保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その13)


エドマンド・バーク保守主義VSマルクス/エンゲルス共産党宣言・共産主義の諸原理

 正統の哲学・『エドマンド・バーク保守主義』による、

 虚偽・妄説の『共産党宣言・共産主義の諸原理』の理論的破壊宣言(PartⅩⅢ

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次に、以上のような虚偽・虚構・妄言の結果、プロレタリアートが政治を支配して、「私的所有の廃止が完成した場合に、共産主義者が妄想・空想してやまない、「理想の共産主義社会」の描写部分を『共産主義の諸原理』から引用するが、ここには、共産主義の「進歩主義的虚偽虚構妄想がよく現れている。

 「第二十問 私的所有の最終的な排除の、結果はなにか?

   社会が、すべての生産力と交通手段の利用を、生産物の交換と分配とともに、私的資本家たちからとりあげ、現存の手段と全社会の欲望から生じた計画にしたがって運営する

(=社会全体の欲望を満たす計画などを、計画して運営することなど誰にもできないことは、精神的に正常な人間なら、小学生でもわかる虚偽・虚構・妄言であると解るであろう。)

 、ということによって、なによりもまず、現在なお大工業の経営にむすびついているすべての有害な結果が、除去される。恐慌(=経済不況)は消滅する(=根拠は上記の社会全体の欲望から生じた計画に従って運営するということだけ。つまり「虚偽・虚構・妄言のみ」が根拠である)。

 拡大された生産は、現在の社会秩序にとって過剰生産であり、貧困のあのように強力な原因であるものが、そのとき(=私的所有がすべて排除されたとき)には、けっして十分ではなくなり(=足りないくらいとなり?)、さらにひじょうに拡大されなければならない(=?)だろう(=意味不明の戯言・妄言)。

 社会の直接の欲望にこたえた過剰生産(=全社会の欲望から計画され、運営された生産に過剰生産が起こること自体が自己矛盾で意味不明)には、貧困をひきおこすかわりにすべての人の欲望の充足を保証し、あたらしい欲望と、それ(=あたらしい欲望)を充足する手段とを、同時にうみだすであろう

 (=自由主義〈資本主義社会〉では、共産主義者が言う、貧困の原因となる過剰生産は、私的資本による生産が原因であるから、国家(政府)の適度な市場介入で景気を循環させる余地が残っている

 しかし、全社会の欲望を満たすように共同体(=結局、国家・政府になる)が計画した過剰生産には、もはや過剰生産を処理する共同体の介入余地はない

 つまり後者の過剰生産には景気回復の手段が残されていない景気はさらに悪化するしかない

 あたらしい欲望とあたらしい欲望を充足する手段とを同時にうみだす希望があるのは前者の自由主義〈資本主義〉社会の方である。)

 それは(=社会の直接の欲望にこたえた過剰生産)、あたらしい進歩の条件と動機になるだろう(=明らかな進歩主義の妄想である)。

 それ(=社会の直接の欲望にこたえた過剰生産)は、この進歩を、これまでのようにいつも(恐慌によって)社会秩序を混乱におとしいれることによらないで、実現するだろう。

 私的所有の圧迫から解放された大工業は、拡大へと発展するだろう(=私的所有があるから大工業は経済の圧迫度合いに応じて生産調整ができるのである、私的所有なしに大工業が拡大することはない。少なくとも、私的所有なしに営業開始して、1回目の恐慌(=不況)がきたらそこで、身動きが取れなくなるのは火を見るより明らかである)。

 その拡大にくらべると、それ(=大工業)の現在の形成は、工場制手工業をわれわれの時代の大工業にくらべるのとおなじようにちいさくみえるだろう。(=まったくの経済音痴であり、虚偽・虚構・妄想の最たるものである

 工業のこの発展は、社会に十分な量の生産物をゆだね、それ(=十分な量の生産物)によってすべての人の欲望を充足させるだろう。

 おなじく農耕は、私的所有と土地細分化の圧迫によって、やはり、すでになされた改良と科学的な発展をとりいれることをさまたげられているのが、まったくあたらしい飛躍をおこない、社会にまったく十分な量の生産物を、ゆだねるであろう

 (=この部分については、確かに、私的所有の土地と土地細分化をなくして大規模・機械化農業にすれば、農業効率が上がり生産が拡大することはありうるが、べつにそれは私的所有を無くして国有(共同体)農場にせずともできる。米国の大規模・機械化農業はまさにそれである)。

 このようなやりかたで、社会は、生産物を十分にうみだし、全構成員の欲望が充足されるように、分配を編成しうるであろう。

 さまざまな相互に対立する階級への社会の分裂はこうしてよけいなことになる(=すべて全社会の欲望にこたえる共同の計画と運営の可能性のみが根拠であるが、現実には不可能であるからすべて妄想・空想の世界である)。

 しかもそれ(=社会の分裂)は、たんによけいなことになるのではなく、あたらしい社会秩序とまったく両立しないのである。

 諸階級の存在は、(社会的)分業から生じるのであり、(社会的)分業は、そのこれまでの様式においては、全く消滅する(=社会的分業が消滅する世界などあり得ない人間は諸個人毎に天性・適性があるのであって、人間社会が万能ですべてを一人でこなせる個人ばかりで構成されないかぎり社会的分業は決して無くならない万能の進歩的人間を前提とした妄言である

 なぜなら、工業的および農耕的生産を、いまのべた高さにひきあげるには、機械的および化学的な補助手段だけでは、十分ではないのであってこの補助手段を運動させる人間の諸能力もまたそれに対応する程度に発展しなければならない(=万能の進歩的人間にならなければならない)からである。

 大工業にまきこまれたとき、前世紀の農民と工場制手工業労働者が、その生活様式全体をかえ、まったくべつの人間となった(=大工業の出現によって別の職業に転職し、別の社会的分業に変更しただけであり、万能の進歩的人間になったわけではない意味のすり替え論理であり、甚だしい妄言である)のとちょうど同様に、社会全体による生産の共同経営と、その結果としておこる生産のあたらしい発展は、まったくべつの人間を要求しまた生みだすであろう=人間は万能になるという進歩主義の妄想)。

 各人がひとつだけの生産部門に従属し、それにしばりつけられ、それによって搾取されている、今日の人間、また各人がその諸素質のうちのただひとつを、他のすべての素質を犠牲にして発展させ、生産全体のただひとつの部門、あるいは一部門のうちのさらにただひとつの部門しか知らない、今日の人間のような人間によっては生産の共同経営はおこりえない

 (=およそすべての人間の職業とは一つの生産部門に従属することである

 そしてその産業部門の中で低いレベルの従属部門の技術をマスターできればさらに1ランク高レベル従属部門へと移動することを習熟度に応じて特定の周期で繰り返すことによって徐々にその生産部門の全体像を把握する能力を身につけていくのである

 最初から例えば大卒の1年生社員に産業部門全体を総括する能力を求めても現実的に不可能であるしそのようなことをすればその会社は人材育成方法の失敗が原因でいずれ倒産するであるであろう

 これは人間の能力・知能の発達特性の問題であり自由主義〈資本主義〉社会の人間にできるか共産主義社会の人間にできるかとかの問題ではない

 最近の日本の企業は経済効率を考えて大卒の新人社員に即戦力を求めているがそのような組織は人材育成に最初から失敗しており逆に非効率を引き起こし長く持たないであろう。)

 すでに現在の工業でさえ、こういう人間を必要とすることが、ますます少なくなっているのである。

 社会によって共同的かつ計画的に経営される工業は諸素質があらゆる方面へ発展した生産の全体系をみわたせる状態にある人間を完全に前提する

 現在すでに機械によってほりくずされている分業、すなわち、ある人を農民に、第二の人を靴屋に、第三の人を工場労働者に、第四の人を株式投機人にするという分業は、こうしてまったく消滅するであろう(=このような分業しか人間にはできないのが進歩主義者にはわからない。「教育によって、完成された人間が作り出せると本気で信じている。まさに狂気である)。

 教育はわかい人々びとに生産の全体系を急速に終了させることができるだろう

 それはかれらを、社会の必要あるいはかれら自身の性向がもとめるに応じて、ひとつの生産部門から他の生産部門へつぎつぎに移行するような、立場におくであろう。

 こうしてそれはかれらから、現在の分業が各個人におしつけている、一面的な性格をとりさるであろう。

 こういうやりかたで、共産主義的に組織された社会はその構成員に、かれらのあらゆる方面へ発展した素質を、あらゆる方面で活動させる機会をあたえるであろう。

 そしてそれとともに、必然的に、さまざまな階級もまたきえうせる(=上記により妄想である

 したがって、共産主義的に組織された社会は、一方では、階級の存続と両立しないし、他方では、この社会の樹立自体が、この階級差別を廃棄する手段をあたえるのである。

 このことから、都市と農村のあいだの対立もまた、なくなるだろうということになる。

 農耕および工業が、ふたつのちがった階級によって経営されるかわりに、同一の人間によって経営されることは、すでに、まったく物質的な理由で、共産主義連合社会の必然的な条件である

 大都市への工業人口の集中とならんで、農耕人口の農村への分散は、農業および工業の、まだ発展しない段階だけに、適合する状態であり、すべてのそれ以上の発展にたいする障碍であって、このことはすでに現在、よく感じられるようになっている。

 生産諸力の共同的で計画的な利用のための、社会のすべての構成員の一般的な連合すべての人の欲望を満足させる程度の生産の拡大ひとりの欲望が他人の犠牲において満足させられる状態の終了諸階級とその対立の完全な絶滅社会のすべての構成員の諸能力を、これまでの分業の除去によって、生産的教育によって、仕事の交替によって、すべての人によってうみだされた快楽へのすべての人の参加によって都市と農村の融合によってすべての方面へ発展させること―――これが、私的所有廃止の、主要な諸結果である」(『共産党宣言・共産主義の諸原理』講談社学術文庫2008年、159163頁)

 以上が、共産主義者が妄想する「理想社会」=「共産主義社会」である。

 しかし、

 ①私的所有の廃止が実現できる

 ②社会のすべての人の欲望を満たす、生産諸力の共同的で計画的な利用が可能である

 ③教育により万能人間が育成できる

 という進歩主義的な虚偽・虚構・妄想から誕生する、

 ③生産諸力の共同的で計画的な利用のための、社会のすべての構成員の一般的な連合

 ④すべての人の欲望を満足させる程度の生産の拡大

 ⑤ひとりの欲望が他人の犠牲において満足させられる状態の終了

 ⑥諸階級とその対立の完全な絶滅@社会のすべての構成員の諸能力を、これまでの分業の除去によって、生産的教育によって、仕事の交替によって、すべての人によってうみだされた快楽へのすべての人の参加によって

 ⑧都市と農村の融合によってすべての方面へ発展させる

 などという共産主義社会は、虚偽・虚構・妄想の前提に起因するから、その結果として抽出される世界は、当然のこととして、妄想の世界であり非現実の空想社会にすぎず、人類はそこへ、未来永劫、永遠に到達できない

 つまり、共産主義とは、真の意味で、最も非科学的・空想的社会主義である

 そして、私がこのブログで説明したとおり、これらの、虚偽・虚構・妄想に隠された、無所有無家族無道徳無法)・無宗教無国民性という、最悪の現実の社会だけが地上に出現する(残存する)のである。

 ゆえに、共産主義を忠実に実践したソ連ソ連支配下の東欧諸国/バルト諸国/アフリカ諸国/アフガニスタン毛沢東に始まる共産党一党独裁の中国ポル・ポトのカンボジア金日成/正日の北朝鮮が、自国民の大量殺戮の嵐となったのは、共産主義の論理的な当然の帰結なのである。

 エドマンド・バーク保守主義者の私は、今回この共産主義の実践による、当然の現実的帰結に至る原因を『共産党宣言・共産主義の諸原理』からの「論理矛盾」の抽出によって学問的に導き出した。

ゆえに、共産主義『共産党宣言・共産主義の諸原理』とは人類にとって「百害あって一利なし」であるから、宇宙彼方のブラックホールへ投棄すべき「地球の粗大ゴミ」なのである


次回、保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「エドマンド・バーク保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その14)「最終回・結論」へつづく


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