保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「真正の保守主義とは、いったい何なのか?」という疑問への明確な回答書(その1)


21世紀の日本国における重要課題

真正の保守主義』の“政治哲学思想の定義について(その1

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現代日本国民の大多数は「保守主義」が意味するところの“政治哲学思想”を全く、理解していないか、誤解している

 この原因の大部分は一般国民の側にあるのではなく保守主義者を語る学識者・知識人の側にある

 例えば、1999年まで、保守論壇の大きな存在であった江藤淳が、「保守主義」の哲学思想について述べた、次の一文を読めば容易に解る。

 江藤淳は言う

 「保守主義にイデオロギーはありませんイデオロギーがない――これが、実は保守主義の要諦なのです。・・・保守主義とは一言でいえば感覚なのです。さらに言えばエスタブリッシュメント(=既得の権力・支配力とその組織・階級の保守)の感覚です」(『保守となにか』、文藝春秋、1996年、1922頁)

 このような虚妄の言説は、簡単に言えば「保守主義など存在しない、保守主義者とは既得権益の擁護者のことである」と言っているのと全く同義である。

 今は亡き、「保守主義の父エドマンド・バークや「米国保守主義の父アレクサンダー・ハミルトンが聞けば、余りの虚偽と虚構に失望し激怒するであろう。日本国では、そのような「保守主義」の定義がなんと1999年までまかり通ってきたのである

 これでは、戦後、左翼勢力のやりたい放題となり、彼らに「保守は死んだ」と宣言されても、何の反発も抵抗もできないのは必然である。理論がなければ、反発できるわけがない。

 これでは、戦後、政権を担ってきた「自民党が真の保守政党であり得なかった」のも必然の帰結であろう。「保守主義」が「何であるか」が解っていないのだから。

 また、現在のフリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia』の「保守主義」に関する解説も、誰が読んでも結局保守主義とは何なのかさっぱり解らない

 そこでは、様々な国家の保守系の学識者らの視点や観点が交錯するのみならず、左翼(革新勢力)の学識者の批判的視点/観点までも織り交ぜて説明しているから、「保守主義の政治哲学=「意味不明の政治哲学となっている。

 このような状況では日本国民には保守主義とは何か、「何を目的とする政治哲学であるのか全く解らない

 そこで私が、ここに、「真正の保守主義」の「政治哲学/哲学思想」を「保守主義の父」である「エドマンド・バークの保守哲学」に基づいて明確に理論的定義する。

 保守主義conservatism)=真正自由主義の「政治哲学・政治思想の概説

(1) 保守主義conservatismとは、「真正自由主義のことである

  リベラリズムliberalism)、リベラルliberal)とは、直訳は左翼的自由主義であるが、1980年代以降は「左翼」という意味となり軽蔑的ニュアンスを持つ。

  社会主義socialism)・共産主義communism)とは、「平等主義」に基づく「全体主義」のことである。

 ①法の支配”、“立憲主義”を根本原理とする。

 ②道徳を伴う自由(=道徳と自由は一体のもので切り離せない、そのような自由のみを真の自由と言う)」を「真正の自由」と定義し、“法の支配”、“立憲主義”により国民の「真正の自由」を擁護する。

 ③“法の支配”、“立憲主義”によって、「世襲(相続)の原理」による「国民の生命/安全私有財産真正の自由」を祖先から子孫に相続された相続財産として擁護する

 ④世襲(相続)の原理」によって「道徳を伴う自由(=真正の自由)」が「高貴なる自由」、「美徳ある自由」に昇華した、より高級な文明社会を創造することを目的とする。

 ⑤現在世代は、上記の目的を達するため、過去の祖先を崇敬し未来の子孫へ高級な文明社会を世襲(相続)する義務を有し、文明社会の保守(改良・修繕・補強・補修)は行うが、改変変革は行わない

 それ故に、「真正の自由」を破壊する、あらゆる主義(全体主義共産主義/社会主義/ルソー主義/マルクス・レーニン主義道徳に対する価値相対主義ポストモダン思想など)を世界へ拡散する悪の枢軸国家に対しては、外交解決に最大限努力するが、いざとなれば、戦争による打倒も躊躇しない、“真剣/神剣を抜く戦闘的なイデオロギーである

 保守主義conservatism)=真正自由主義の「政治哲学・政治思想の個別概念の解説

(2) 法の支配”、“立憲主義”を遵守する。

 ()”、“日本国法”とは何かについて。

 ① 日本国のもっとも一般的で旧い“日本国法”である“コモン・ロー”。

 古来の世襲(相続)の原理による万世一系天皇(皇室)は“日本国法の中の日本国法”である。

 なぜなら、日本国過去二千六百年以上にわたる祖先および統治者が、途切れることなく守護してきた「ルール(rule」だからである。

 日本国の起源を示す『古事記』、『日本書紀』の日本神話から生じた「神道」、古代中国・朝鮮から伝来した道徳規範である「儒学」、仏の法を説く「仏教」の神仏儒習合の法理は、日本国民の精神の形」としての“日本国法”・“コモン・ロー”である。

 ② 上記のコモン・ローの法理を祖先が成文化した「制定法」の一群のうち、世襲(相続)の原理による歴史の取捨選択を受けてもなお、現代にまで遺り、「真正の自由を擁護する諸原理

 具体的な「制定法」とは、聖徳太子の『十七条憲法』・藤原不比等らの『大宝律令(=刑法および民法)』のち『養老律令』・北条泰時らの『御成敗式目(貞永式目)』・江戸幕府による『武家諸法度』・『禁中並公家諸法度』・徳川吉宗の『公事方御定書』・明治天皇の『五箇条の御誓文』・伊藤博文井上毅金子堅太郎伊藤巳代治の起草による『大日本帝国憲法(明治憲法)』・『教育ニ関スル勅語(教育勅語)』・『日本国憲法』などを指す。

 ただし、『日本国憲法』はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)欽定憲法」であり、日本国の憲法(=the Constitution、国体・国柄)とは言い難い条文が多々あるので。扱いに注意を要する。

 ③ 祖先より、世襲(相続)の原理により子孫に継承された伝統慣習

 「伝統・慣習は“日本国法”の一部」である。

 伝統には、文化的遺産のみでなく精神的遺産孔子の『論語』や佐藤一斎の『言志四録』や新渡戸稲造の『武士道』に通ずる日本国民固有の精神など)も含む。

 以上の①から③が日本国の法(=Law”であり、日本国の“法(=Law)”の核心部を明文化した成文法が“憲法(=the Constitution”である。

 ()法の支配”、“立憲主義”とは何かについて。

 上記()で定義される“”および“憲法”によって、日本国民の権利である「生命/安全」・「私有財産」・「自由/道徳」が擁護されることを言う。また、擁護することを義務とする主義(イデオロギー)が「保守主義」である。

 ここで、重要な点は、国民の権利には「平等の権利」を決して、含まないこと

 なぜならば、保守主義とは真正自由主義であり、「自由」と「平等」は二律背反し、決して両立しないからである。@

 ※「自由」と「平等」両立できると言説する学者もいるが、それらは、すべて虚偽・詭弁である。歴史がその虚偽を証明済みである。

 ただし、第二に重要な点保守主義=真正自由主義が、唯一、国民の権利として認める「平等」がある。

 それは、日本国民の「法の下(前)の平等」である。

 よって、保守主義=真正自由主義とは法の支配」による「国民の権利(生命・私有財産・自由)」の擁護義務道徳を伴う自由」を「真正自由」とすること、法の下()の平等」を国民の権利と認める主義であるから、決して弱者切り捨てのイデオロギーではない

 むしろ、「真の社会的弱者」を保護する「最強の要塞」としてのイデオロギーである

 さらに、日本国民の権利である「生命/安全」・「私有財産」・「自由/道徳」「法の下(前)の平等」を擁護する、最後の砦が“法の支配”および“立憲主義”であるから、保守主義=真正自由主義においては、「天皇主権」という概念も「国民主権」という概念も存在し得ない

 あくまでも、天皇(皇室)の権限は、「“に基づく古来の世襲(相続)による時効としての天皇(皇室)の権限、あるいは皇室典範に規定された権限」であり国民の権利は、“”および“憲法”に支配された「国民権」あるいは「国民の権利でしかない

 なぜなら、「主権(sovereign power」とは「無制限の絶対権力のこと」であるから、“”や“憲法”に完全支配される、国家(=立憲主義国家)においては、「主権という絶対的権力」など存在し得ないのは自明ある。

 つまり、デモクラシー(=民衆制)の政体下においては、国民は「権力の起源、あるいは権力の主体」であるが、その権力」は“法”と“憲法”に制限された「権力」でしかあり得ないのである。

 これは、日本国民の政治の代表者たる国会議員にも当然当てはまるから、国会の立法する法律(legislationも上位の“憲法の支配下にある場合のみ有効である。そのため、立憲主義の日本国憲法はその第八十一条で最高裁判所の「違憲立法審査権」を規定し、国会が憲法を逸脱する立法を為すことを禁止しているのである。

 ただし、国際社会において、対外的な国家の自主独立権を意味する「国家主権」は、全く異次元の話であり、当然存在する 

(3) 古い偏見に宿る叡智を保守する(※バーク「偏見」とは、理性では明証的に説明できない「感情」の意味)

 () 日本の神々や仏の意志つまり、“神々の意志”、“神々の摂理”、“仏の御心”、“仏の法”に対する「畏怖の念」を忘れないこと。

 () 天皇(皇室)への「畏敬・尊崇の念」を忘れないこと。

 () 祖国である「日本国への愛着の念(=愛国心)」を忘れないこと。

 () 祖先への「尊敬の念」、子孫への「愛着の念」を忘れないこと。

 「過去の祖先」と「未来の子孫を繋ぎ結びつける現世代の義務の念」をもつこと。

 () 裁判所の出した最終判決に対しては裁判官の良心を信じ、「服従の念」を持つこと。

 () 聖職者(僧侶・神官、神父 等)に対する「崇敬の念」を持つこと。

 このような、「古い偏見」は、デカルト的設計主義的合理主義(=ハイエクによる)」が唱えるように「数学のように論理的明証はできないが、日本国の祖先から我々に世襲(相続)され、教わってきた“自然な感情”である。

 保守主義はこのような「古い偏見」やそれに根を下ろした、伝統・慣習・制度を改変変革したりせず、保守する(=歴史の変化に伴った改善補強補修修繕は行う主義であり、決して、「過去歴史のある一点に留まって、前進しないのではない

 以上の()から()の“古い偏見”の保守は、以下の①から④の機能を果たす。

  「古い偏見」にこそ、「潜在する深遠な智恵」が宿り、我々に“智力の豊饒”を与えてくれる。

  特に()()の感情を捨て去れば精神は腐敗し、主要な道徳を失い、「道徳を伴う自由(=真正自由)」を喪失する

  ()の偏見により、日本国民は、日本国という文明社会が“神々の意志”・“仏の御心”と各世代の日本国民との間で、永遠に繰り返されてきた、神々/仏と国民との間の真正の社会契約」によって自然的に成長・発展してきた文明社会であることが理解できる。

 そのように考えれば、日本国を、無神論理神論)のルソー主義の「社会契約国家」や無神論無宗教無道徳マルクス主義の「共産主義国家」に、改変変革しようとしても、国家として成立するわけがなく結果を見るまでもなく失敗することは自明である

  「古い偏見」は、日本国という壮大な建造物を、畏敬すべき神殿として聖別する。そこに日本国民の国民性が発見され、愛国心祖国愛)と国防意識が高まる。


真正の保守主義』の“政治哲学思想の定義について(その2)へ続く。


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