的所有の廃止」の意味を強調し、「自分で得た所有一般」=「自分で得た所有」と「ブルジョワ的な私的所有」=「搾取された所有」を区別している。

 そして、次に「この意味で、共産主義者たちは彼らの理論を、私的所有(=搾取による所有)の廃止というひとつの表現に要約することができる。」と共産主義者の意味する「私的所有の廃止」とは、「搾取による所有の廃止」であると言葉の定義を明確化している。

 次に「人は、個人的に獲得し、自分で労働して得た所有を、すなわち、あらゆる個人的な自由と活動と独立の基礎をなす所有を、われわれ共産主義者が廃止しようとしているといって、非難した。」と、

 共産主義者が、人々が「自分で得た所有」を廃止しようとしていると誤解していると強調。

 ところが、次で「労働して得た、自力で得た、自分でもうけた所有物!諸君がいうのは、ブルジョワ的所有に先行する、小市民的、小農民的所有のことなのか。われわれ(共産主義者)は、それ(=小市民的、小農民的所有)を廃止する必要が無い。工業の発展が、それを廃止してしまったし、毎日それを廃止している」と詐欺的な虚偽の言説を吐く。

 共産主義者らしく、「廃止しない」と言わず「廃止する必要がない」と論理を転倒する。そして「工業の発展が、それを廃止してしまったし、毎日それを廃止している」というのは、「自分で得た所有も廃止の対象である、と言っているのである。つまり、「われわれ共産主義者がわざわざ廃止しなくても、工業の発展がわれわれの代わりに廃止に追い込んでくれている」と放言を吐いているのである。

 正常な思考のできる人間であれば、自由主義(資本主義)社会を革命によって転覆して共産主義社会を創造できたと仮定した時、その共産主義社会を維持しようとすれば、それがブルジョワジーのものであれ、プロレタリアートのものであれ、「私的所有=私有財産」を万が一にも認めるわけにはいかないであろう。

 なぜなら、上述したようにブルジョアジーについて、マルクス/エンゲルスは『共産党宣言』本文の中で、「中世の農奴から城外市民が現われ、この城外市民層からブルジョワジーの最初の諸要素が発展した」と述べているのであるから、小市民的、小農民的所有つまり「自分で得た所有」もすべて廃止しなければ、それらが、再びブルジョアジーに発展して自由主義(資本主義)社会に逆戻りするのは明白であるからである。

 次に「賃労働は、プロレタリアの労働は、かれ(=プロレタリアにたいして所有をつくりだすかけっしてつくりだしはしない。それは(ブルジョワの)資本をつくりだすのであって・・・」も全くの虚偽・虚構である。「賃労働」とは字義とおり、労働力の対価として賃金を得る労働のことである。労働者は労働で得た賃金で生活を維持するための生活資料(物資)を得る(=自分で所有を得る)のであるから、賃労働はプロレタリアに確実に所有をつくりだす。そもそも、所有をつくり出さなければ、プロレタリアート生活が維持できずに死滅し、「階級闘争」などできるわけではないか。全くの論理矛盾・自家撞着論である。虚言・虚構を超えて空論・空想の世界である。

 最後に、「資本は、共同体の生産物であって、社会のおおくの構成員の共同の活動によってのみ、それどころか、究極的には社会の全構成員の共同の活動によってのみ、運動させることができるのである。だから、資本は決して個人的な力ではなく、社会的な力であるしたがって、もし資本が、共同体的な、社会の全構成員に所属する所有にかえられるとしても、個人的所有が社会的所有にかわるのではない。所有の社会的性格がかわるだけである。それは、階級的性格をうしなうのだ」について。

 前半部「資本は、・・・できるのである。だから、資本は決して個人的な力ではなく、社会的な力である」までは正しいが、後半部「したがって、もし資本が、共同体的な、社会の全構成員に所属する所有にかえられるとしても、個人的所有が社会的所有にかわるのではない。所有の社会的性格がかわるだけである。それは、階級的性格をうしなうのだ」は完全な論理する変えの虚偽・虚構・妄言である。確かに、『資本は個人的な「力」でなく、社会的な「力」である』が、それは、『資本が個人的な「私的所有」でなく社会的な「所有」である』ということを意味しない。ここにマルクス/エンゲルスの恣意的な論理のすり替えがある。

 つまり、彼らは、そもそも資本は「社会的な力」であるから「社会的所有」であり、「資本家(=ブルジョワ)が搾取して私的所有としているだけ」と虚偽の前提をしている。

 だから、資本が共同体的な所有にかえられても、もともと「社会的所有」であるのだから「個人的所有(=私的所有=搾取された所有)が社会的所有にかわるのではなく、ブルジョワに搾取されていた社会的所有が本来の社会的所有に戻るだけ」と虚言を吐くのである。そして、ブルジョワは搾取によって得ていた私的所有を失い、ブルジョワジーは消滅するというのである。

 この論理すり替えが、私的所有の強盗・強奪行為である「階級闘争」と「革命」を正当化する共産主義の根本原理であるが、あくまでも虚偽虚構から成り立っており、精神疾患的な妄想・妄言である。

 このような「社会のすべてのものが、その社会のすべての人間のもの」という虚言・妄言が正当化されれば、自由主義(資本主義)社会のすべての強盗・強奪行為が正当化・合法化されることになる。

 共産主義とはブルジョワジーによる「虚構の搾取」を逆手に取った、プロレタリアートによる「真実の搾取」のイデオロギーであり、いわば、「犯罪および犯罪者擁護のイデオロギー」である

 ここから、現在日本社会における、犯罪者への過剰な人権擁護イデオロギー死刑廃止のイデオロギーが発生しているのである。

 逆に言えば、このようなイデオロギーの持ち主は、共産主義者やそのシンパである可能性が大と言えるのである


次へ進む『共産主義の諸原理』の第十五問について。

 前半部は、上記の『共産党宣言』本文の解説で充分であろう。

 後半部「しかし、今では大工業の発展によって、・・・それ(=強力で容易に増大させられる生産諸力)はいつでも、社会秩序のなかに、ひじょうに強力な混乱をよびおこしている。そこで、(大工業が発展して、その生産諸力がふるい所有関係に適合しなくなった)いまようやく、私的所有の廃棄が、可能であるだけでなく、まったく全面的に必要になったのである」について。

 「大工業の発展によって、強力になった生産諸力が、いつでも、社会秩序のなかにひじょうに強力な混乱をよびおこしている」というのも全くの虚偽・虚構である。五から七年ごとに繰り返される景気循環による商業恐慌(=経済不況)の側面だけを強調し、好況時の社会的繁栄の側面を全く無視している。

 第十三問で「第二に、大工業とそれによって可能になった無限の生産拡張とは、つぎのような社会状態を可能にするということであって、その社会状態においては、すべての生活必需品が、ひじょうにおおく生産されるので、それによって社会の構成員は、その諸能力と素質のすべてを完全に自由に発達させ、発動することができるようになるのである」と言っているではないか。

 虚偽・虚構・妄言も、いい加減にしてもらいたい。


さらに、次に進む。次のパラグラフが非常に面白い(あきれて、言葉が出ない)。

 「第十六問 私的所有の廃棄は、平和な道で可能だろうか。

   このこと(=平和な道での私的所有の廃止)がおこりうるのは、のぞましいであろうし、共産主義者はたしかに、だれよりもそれに反対することが少ないだろう共産主義者は、あらゆる陰謀が、無益なだけでなく、それどころか有害であることを、知りすぎるほど知っている。かれらは、革命が意図的に恣意的になされるものではないということ、逆にそれは、どこにおいても、どんなときにも、状況の必然的な結果であって、その状況は、個々の諸党派と諸階級の全体の意志や指導から独立しているのだということを、知りすぎるほど知っている。しかし、かれらはまた、ほとんどすべての文明国でプロレタリアートの発展が、力ずくで抑圧されていること、そして、このことによって革命が共産主義者の反対者たちにより、全力で促進されていることをも、みているのである。このことによって、抑圧されたプロレタリアートが、最後には、革命へとかりたてられるならば、そのときわれわれ共産主義者は、プロレタリアートの大義を現在ことばによって擁護しているのとおなじようにつよく、行動をもって擁護するであろう」

 読者の皆さんは、この『共産主義の諸原理』の第十六問とそのを読んで、どう思うか。

 私は、「これほどまでに虚言・妄言が平気で吐けるものだ」とあきれてしまう。いやここまで言われると逆に笑ってしまう。

 「このこと(=平和な道での私的所有の廃止)がおこりうるのは、のぞましいであろう」とは笑止千万である。

 この『共産党宣言』本文の冒頭の文句と締めくくりの文句は何であったか。

 「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」

 「プロレタリアは、かれらの鎖のほかに、この革命において失うべきものを、なにももたない。かれらは、ひとつの世界を獲得するのだ。すべての国のプロレタリアよ、団結せよ!」

 ではなかったのか。「闘争」「革命」など明らかに暴力革命を目指し、煽動しているではないか。何を寝ぼけたことを言っているのか。

 そもそも、この『共産党宣言・共産主義の諸原理』こそが、暴力革命の煽動書ではないか。

 次に「共産主義者はたしかに、だれよりもそれに反対することが少ないだろう共産主義者は、あらゆる陰謀が、無益なだけでなく、それどころか有害であることを、知りすぎるほど知っている。かれらは、革命が意図的に恣意的になされるものではないということ・・・」について。

 だれよりも平和な道での私的所有の廃止に反対することが少ないのは当たり前。「私的所有の廃止」を唱えるのは共産主義者しかいないのだから。

 「共産主義者は、あらゆる陰謀が、無益なだけでなく、それどころか有害であることを、知りすぎるほど知っている」について。

 この虚偽・虚構・妄言だらけの『共産党宣言・共産主義の諸原理』が「陰謀の塊」でなくして何であろうか。有益であると知っているから、この陰謀の書『共産党宣言・共産主義の諸原理』を書いたのであろう。明らかに、『共産党宣言・共産主義の諸原理』は革命を意図的・恣意的に起こさせるように煽動しているではないか。

 「かれらはまた、ほとんどすべての文明国でプロレタリアートの発展が、力ずくで抑圧されていること、そして、このことによって革命が共産主義者の反対者たちにより、全力で促進されていることをも、みている」について。

 ほとんどすべての文明国で共産主義者が、プロレタリアートに「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」、「プロレタリアは、かれらの鎖のほかに、この革命において失うべきものを、なにももたない。かれらは、ひとつの世界を獲得するのだ。すべての国のプロレタリアよ、団結せよ!」、「私的所有の廃止!」、「自由主義(資本主義)社会(政府)を倒せ!」と煽動するから、ブルジョワジーや政府がプロレタリアートの発展を警戒するのは、正常な思考をすれば、当然のことではないか。全くの論理転倒である。

 日本国でも1925年の治安維持法(※8)で共産主義革命運動をする“団体”(コミンテルン日本支部=日本共産党)を取り締まったが、社会主義思想・共産主義思想の“思想”は全面的に放置した。治安維持法は、(思想規制ではなく)団体規制/運動規制に絞る、立法上の一大欠陥を有していたいわゆるザル法であった


(※8)治安維持法についての日本国民の誤解を解く

 昭和前期(192545年)とは、内政・外交の主要国策が社会主義・共産主義に呪縛された時代であった。つまり、「社会主義思想の全盛期(※9)」であったのだが、戦後になって、日本共産党(=コミンテルン日本支部)治安維持法1925年)をとてつもなく恐ろしい法律であったかのように、針小棒大に中傷と歪曲に精を出した効果もあって、「社会主義思想は弾圧されて逼塞させられた」との転倒したの方が定説となった。

 治安維持法は、コミンテルン(ソ連共産党国際部)の命令に従った、天皇制廃止などの革命運動をする“団体”(コミンテルン日本支部=日本共産党)を取り締まったが、社会主義思想・共産主義思想の“思想”は全面的に放置した。治安維持法は、(思想規制ではなく)団体規制/運動規制に絞る、立法上の一大欠陥を犯していたいわゆるザル法であったのが事実である

 治安維持法とは、第一条で定める、「結社」の「活動」の規制法であり、規制される「活動」とは、「国体」の変更(天皇制廃止)と私有財産制廃止の二点のみであった。

 「国体」とは明治憲法第一条~第四条が規定する天皇制度を護持することであり、天皇制度はわが国の国民が享受する“高貴なる自由”の淵源でありわれわれ日本国民をして祖先の智恵と感情とに連続させる偉大な制度であることにおいて国民の“自由を守る法の中の法”であるから、それを転覆して反自由の野蛮と無法を求める、暴力や洗脳活動の狂気などは、自由社会である正しき文明国家において、断固として断罪されて当然である。

 また、私有財産の擁護は自由社会の根本であり、現憲法第二十九条においても「財産権はこれを侵してはならない」と定められている。

 治安維持法の主旨は、国民の自由と権利を擁護するに欠くことはできない普遍的な真理を定めたにすぎないから、治安維持法を否定非難する理屈は、“大量殺人鬼”スターリンと同種の、反人間のドグマに立つ狂った人格でないと、思いつかない。

 米国では、今も日本の治安維持法より厳しい「共産主義者取締法」が存在し十全に執行されている。英国でもドイツでも共産党は非合法である。

 私有財産否定の思想に対し、米国民はすぐ怒り激昂し、排撃するように、米国は反・『人間不平等起源論』が建国の血肉的な精神となった国家である。「ルソー」という黴菌が完全消毒されているため、マルクスやレーニンの思想は自ら洗浄してほぼ完全に排撃してしまった。

 治安維持法

 第一條 國体ヲ變革シ又ハ私有財制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

 2 前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

 第二條 前條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ニ關シ協議ヲ爲シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

 第三條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

 第四條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身體又ハ財ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

 第五條 第一條第一項及前三條ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財上ノ利益ヲ供與シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ爲シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス情ヲ知リテ供與ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ爲シタル者亦同シ

 第六條 前五條ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減輕又ハ免除ス

 第七條 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行區域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

 附則

 大正十二年勅令第四百三號ハ之ヲ廃止ス

 ➡本文


(※9)昭和前期(192545年)とは内政・外交の主要国策が社会主義・共産主義に呪縛された時代であった。つまり、「社会主義思想の全盛期」であった。

 1927年、与謝野晶子は、学生が猫も杓子もマルクスとレーニンばかり読んで、それ以外の思考ができなくなった状況を新聞『横浜貿易新報』で次のように嘆いている。

 与謝野晶子曰く、

 「マルキシズムよりレェニズムへと云ふのが、優秀な大学生間の近頃の研究題目であり・・・・それを人生の唯一の準拠として万事を批判し照準する傾向が著しい。この考え方は余りに冷たくかつ非人間的である・・・・人間が物質に負けて隷属した形である」

 「唯物思想に偏することも一つの迷信である。・・・・目前流行の階級意識や唯物主義や過激な破壊思想を超越して大きく豊かに考へ得る人間であらねばならない。・・・・欧米の国民が日本の青年ほどにロシアから来た一つの思想に熱狂しないのを羨ましく思ってゐる」

 『ビルマの竪琴』の竹山道雄もその著『昭和の精神史』で曰く、

 「インテリの間には左翼思想が風靡して、昭和の初めは〈赤にあらずんば人にあらず〉という風だった」

 小説家の杉森久英も曰く、

 「私の学生時代は、昭和初年だが、思想界はマルクス主義一色に塗りつぶされていた」

 このように、昭和の御代は、不吉にも、「悪の思想家」マルクスと「悪の革命家」レーニン/スターリンの著作の大洪水で始まった。“日本の共産化”が国是であると、学界と新聞・雑誌界と軍部と官界が合意していた時代、それが昭和前期であり、これが歴史の事実である。

 以下にその証拠の一例を示す。

虚妄の共産党宣言_image003.png

虚妄の共産党宣言_image005.png

虚妄の共産党宣言_image007.png

虚妄の共産党宣言_image009.png

これだけの著作が自由に発行できたのは、治安維持法が思想の自由まで取り締まっていなかった証左であろう。

 ➡本文


 次回、保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その9)へつづく。


スポンサーサイト

テーマ : エドマンド・バーク保守主義
ジャンル : 政治・経済

コメント

Secret

プロフィール

バーク保守主義(広報部)

Author:バーク保守主義(広報部)
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード