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保守主義の哲学‐‐‐鳩山由紀夫や小沢一郎の政治献金/政治資金問題の多面的考察


 鳩山由紀夫小沢一郎政治献金/政治資金問題から日本国民が「心の眼」で観相すべきこと。

 それは、仏教における「諸行無常」と「色即是空、空即是色」という“仏の法真理)”の再認識であり、バーク保守哲学における「道徳と一体の自由」、「美徳ある自由」という「真正自由主義」の再構築である。

c_02.gif  ←できればクリックお願いします。


 今回のブログは、若干内容が難しいかもしれない。できるだけ噛み砕いて解説したつもりだが、難しければ、読み飛ばして、一番、最後に添付した「自由」と「道徳」の関係図だけは少なくとも理解して頂きたい。

 鳩山由紀夫首相や民主党小沢一郎幹事長の政治献金や政治資金問題と民主党首脳部の対応を見る時、日本の政治家および政党の「知的レベルの低さ」と「道徳の頽廃状況」には目も当てられない。

 そして、はっきり言うが、これらの政治家個人や政党を国政の代表者として選出して、国政を任せてしまう日本国民の総体的な「智慧・智力の頽廃」と「倫理・道徳観の頽廃」と「大衆迎合的ポピュリズム」「デモクラシーの害悪の蔓延」は日本国・日本国民の未来への悠久の繁栄にとって、既に末期症状である。

 つまり、我々、「真正保守主義」の力を以てしても、この日本国と日本国民を治療するのはもはや、「末期寸前の癌」を治療するのと同程度くらいに困難な状況である。

 日本国民は、この問題を見る時、事件の表象のみを見て、鳩山由紀夫首相や民主党小沢一郎幹事長ら「“個人”の倫理・道徳的資質の欠陥の問題である」で決して済ませてしまえる問題ではない。

 この問題を「心の眼」を開いて日本国民の総体的な「倫理・道徳的資質の欠如」の問題として思考しないならば、もし、この問題で、この二人が早かれ遅かれ、政界から消えることがあっても、また他の何者かが、彼らに成り替わって同じことを繰り返すであろう。

 そこで、この事件の問題の核心部を、エドマンド・バーク保守主義者である私の心の眼」から見た観察を紹介しよう。

 (1) 倫理・道徳の真理とは存在するのか存在するとすればどのように定義できるのか

 現在の日本国民の多くは「価値観の多様化」を「個人の権利」のごとく振り回す。ある文化のある分野においては、「価値観が多様化」しても全く問題はないことは多い。

 しかし、一旦それが、「倫理・道徳観の分野に至ればそうはいかないことを理解しなければならない。

 例えば、「価値相対主義」という考え方がある。これは、簡単に言えば、「この世の中に絶対に正しいと言える真理などはない」という思想である。

 しかし、そうであれば、この「この世の中に絶対に正しいと言える真理などはない」という言説自体(自身)も「絶対に正しいと言える真理ではない」から、「真」ではなくなる。そうすると、出てくる結論は、「世の中には絶対に正しいと言える真理もある」と言うことに帰結する。(読者の皆さんは、ここまでは、理解できましたよね・・・。)

 では、「真理」があるとすれば、それはどのように定義されるのか。「真理」とは以下のように定義できる。

 真理いつどこでも何人もきっとそう考えねばならぬもの

   =時の古今場所を問わずいつの世いずれの処にも適応するもの誰しもそうだと認めねばならぬもの

 例えば、「今、生きている、ある人間Aも、必ずいつかは死ぬ」という真理。この真理を古代から現代までの、地球上のすべての地域の人間で、否定できる人間がいるだろうか?

 未来主義者進歩主義者なら、「将来医学が発達して、ゲノムの解析が・・・ので、不死になるかもしれない」などと言うかもしれないが実証もされていないことをできると信じるのは単なる「妄想」であって反論にならない。正常な人間なら、そんな「妄想」は永久に不可能だと、簡単に切り捨てる。

 ところで、読者の皆さんは、仏教に「般若波羅蜜多心経」略して「般若心経」という「お経」があるのをご存じだろうか。

 「般若心経」とは、簡単に言えば、仏の真理(=物事の道理と道理を正確に捉える智慧)を雄弁に且つ力強く主張する経典である。

 (2) 鳩山由紀夫・小沢一郎問題仏教の「仏の真理=道理を正確に捉える智慧の眼で見てみると、現代日本人が忘却している「真理」が見えてくる。

 () 日本国民の「諸行無常の忘却

 「諸行無常」とは、平家物語の冒頭文で有名な「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」の「諸行無常」である。

 つまり、世の中の万物(=五蘊の集合)は、縁起(=因縁)によって生じ、無限の空間と永遠の時間の交差点に存在し、常に流転し、諸行無常の状態にあるということである。

 そして、諸行無常の存在である、世の中の万物(=有)は、常有ではなく、仮有(けう)であるという仏教の教えである。

 ここに言う、万物(=五蘊の集合)の「五蘊(ごうん)」とは、以下の五つ。

 「(しき)」=「形ある物質」「物質的存在(物そのもの)

 「(じゅ)」=感情

 「(そう)」=知覚

 「(ぎょう)」=意志

 「(しき)」=意識

 のことであり、「(しき)」のみが「物質的存在(物そのもの)」であり、「」=感情・」=知覚・」=意志・」が意識(精神の4作用」である。このうち、「」・「」・「」を心所(「」=意識の上での作用)と言い、「」を心王(最上位の意識)という。

 また、縁起因縁)とは、「因縁」=「因縁生起」=「因」・「縁」・「果」の関係のこと=「縁起」とも言う。一般的には「縁起」が悪いとか「因縁」の対決とか、ネガティブな意味で使われるが、決してそうではない。わかりやすいように下図にしめす。

 政治献金・政治資金問題の論点_image001.png

 つまり、私が何を言いたいかというと、この世の万物物質的存在(金銭・生活物資・奢侈品などの物質的豊かさ)だけ(=唯物論的思考)では決して規定できず、意識感情知覚意志などの精神の働き精神的豊かさ融合して規定されているということである。

 にもかかわらず、現在の日本国民は、(=物そのものの豊かさ)への固執があまりにも強すぎ精神の働き(=精神的豊かさが衰弱している(=精神的に疲弊している)のではないだろうか。皆さんは、そう感じていないだろうか?

 このため、「諸行無常を忘却していまっているのではないだろうか?ということである。

 鳩山由紀夫小沢一郎に象徴されるように、物質的存在(=特に金銭・現金)への強烈な固執は、「諸行」が「無常」であるという自覚を麻痺させる。

 「諸行」とは「物質的存在」だけではなく、「精神の働き」を伴って初めて、生起し、変化し、消滅するのだ、ということを忘却するならば、「諸行無常」の法によって、自分自身が消滅する時、つまり死に直面する時に、大きな後悔を遺してこの世を去ることになる、ということである。

 なぜなら、すべての人間にとって自分自身の「死」は恐怖である。おそらく生前に物質的豊かさに固執しすぎて精神的豊かさを忘却した人間ほど「恐怖」の度合いは強いであろう。なぜなら、「死」とは自分自身の肉体(=物質そのもの)が消滅することだからである。唯物論的人生を歩んだ者にとって、これほどの恐怖はなかろう。

 これに対し、精神的豊かさを重視して生きる人間は、もともと「神様」や「仏様」を信仰し先祖に感謝し子孫に対して愛情と責任を持ち、「自分は神様や仏様に生かされて、生きている」と信じて生きている人間が多いから、肉体が消滅しても、天照大御神様大国主神様釈迦牟尼如来様観世音菩薩様さまに救われる

 (=デカルトやルソーやマルクス流の無神論的な神や仏が存在するかしないかの合理論的な問題でなく人間の、そのような神様や仏様を信じる、「敬虔な心」がその存在を信じさせるのである)

 と思考でき自分のへの恐怖は激減されるのである

 さらに、ある出来事は、この「物そのもの」と「精神の4作用」の集合体に、直接原因(=)と間接原因(=)が作用して起こる(=因縁生起)のであり、決して直接原因のみでは起こり得ない

 鳩山由紀夫・小沢一郎問題で言えば、仏教的見地からは、直接原因の「」は確かに鳩山・小沢であるが、間接原因である「」は突き詰めていくと日本国民全体に及ぶのではないか、ということである。

 なぜなら、例えば、小沢一郎の政治資金・政治献金に関して言えば、大手ゼネコンが関わっている(=あくまで見聞による情報である)。

 とすれば、大手ゼネコンに巨大な公共事業を発注したのは、国交省である。

 大手ゼネコンの下請けは中堅ゼネコンであり、その孫請けは地元の建設業者である。これが通常の建設業界の元受け・下請け・孫請けのパターンである。

 また、国交省の公共事業の財源国民全体の税金である。

 さらに、小沢一郎を国会議員に選出したのは、小沢一郎地元選挙区の国民である。

 小沢一郎を党の幹事長に据えたのは鳩山由紀夫であり、小沢一郎に従って中国共産党詣でをした多くの民主党議員、政治資金問題を起こして平然としている小沢一郎を叱責もせず、逆に庇おうとする民主党議員大臣たち・・・・。

 私は、別に間接原因だから、すべてが小沢一郎と同罪だと言っているのではない。税金を納めた国民に非があるわけではないのは当然のことである。

 ただ、この問題一つをとってもわかる通り、あらゆる事件や問題は、その問題自身が孤立し固定し独存しているわけではなくすべての日本国民の縦=時間的)・(=空間的の相補的関係、すなわち、無尽の縁起(=因縁的関係にあるのだ、ということが言いたいのである。

 だから、日本国民はこの問題を、鳩山由紀夫小沢一郎の個人的問題として傍観するのではなく、日本国民全体の倫理・道徳的頽廃問題として今後の対策を考える必要があるのではないか、ということである。

 ()  大乗仏教の究極の原理は色即是空、空即是色」の一句に尽きると言って過言ではない。

 仏教の「くう)」は虚無の「」の意味ではない。

 上記で述べた、縁起(因縁)より生じる一切のものは、ことごとく「空」である。

 例えとして、一本の桜の樹を考えてみると、雪が降りしきる真冬に、樹を斧で割って、樹の中をいくら探しても桜の花はどこにもない。これがすなわち「色(=物質)即ち是れ空」である。

 しかし、温かな春が訪れると枯れたと見えていた桜の枝にはつぼみが出て桜の花が咲く。これがすなわち「空即ち是れ色」である。

 つまり、「何事でもそうであるが、色(=物質)が現在あるからと言って、いつまでも有り続けると思うのも間違いであるが、また逆に、現在、空だから(=色として現われていないから)と言って何ものもない「虚無」と考えるのも誤りである」ということである。

 さらに言えば、諸行無常の存在である、世の中一切の「色として有るもの(=有)」は、「常有(常にあり続けるもの)」ではなく、「仮有(けう)(常に変化する中で一時的に姿を現した存在)」である。

 「」とは、諸行無常の(=常に変化し、流転する)万物(=「色」=「物質」)一定の循環性を与える法則・力のことを言う。

 だから、万物=「(=物質)」は「」から生まれ、「」に帰す。

 万物は循環法則(=「空」)から生成し、循環法則(=「空」)により消滅するのである。

 すなわち、「色即ち是れ空」「空即ち是れ色」=「有るようでもいずれ無くなり無いようでもいずれ生じる」とは「この世の実相」であり、理論(合理・理性)では説明できない「宇宙の真理(誰もが疑いようのない事実)」である。

 もう一度まとめると、「仮の有と仮の無を支配する宇宙の循環法則・仏の法」が「」という概念である。

 (永遠の存在である有も、完全な虚無である無もこの世には存在しない。すべてこの世のものは、「によって表象される仮の有」と「仮の無」である。)

 ここで、私が言いたい、一つ目は、「色即ち是れ空」「空即ち是れ色」を少しでも理解できた読者の皆さんは次のように物事を前向きに考えられないだろうか、ということである。

 現在は、つらく、苦しくあるいは悲しくてどうしようもない環境にある人も、「空即ち是れ色」と心得れば、現在のそのような苦しくつらい環境も、「=希望する物質・環境)」を生みだす直前のの段階にすぎず必ずの循環法則によって、「は訪れるから頑張ろうと希望が持てないだろうか、ということである。

 また、その逆も然りである。現在、極めて「(=自分の希望通りの物質・環境)」の段階にあるものも、「色即ち是れ空」を心得て行動しないと、「」の循環法則によって「」の状態に陥る危険がありうる、ということである。

 つまり、「」に固執しすぎて傲慢になり過ぎた、鳩山由紀夫小沢一郎は、遅かれ早かれ「検察」あるいは「有権者」の手によって「」の状態に追い込まれること必然、ということである。それが、「仏の法・宇宙の真理」である。

 二つ目は、仏教では、万物は「」という循環法則(=仏の法)から生じるから、「仏の智慧」も「仏の慈悲」も「」から生じるとされる。

 そして、仏教の「仏の慈悲」とは、「仏の智慧」によって裏付けられた「本当の仏の愛」のことであり、「慈悲と智慧は一体のもの」とされる。

 「仏の愛」は、鳩山由紀夫がいう気味の悪い、意味不明の「友愛」や「無神論の社会主義者/共産主義者」が自己の利益のためだけに呪文のように唱える「平和」「憲法第九条死守

 (⇒そう言いながら、平成七年二月二十八日に最高裁が違憲判決を出し、かつ憲法をどう解釈しても違憲である「在日外国人への地方参政権の付与法案」には賛成し、平気で憲法違反を犯そうとしている社民党共産党民主党の旧社会党出身者のグループ大矛盾からしても、彼らの唱える「平和」「憲法第九条死守」が如何に欺瞞虚偽であるかがわかるであろう)

 などの「似非愛」とは、言葉は似ても、内実は全く非なる「深遠な愛」である。

 例えば、我が子に対する、父親の愛の態度と母親の愛の態度とは、愛の表現において本性的な区別・相違がある。

 簡潔に言えば、「厳父の愛」と「慈母の愛」=「叱る愛」と「抱きしめる愛」=「智慧による批判」と「慈悲による享受」である。

 これらの「智慧の愛」と「慈悲の愛」は本質的には、「子供のかわいさ」においては何らかわるものではなく、「同時に一体として人間が求めるものである。

 ある時は叱りある時は抱くその愛が一体となって子供は横道にそれず邪道に陥らず真直ぐに育つのである

 つまり、人間とは本来、「頭から、何の飾り気もなく、自分の行動を批判してくれる人」を欲すし、一方では、「また、黙って愛の涙で抱擁してくれる人」を欲するものなのである。

 このような、「父と子・母と子」の大切な関係を無理矢理引き裂くような「選択的夫婦別姓制度」とは、真の親子関係が皆目わからぬ愚鈍の社民党福島瑞穂と同じく愚鈍の民主党・横路グループ旧社会党出身者らのグループ)の千葉景子らの狂気でしかない。

 父親と母親の姓が異なって、親子関係が現在より悪くなっても、良くなることは決してない。福島瑞穂の尊敬するレーニンソ連ならともかく、日本国には、全く無用の法律である。

 (3) 「真正の自由とは、「道徳と一体の自由であり、「自由と道徳1枚のコインの裏表である

 「自由」について、日本国民がまず理解すべきことは、日本国民が「自由の権利」を行使できるのは、バーク保守哲学で言うところの“法の支配”・“立憲主義”によって、政府権力が国民の自由権を侵害することから防御・擁護されているからだ、ということである。

 例えば、もし、日本国憲法の第三章にある、国民の「自由の権利」第九十八条の「憲法の最高法規性」憲法第八十一条の「最高裁の違憲立法審査権」憲法に明記されていなければ国会が与党の賛成多数で我々国民の自由権を奪う「法律」を乱発してもその法律の執行を止めることは誰にもできない

 “法の支配”・“立憲主義”が機能しない状況下で、ヒトラーという狂気の指導者の下、「法律万能の法治主義」とハンス・ケルゼンの「人定法主義(法実証主義)」が重なった結果が、ユダヤ人のホロコーストであった。これは、全世界が目の当たりにした事実である。

 つまり、国民が自由の権利(以降、その他の権利も含む)を行使するためには、政府権力の暴走をコントロール(抑制)する、“法の支配”・“立憲主義による自由の権利の擁護が絶対必要条件である

 これによって、国民の権利を侵害するような悪法(=憲法の条規に反する法律)は“法”や“憲法”のブロックによって棄却され、廃案になり、効力を失うのである。

 したがって、日本国民が自由の権利を行使できるのは、“法の支配”・“立憲主義による権利の絶対的な擁護に頼っているのである。

 であるならば、国民の自由の権利の行使に対して必然的に国民に“”・“憲法の遵守義務が発生するのは当然のことであろう。

 そして、「義務」とは「権利」と違い、自分の意思で守る・守らないを選択できるものではない

 「義務とはすべての国民が必ず遵守しなければならないルールまたは」である。

 この“法”・“憲法”の遵守「義務」を果たすためには、当然、日本国民の各々が義務は遵守しなければならないという、「当然のルール」を「当然として自己に課す倫理観・道徳観が必要となる

 ここに、“法の支配”・“立憲主義によって擁護される日本国民の自由の権利」と“”・“憲法を遵守するための倫理観道徳観が一体化するのである。

 つまり、「自由と道徳が一体化」し、「1枚のコインの裏表のごとく切り離せないもの」となるのである。

 これは、常識の理解できる読者の皆さんなら、当たり前のことに思えるかもしれない。しかし、国会の議員にも最高裁の裁判官にもこんな当然のことがわからない人間がわんさといるのが、現在の日本国の現状である。

 例えば、現在問題化している「永住在日外国人への地方参政権付与法案」に関して言えば、まず、平成七年二月二十八日に最高裁判決を下した裁判官は、主文で明確に永住在日外国人への地方参政権付与は違憲であると述べながら、法的拘束力のない傍論盲腸意見)」で、「国会が、永住在日外国人への地方参政権付与の法律を制定するのは違憲ではない」と述べているのである。

 これは、憲法第九十八条この憲法は国の最高法規であってその条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部その効力を有しない明らかに違反している

 つまり、この最高裁の裁判官は“法の支配”・“立憲主義”、すなわち、憲法の最高法規性と法律の下位性全く理解できていないのである。

 簡単に言えば、「憲法の番人」であるべき最高裁の裁判官たるものが、「法治主義」と“立憲主義の区別と優劣が全く理解できていないのである

 この原因は、日本の憲法学者の大多数がこの区別と優劣が理解できていないという現状にある。大学の憲法学の教科書を開いて、“法の支配”・“立憲主義”の解説を読んでみよ。はっきり言って、ほとんどの教科書が出鱈目の解説の羅列である

 (4) 「1枚のコインの裏表で切り離せない自由と道徳(=このような自由を「真正自由」と定義する)」と真正保守主義(=真正自由主義との関係及び、全体主義社会主義・共産主義)との関係について、以下に図及び解説を示しておく。

政治献金・政治資金問題の論点_image003.png

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テーマ : エドマンド・バーク保守主義
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