保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その10)


エドマンド・バーク保守主義VSマルクス/エンゲルス共産党宣言・共産主義の諸原理

 正統の哲学・『エドマンド・バーク保守主義』による、

 虚偽・妄説の『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理論的破壊宣言(PartⅩ)

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以上の、『共産主義の諸原理』の第十八問とそのおよび、『共産党宣言』本文に掲げられた、諸政策は根元的には理想の共産主義社会への到達のための「私的者有の廃止」のための政策であり、それらは読めば、誰でもすぐその目的が「私的者有の廃止」にあると理解できるので、各項目の詳細な説明は割愛する。

 しかし、これらの諸政策について日本国民が留意することは、日本の政府(政権)の掲げる諸政策(政権公約)がこれらの諸項目に一致あるいは近似すればするほどその政府(政権)は、共産主義的傾向がある政府(政権)であるため、政府の行動を国民は注視しなければならないということである。

 ちなみに、日本国の国政選挙時の政権公約のことをマニフェストと言い、マニフェスト選挙と言うのが定着したが、『共産党宣言』のドイツ語原典の名称は『Manifest der Kommunistischen Partei』である。

 日本での「マニフェスト選挙」なるものの、提唱者・提唱思想自体に怪しげな意図を感じるのは私だけであろうか。

 上述のとおり、共産主義諸政策の個々の説明は割愛するが、特に重要な事項についてのみ以下に解説することとする

 (A)共産主義者の言う、「民主主義」とは、ルソーの言う、人民民主主義全体主義のことであり、通常概念の「デモクラシー」とは全く異なる概念なので、読者は注意を要する。

 簡単に言えば、「朝鮮民主主義人民共和国」の民主主義である。また、共産主義の「人民」とは、「一つの全体としての人民」の意味であり、「個々の自由な人民」の意味はない。だから、共産主義国では、「個々の自由な人民」のことを「一つの全体としての人民」という統制を撹乱する「反乱分子」というのである。

 自由主義(資本主義)社会において、権力の発生源が国民に存在し、その権力の発動(=選挙権による普通選挙)による国民の政治への参加をデモクラシーというのである

 ただし、国民が「権力の発生源」であることと、その国民の権力が「バーク保守主義の唱える“法の支配”、“立憲主義”をも超越する権力である」という意味の「国民主権」とは全く意味が異なるのでその点も注意が必要である。

 バーク保守主義は、“法の支配”、“立憲主義”による権力の暴走を抑制・制限する哲学であるので、上記の「主権なる概念は存在し得ないあくまでも国民の持つ権力は“法”および“憲法”に「制限された権力」にすぎない

 これは、国民の代表者たる政治家にも同様に当てはまるため、国会が憲法の支配を超える制定法(=法律)を立法した時、最高裁判所が違憲立法審査権憲法 第八十一条)を発動するのである。

 つまり、国会にも“法”や“憲法”を超えて立法する主権(=英国のダイシーが『憲法序説』で唱えた「国会主権」なるもの)など存在しないのは明白であろう。

 ゆえに、日本国憲法 第四十一条「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」という規定をもって、国会(立法権)が行政権・司法権に優位すると考えるのは誤謬である

 国会の立法権を制限するのは“日本国憲法”の各条項であり、この“日本国憲法”の番人(=違憲立法審査権をもつ機関)が“最高裁(司法権)”であることからも明白である。あくまでも日本国では「国会優位」ではなく「三権分立」である。

B(3)人民の過半数に反対するすべての亡命者と叛逆者の、財産の没収。などは、全体主義体制の最たるもので、これが、さらに強権化すると政治犯との名目で人民の殺戮に繋がっていく。

C(5)私的所有の完全な廃棄まで、社会のすべての構成員にたいする平等な労働義務(=労働強制)。とくに農業のための産業軍の形成。

 ソ連でのこの労働強制は、過酷極まるもので、レーニンの「働かざるもの、食うべからず」政策によってソ連は強制労働収容所群島となり、極寒の中で過労と飢餓により命を落とした。また、労働できない高齢者など多くの国民が餓死刑となった。

D(8)すべての児童を、かれらが母親の世話からはなれうるようになった瞬間から、国民の施設で、教育すること(=国家による共産主義洗脳教育・人間のロボット化)。教育と製作の結合(=労働強制への準備)。これは、「家族解体」政策とも直結するので、後に解説する。

E(11)結婚によらない子どもにたいしても、結婚による子どもと平等な、相続権

 これが、「事実婚主義」であり、「選択的夫婦別姓論」の原点である。この意味で、福島瑞穂は、社会主義者というよりも、むしろ共産主義者であるというのが妥当であろう。

F)「すべての資本、すべての農業、すべての工業、すべての輸送、すべての交換を、ますます多く国家の手に集中させれば、国の生産力がプロレタリアートの労働によって何倍かにされ、人間が変化して、そのために、旧社会のさいごの交通諸形態もまた、なくなっていいのである」とは、「進歩主義(※10)」に基づく「信仰」「妄想」にすぎない。

 自由主義(資本主義)経済とは、その名の通り、生産力を最大化するために、国家の経済介入を最小化する経済体制であり、文明社会の自然的成長・発展に伴った経済の自然成長・発展を促す最も優れた制度である

 経済のすべてを国家の手に集中させれば、生産力が倍増するなどというのは、マルクス/エンゲルスが、少なくともこの『共産党宣言・共産主義の諸原理』を著作した時点で、いかに「経済音痴」であったかの証左である。あまりにもひどい、無知による論理転倒である。

 最後の「人間が変化して、そのために、旧社会のさいごの交通諸形態もまた、なくなっていいのである」とは何を意味しているのであろうか。

 人間に翼でも生えて、「鳥獣」になり、交通手段は必要なくなるとでも言っているのだろうか。ここの真意だけが、どうしても「私」にも理解不能である。読者の皆さんで意味が解る人がいたら教えてもらいたい。

 共産主義者が「妄想」する、共産主義社会における「進歩した人間像」については、エンゲルス自身が『共産主義の諸原理』のなかで述べているので後に解説する。

 『共産党宣言』における諸施策も『共産主義の諸原理』の第十八問とそのとほぼ重なっているが、内容が後者よりも単刀直入で厳しくなっている。ここで取り上げるのは

F)3 相続権の廃止。である。

 エドマンド・バーク保守主義の哲学の支柱は「世襲(相続)の原理」にあると言っても良い。なぜなら、「“生命/安全・私有財産・自由/道徳”はすべて“”によって擁護され世襲(相続)によって子孫へと引き継がれるもの」であるからである。

 それゆえに、“私的所有=私有財産”の「相続権の廃止」とは確実に“生命/安全”、“自由/道徳”の廃止へと連動していく危険な思想である

 日本国政府(政権)が、民法改正による相続権の変更や相続税の増大などの政策を打ち出す場合は、日本国民はこれを排除しなければならない

 特に緊急の問題はやはり、「選択的夫婦別姓」の導入問題であろう。これはやがて、「選択的」が抹消され、「夫婦別姓」となり、「法律婚主義」が「事実婚主義」へと移行する過程で、上記の「(11)結婚によらない子どもにたいしても、結婚による子どもと平等な、相続権。」なる政策へと繋がり、それは「日本国民の婚姻に関する正常な思考に混乱を生じさせ、最終目標の「相続権の廃止」へと向かうよう計算されている。

 またこれは「家族の廃止」にも直結する問題でもある。要するに、日本国へ突き付けられた国家破壊イデオロギーである。

 日本国民は福島瑞穂の煽動に騙されてはいけない。「選択的夫婦別姓論」などは、国民の総力を挙げて、断固排除すべきである

 次に、上記の諸政策のうちの(8)すべての児童を、かれらが母親の世話からはなれうるようになった瞬間から、国民の施設で、教育すること(=国家による共産主義洗脳教育・人間のロボット化)。=「家族の廃止」「家族の解体」について考察する。

 まず、以下に『共産主義の諸原理』の第二十一問とそのおよび『共産党宣言』本文における、マルクス/エンゲルスの「家族」に対する言説を紹介する。

 「第二十一問 共産主義的社会秩序は、家族にたいして、どういう影響を与えるか。

   それは、両性の関係を、純粋に私的な関係とするであろう。その私的関係とは、当事者だけが関与し、社会が介入する余地のない関係(=社会の法律・制度が介入しない婚姻関係要するに事実婚関係のこと)である。

 それ(=共産主義的社会秩序)が、このことをなしうるのは、それが、私的所有を除去し、子どもを共同体で教育し、そしてそうすることによって、これまでの結婚の二つの基礎である、私的所有を媒介とする妻の夫への従属子どもの両親への従属とを、絶滅するからである。

 ここに、共産主義的な女性の共有に対する、道徳堅固な俗物市民の非難への、回答も存在する。

 女性の共有は、まったくブルジョワ社会に属するものであり、今日では、売春として完全に存続しているものである。

 しかし、売春は私的所有にもとづき、それとともに消滅する

 こうして、共産主義組織は、女性の共有を導入するどころか、これを廃棄するのである」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、163頁)

 次に『共産党宣言』本文より抜粋する

 「家族の廃止!共産主義者たちのこの下品な意図については、もっとも急進的な必びとでさえも、激怒する。現代の、すなわちブルジョワ的な家族の、基礎はなんであるか。資本が基礎であり、私的取得が基礎である。

 それ(=ブルジョワ的な家族)が完全に発展して存在するのは、ブルジョワジーにとってだけであり、しかもそれ(=ブルジョワ的な家族)は、プロレタリアの強制された無家族と、公然たる売春のなかに、補完物をみいだす(=ブルジョア的家族は、プロレタリアの強制された無家族と、公然たる売春によって価値を増す

 ブルジョワ家族は、この補完物(=プロレタリアの強制された無家族と、公然たる売春)の消滅とともに消滅する

 諸君は、われわれが、両親によるその子の搾取を廃止しようとしていることを、非難するのか。われわれはこの犯行を認める。それでも、われわれが、家庭教育のかわりに社会的教育をおくことによってもっとも親密な諸関係(=家族・親子関係を廃止すると、諸君は言う。

 諸君の教育もまた、社会によって規定されたものではないか。

 そのなかで諸君が教育をおこなう社会的諸関係によって、学校その他をつうじての、社会の直接間接の干渉によって、規定されているのではないか。(=諸君が行う家庭教育も、学校その他をつうじての、社会の直接間接の干渉という社会的諸関係によって規定されているのではないか)

 共産主義者たちは、

 (家庭教育にしろ、学校教育にしろ、社会に規定されている、つまり社会から作用を受けているのはわかっているから)

 教育に対する社会の作用を発明するのではない。

 かれら(共産主義者たち)はただ、作用の性格(=間接か直接かの性格)を変えるだけであり、かれら(共産主義者たち)は教育を、支配階級の影響から、きりはなすのである(=家庭教育は社会の作用が間接的であるため、私的なブルジョワ思想が入り込む余地があるので、教育を家庭教育からきりはなすのである)。

 家族と教育について、親子の親密な関係についての、ブルジョワ的ないいかたは、大工業の結果、プロレタリアにとってすべての家族のきずながたちきられ、子どもが単なる商品と労働用具に転化されるにつれて、ますます吐き気をもよおすものとなる。

 しかし共産主義者諸君は女性の共有制導入をしようとしていると、全ブルジョワジーは声をそろえて、われわれに反対してさけぶ。

 ブルジョワは、かれの妻のなかに、たんなる生産用具しかみない(=たんなる子どもを産む道具・機械であるとしか考えない

 当然かれらは、生産用具(=子どもを産む道具・機械が共有的に使用されるべきだということをきくと、共有制の運命がおなじように女性(=妻)にもふりかかるであろうということ以外は、考えられないのである(=妻の運命を憐れむだけで、自分が妻を生産用具としか考えていない、ということに気付かない)。

 たんなる生産用具(=子どもを産む道具・機械としての女性の地位を廃止することがまさに問題なのだとはかれは気付かない

 共産主義者たちの公認の女性の共有といわれるものについての、わがブルジョワの、高度に道徳的な驚愕にもまさってわらうべきものは、他にはない

 共産主義者たちは女性の共有を導入する必要はない。それはほとんどいつも存在していたのだ。

 公認の売春についてはまったくふれないとしても、わがブルジョワは、かれらのプロレタリアの妻と娘を自由にできることでは満足せず、自分たちの妻を相互に誘惑することに、主要な満足を見出している

 ブルジョワ的結婚はじっさいには妻の共有である

 人が共産主義者たちを非難しうるのは、せいぜいのところ、かれら(=共産主義者たち)が、(ブルジョワの)偽善的でかくされた女性の共有のかわりに、公認の、かくしだてのない、女性の共有を導入しようとしている、ということにすぎないであろう。

 いずれにせよ、おのずからわかることは、現在の生産諸関係の廃止(=私的所有の廃止)とともに、そこ(=現在の生産諸関係=私的所有)からでてきた女性の共有、すなわち公認および非公認の売春もまた消滅するということである」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、3942頁)


次回、保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その11)へつづく


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