保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その12)


エドマンド・バーク保守主義VSマルクス/エンゲルス共産党宣言・共産主義の諸原理

 正統の哲学・『エドマンド・バーク保守主義』による、

 虚偽・妄説の『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理論的破壊宣言(Part

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次へ進む。ここは、共産主義が、プロレタリアートが政治権力を掌握した諸国の国民性や宗教がどのように変化するのか。政治権力によって権力によって強引に変革されるのか否かを問題にしている重要な部分である。

 『共産主義の諸原理』より

 「第二十二問 共産主義的組織は、現存の諸国民性に対して、どんな態度をとるだろうか。

   ――そのまま」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、163164頁)

 「第二十三問 それは、現存の諸宗教に対してどんな態度をとるだろうか。

   ――そのまま」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、164頁)

 『共産党宣言』本文より

 「共産主義者たちはさらに、祖国と国民性を廃止しようとしたと、非難されている。労働者は祖国をもたない。人はかれから、かれらがもたないもの(=祖国)をとりあげることはできない。プロレタリアートは、まず政治的支配を獲得し、国民的諸階級に上昇し、自己を国民として構成しなければならない、という点で、それ自体やはり、まったくブルジョワジーの意味においてではないとはいえ、国民的である。

 諸国民の国民的な分離と対立は、ブルジョワジーの発展とともに、商業の自由、世界市場、工業生産およびそれに対応する生活諸関係の一様化とともに、すでにますます消滅している

プロレタリアートの支配は、それ(=諸国民の国民的な分離と対立)を一層消滅させるであろう。すくなくとも文明諸国の団結した行動は、かれらの解放の第一の諸条件の一つである。

 一個人が他の個人によって搾取されることが廃止される程度に応じて、一国民の他国民による搾取も廃止されるであろう。

 国民の内部での階級対立の消滅とともに、諸国民の敵対的な態度も消滅する

 共産主義者に対して、宗教的哲学的イデオロギー的な観点一般からなされている非難は、くわしい検討に値しない

 人間の生活諸条件、かれらの社会的諸関係、かれらの社会的存在とともに、かれらの思考見解概念もまた、一言でいえばかれらの意識もまた変化するということを理解するのに、深い洞察が必要であろうか(=変化するに決まっている

 諸理念の歴史がしめしていることは精神的生産が、物質的生産とともにかたちをかえる(=精神的な生産物である「宗教」や「哲学」などは、物質的な生産つまり社会の経済構造によって変質・変形する)ということ以外の、何であろうか。

 一時代の支配的諸理念(=社会の支配的な哲学や思想)とは、つねに支配階級の諸理念(=社会の支配階級の持つ哲学や思想)にすぎなかった。

 ・・・古代社会が没落しつつあったとき、古代の諸宗教はキリスト教によって征服された。

 キリスト教の諸理念が、十八世紀に、啓蒙の諸理念(=フランス啓蒙哲学)に屈服したとき、封建社会はその生死をかけたたたかいを、当時は革命的であったブルジョワジーとのあいだで、おこなっていた(=フランス革命のこと)。

 良心および宗教の自由という諸理念は、自由競争の支配(=ブルジョワジーによる支配)を、(ブルジョワジーの)良心の領域で表現したにすぎない(=精神的欠陥者である共産主義的な「良心および宗教の自由」とは、『社会の経済的な支配者が持つ良心と宗教がその社会で支配的になるということにすぎないから、経済的な支配者が変われば、その社会の支配者が、良心および宗教も自由に変更できるという自由』を意味する)」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、4243頁)


エンゲルスは『共産主義の諸原理』で、共産主義は現存の諸国民性、諸宗教について、いずれも「そのまま」と答えているが、これは、精神欠陥的な共産主義的思考では「そのまま」という意味であり、精神的に健常な自由主義(資本主義)的思考では「そのままでなく、変更される、変化する」という意味であるから、読者の皆さんは、騙されてはいけない。

 それは、『共産党宣言』の本文をよく読めばわかる。ただし、この『共産党宣言』の本文も虚偽・虚構・トリックで固めてあるので注意が必要である。

 まず、諸国民性について

 結論から言えば、『共産党宣言』の本文では、「国民性」と「国民的」をすり替えて「そのまま」と言っているのである。しかし、明らかに「国民性は破壊される

 ある国の「国民性」とは、その国の法・憲法・慣習・伝統・歴史・文化・風俗等が「世襲(相続)の原理」によって、その国に根付いた国民の気質や性格の独自性のことである

 「国民的」とは、単に「その国の国民全体に関わるさま」を言うだけである

 「プロレタリアートは、まず政治的支配を獲得し、国民的諸階級に上昇し、自己を国民として構成しなければならない、という点で、それ自体やはり、まったくブルジョワジーの意味においてではないとはいえ、国民的である」について。

 「国民的」とは、プロレタリアートが国民として、支配階級になったという意味で、「国民性」とは異次元の言説

 逆に、「階級闘争」による「革命」とはプロレタリアートが、ブルジョワジーを打倒して支配階級となり、さらに、「プロレタリアートは祖国を持たない」というのであるから、国の法・憲法・慣習・伝統・歴史・文化・風俗等を破壊するのであり、「国民性の破壊」であり、「国民性の廃止」である。

 このように、精神的に健常な自由主義(資本主義)的思考をすれば、エンゲルスは共産主義者らしく、平然と「そのままである」と虚偽・妄言を吐いている。

 しかし、次の「諸国民の国民的な分離と対立は、ブルジョワジーの発展とともに、商業の自由、世界市場、工業生産およびそれに対応する生活諸関係の一様化とともに、すでにますます消滅している(=この時点ですでに虚偽・虚構である

 プロレタリアートの支配は、それ(=諸国民の国民的な分離と対立)を一層消滅させるであろう」について。

 精神欠陥的な共産主義的思考では、諸国民の国民的な分離と対立は、既に(=革命前に)ますます消滅した状態にある(⇒すでにこの時点で虚偽・虚構・妄言であるが、つまり既に(=革命前に国民性は一様化してきているのであるから、「階級闘争」による「革命」とはプロレタリアートが、ブルジョワジーを打倒して支配階級となっても「国民性は変化しない」ということなのである。

 その意味では、エンゲルスは共産主義者らしく、平然と「そのままである」と言っている。

 しかし、どちらが真実かは読者の皆さんも解るであろう。明らかに「国民性」は破壊・廃止されるのである

 次に、諸宗教に対する態度について。

 つまり、「信教の自由」についてであるが、結論から言えば、既存宗教は破壊される

 これも『共産党宣言』本文を丁寧に読めば、そう書いてある。非常にトリック的言い回しだから、騙されてはいけない。

 『共産党宣言』本文の「共産主義者に対して、宗教的哲学的イデオロギー的な観点一般からなされている非難は、くわしい検討に値しない人間の生活諸条件、かれらの社会的諸関係、かれらの社会的存在とともに、かれらの思考見解概念(=宗教哲学イデオロギーもまた、一言でいえばかれらの意識もまた変化する

 から、精神的に健常な自由主義(資本主義)的思考をすれは、明らかに宗教や哲学やイデオロギーは、「階級闘争」による「革命」でプロレタリアートが支配階級になれば、変更される

 つまり、「信仰の自由は認められなくなる。エンゲルスの「そのまま」というのは明らかに虚言・虚構である。

 ではなぜ、エンゲルスは『共産主義の諸原理』で平然と「そのまま」と言ったのか。

 それは、次の最後の一文に集約されている。

 「良心および宗教の自由という諸理念は、自由競争の支配(=ブルジョワジーによる支配)を、(ブルジョワジーの)良心の領域で表現したにすぎない

 (=共産主義的な意味での「良心および宗教の自由」とは、『社会の経済的な支配者が持つ良心と宗教がその社会で支配的になるということにすぎないから、経済的な支配者が変われば、その社会の支配者が、良心および宗教も自由に変更できるという自由』を意味する)」

 つまり、精神欠陥的な共産主義的思考では「良心および信仰の自由」とは、社会の経済的な支配者が持つ良心と宗教が、その社会で支配的になるということにすぎないから、社会の経済的な支配者が変わればその支配者は、その社会の支配的な良心および宗教を自由に変更できるという自由」のことである。

 もっと端的に言えば、エンゲルスの「信教の自由」とは、「社会の支配者が自らの信仰する宗教を被支配者に強制できる自由」のことを言っているのである。

 その意味でエンゲルスは、支配者が誰になろうとも、支配者の「信仰の自由」は「そのまま」と言っているのである。

 決して、エンゲルスの「信教の自由」は、自由主義(資本主義)社会での「国民の自由な信教の自由を認める」という意味での「信教の自由」ではないということである。

 実際に、共産主義は、「無宗教」、「無神論(あるいは理神論)」「無道徳」である。

 実際に、レーニンは、「宗教はアヘンである」として宗教破壊を行ったことからも明らかである。

 最後に『共産党宣言』本文の引用部で「フランス革命はブルジョワ革命であった」と意味する部分があるが、全くの虚偽である。

 1789年のフランス革命は、ルソー教徒のジャコバン党のロベスピエールらの主導で勃発した革命であり、「理信教(=人間の理性を神として崇拝する邪教・カルト集団がキリスト教破壊を主目的として起こした革命」でありブルジョア革命ではない

 そもそも、常識的に考えて、ブルジョワジーが、自分がブルジョワとして存在できている現存社会を、わざわざ自己破壊する革命を起こす訳がなかろう。自家撞着の暴論である。


次回、保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その13)へつづく


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