保守主義の哲学‐‐‐「永住外国人地方参政権附与」問題の究極的追求による到達極限点は「真に恐るべき事態」である。(1/2)


 

 ヒトラー・ナチズムによるユダヤ民族ホロコーストは『“法の支配/立憲主義”のない「法治国家」』で起こったという<残虐非道な歴史事実>を忘れてはならない。(1/2ページ)

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永住外国人地方参政権(選挙権)附与」問題の本質は、平成7年2月28日の最高裁判決

 主文憲法第九十三条第二項は日本国籍を有さない在日外国人には参政権は与えられないと解するべきである

 と極度に齟齬をきたした

 傍論(=判例としての法的拘束性を有さない、盲腸意見)「立法措置があれば=立法すれば地方選挙権付与は違憲でない

 を附した最高裁判所裁判官の「良識の欠如」または「憲法学知識の貧困」、そしてもしかすると、「恣意的な良心の放棄」のいずれかである。

 最高裁判所裁判官がこの自己矛盾的な判決を平然と下せた原因は、最高裁判所の裁判官たる者が、“法の支配立憲主義”と「法治主義」の相違知らずに、あるいは理解不足で、あるいは知っていて悪意で傍論を附した、ことにある。

 このことは、私の前回のブログでも(参 考)として記述したが、極めて重大かつ危機的な問題なので、再度、全日本国民に最高裁の今後の動向に“大注意”を払うようにお願いしたい

 そもそも第一に、最高裁裁判官に、“法の支配立憲主義”と「法治主義」の相違知らない理解不足であるという根本的な「良識の欠如」があるとすれば、「終審裁判所」として「失格」である。

 第二に、“法の支配立憲主義”と「法治主義」の相違を把握していながら、「傍論」で恣意的両者の優位性を逆転させたとすれば、終審裁判所として究極の犯罪」である。

 この問題は、一見些細な問題に見えるのだが、実は、現在および将来の日本国民の生命/安全および自由を毀損する土壌を創り出す、極めて危険な事態であるので、ここに、再度に記述する。しっかりと理解・把握して頂きたい

 最初に恐るべき「結論」を先に言えば、鳩山政権が国会に提出する、仮称「永住外国人に地方参政権を附与する法律」が立法された時に最高裁判所が違憲立法審査権を発動せずに傍観した場合、それは日本の“立憲主義の崩壊の序章である。

 そして、その行き着く究極点は、「ヒトラー・ナチズムによるユダヤ民族のジェノサイドの歴史の再来である。

 この表現は、問題の行き着く究極点の表現であるから、やや大袈裟だが、決して冗談話ではない。それを以下に解説する。

 そもそも、最高裁判所の裁判官でさえ、“法の支配/立憲主義”と「法治主義」の相違知らないか理解不足かの原因は、戦前戦後を通して、法の支配/立憲主義”と 「法治主義」の相違を理解し、講義できる日本の憲法学者が、ほとんどいなかったことにある。

 その事実は、「これが“法の支配”だ」とばかりの珍説奇論的な記述が日本の「憲法教科書」に溢れているのを見れば一目瞭然である

 近代ドイツ産の「法治主義」「法治国家」を、中世英国の(ブラクトン)/エドワード・コークブラック・ストーン産の“法(コモン・ロー)の支配”“立憲主義国家同一視するという信じ難いほどの誤解すら、ごく当たり前のように記述されている。

 “法の支配”とは古代ゲルマンからの“法”思想が、中世において英国で発展し“憲法原理”になったものである。

 米国憲法の起草者たる「建国の父」たちはブラック・ストーンの『英国法釈義』を座右の書として英国コモン・ローから憲法原理を発見し、米国憲法に成文化した。この意味で米国憲法とは“準コモン・ロー”であり、米国は“立憲主義国家である。

 一方、ローマ法を受容する中で、中世ゲルマンの法思想を一掃してしまった近代ドイツには、それに近似する思想すら消滅してまったく存在しない。

 「法治主義」と“法の支配/立憲主義”は似てもおらず本質的に非なるものであり、根本から相違する。

 「法治主義」「法治国家」の「」は「人間の意志」で制定された法律legislation」を指す。

 “法の支配”の“法=law”とは「人間の意志から超越した古来からの“神聖な真理”のことを意味する。

 例えば、日本国で言えば、初代の神武天皇以来、二千六百年以上に及ぶ、日本国天皇(皇室)の皇位および皇位の万世一系の世襲(相続)による継承は、日本国の悠久の歴史に流れる“真理”であり、どの時代の祖先も統治者も破ることのなかった神聖なルール”である。

 ゆえに、天皇皇室の皇位および皇位の世襲による継承は、何人も手を加えてはならぬ、日本国の“法の中の法”、“最高位の日本国法”である。

 また、日本国伝統慣習も“”である。

 なぜなら、伝統慣習とは文化的・精神的なものを含め、祖先から世襲(相続)されてきた決まり事風俗/習慣などの“ルール”だからである。

 また、慣習の中には時代を超えてなお普遍的な道徳”が含まれるから“道徳”もまた、“”である。

 ある国の“法の支配”の“”とはこのように、その国固有の歴史の中で自然的に発生して成長した“ルール”を言うのである。

 つまり、“法”は人為的に「つくり出す(制定する)」ものではなく、祖先から世襲(相続)した叡智の集積の中から“発見する真理”のことであり、人為的に「つくり出す(制定する)」ものである「法律」は“法の支配”の“にはなり得ない

 ただし、この「法律」も数百年後の未来の日本国で、十分通用するルールとして機能しているとすれば、その時、この「法律」も“法”の一部に加えられる、と言うことはできる。

 このように、本来、“日本国憲法”=“日本国の国体”とは、我々現世代の日本人が、過去二千六百年以上の歴史を通じて祖先から世襲(相続)した叡智の集積(=日本国の“法”)の中から、“発見した固有の原理/原則(=真理を明文化したものを言うのである。だから、“the Constitution”は“憲法”とも“国体(国柄)”とも訳すのである。


保守主義の哲学‐‐‐「永住外国人地方参政権附与」問題の究極的追求による到達極限点は「真に恐るべき事態」である。---(2/2)へ続く


永住外国人への地方参政権附与問題」の真の恐怖は、“法の支配/立憲主義”の崩壊である。
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